『あの戦争は何だったのか』(新潮新書)なのかで、保坂正康は軍人が無謀な戦争を80年前にアメリカに行なったと考えている。また、彼は、軍人が非常なエリートであったという。私には、彼が、軍人がエリートであることをなぜ指摘するのか、わからない。もしかしたら、学校の成績が良いだけでは、正しい判断ができない、と言いたいのかもしれない。
彼のもう一つの指摘は、中国との戦争で行き詰っていたのは陸軍で、中国を軍事支援をしていたアメリカと戦う理由は海軍にはないはずなのに、アメリカと戦うことを最も主張したのは海軍であることである。どうも、彼は、薩長と長州の手柄争いを海軍と陸軍とが引き継ぎ、海軍軍令部が天皇や国民の喝さいを浴びたいと考えて、アメリカとの開戦を主張したと言っているように思える。
とにかく、私を含め、私より上の年代はすべての悪は軍国主義からくると考える。
軍人は、海軍も陸軍もクーデータを起こしている。暴力による恐怖で意見を通そうとしている。昭和維新である。
陸軍の2.26事件では、内大臣、蔵相、(陸軍)教育総監は「3人とも機関銃で撃たれた後、滅多切りにされ、肉片が飛び散っていた」というひどいものだった。天皇に与えた「肉体的恐怖は想像を絶していた」と保坂は言う。
保坂は、軍人の間には「大善と小善」という考えがあって、「小善」は天皇の指示に忠実に従うことで、「大善」は天皇の御心を思いはかって「一歩前に出て」お仕えすることとしていたと言う。もちろん、軍人は「大善」を良しとする。「一歩前に出て」とはずいぶん恣意的な言葉である。
保坂は、日米戦争では、海軍と陸軍が互いに本当の戦果を隠していて、正しい戦術をも立てることができなかった、と言う。
明治憲法では、陸軍、海軍をコントロールできるものは、天皇しか いなかった。陸軍や海軍は議会や内閣に責任を持たないのである。軍隊とは、他国と紛争を武力で解決をするだけでなく、国民を暴力で抑え込む装置である。君主制をとっていれば、天皇が陸軍、海軍を直接指揮するのは当然である。君主制が悪いのである。
すると、「軍国主義」が悪いとすれば、君主制から国民主権の民主制に移り、国民が軍人をコントロールすればよいということになる。
しかし、平和憲法ともいわれる現行憲法にもかかわらず、軍備倍増、敵基地攻撃能力、同盟国との共同戦闘態勢、核共有という声が出てくるのを見ると、軍人がいるから戦争が起きるとだけ言っているのでは、不十分な事態を迎えていると思う。軍事優先の考え方こそが「軍国主義」ではないか。ここに加藤陽子の『それでも日本人は、「戦争」を選んだ』(新潮文庫)の視点が必要になる。日本に外交がないのだ。
中国や北朝鮮が日本を攻めてくるというのは、被害妄想である。自衛隊の一組織である防衛研究所の所員が被害妄想を煽っているのは、問題である。岸田政権はそれを打ち消すべきではないか。
それなのに、岸田政権はアメリカの中国敵視政策にランランのノリで従っている。アメリカに対する劣等感があるのではないか。現在、日本政府の中で、戦争を回避するための組織はどこが担っているのか。本来は外務省だと思うが、安倍政権でそれが骨抜きになったのではないか。
反戦という旗を日本にもう一度掲げる必要がある。戦争で「紛争」を解決するのはやめるべきである。反戦をいうことは恥ずかしいことではない。
[補遺、5月26日]
加藤陽子の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(新潮文庫)を借りてきて読むと、陸軍と海軍との争いは強調されていず、反対に、2章では、陸軍と海軍とが協調が日露戦争の勝利に導いたと書いている。
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