きょうは信田さよ子の『カウンセラーは何を見ているか』(医学書院)を読む。メッセージ性のない、まとまりの欠ける本だが、共感できるところも多い。
カウンセラーと精神科医とは異なった専門職であり、カウンセラーは、病人でなく悩んでいる人の相談にのる人である。精神科医は病気で苦しんでいる人を治療する人である。
精神科医の監督のもとにカウンセラーが働くというのは、信田が言うように、本来オカシイ。別の仕事である。もちろん、悩んでいるだけなのか、病気なのか、その境界はあいまいだが、いっぽうで、多くの場合は明らかに異なる。にもかかわらず、精神科医は国の容認のもと、カウンセラーの領分を大幅に犯し、5分から10分の診察で患者に薬を出している。
20年以上も前、信田は二人の精神科医の経営するカウンセリング機関の所長をしていたが、50歳を迎える直前に、8人のスタッフとともに、解雇になった。意図せず、独立して、精神科医の支配する医療から脱出せざるをえなくなった。
悩んでいる人を病気だとして病院に閉じこめて治療するというのは、明らかに精神科医の傲慢である。世界の精神科医療は、病人を社会から隔離するという国の方針に支えられて、かって、人権無視の限りを尽くした。今でも、日本にはその名残が一部に残っていて、精神科病院で問題が散発している。
信田は私の1歳上である。彼女が臨床心理士として精神科病院に務めたのは、精神科医療の人権無視が社会的に問題になり出した、ちょうど、そのときである。彼女の務めた病院は、その2年前に入院患者に対する不当な使役が問題とされ、東京都衛生局から監査のはいった病院である。「病院の隣には、かっての経営者である医師一族の豪邸が建っており、入り口から見事な日本庭園をのぞくことができた」という。
私の子ども時代も、精神科病院の経営者は私の育った田舎町一番の金持ちだった。精神科医病院の人権無視は、国にも責任の一端がある。
さて、1995年に信田が独立したときの一番の問題はカネであった。精神科医のもとのカウンセリングには保険が効く。いっぽう、精神科医の支配を離れると保険は効かない。したがって、高価なカウンセリング料を払ってくれるお客を集めないといけない。そのため、カウンセリングの合間に、本を執筆して出版する、依頼があればどんな講演でも引き受けるなどして猛烈に働いたという。そういうことを知ると、時間のない彼女の本が、まとまりがないのも仕方がない、と思う。まとまりがない分、加工されていない真実がある。
信田はワンダウンして緊張感をもってクライエントと対等に接し、命令するのではなく、自分で解決策を選択したのだと思わせるようにするという。
外資系のIT会社に勤めていたとき、私は個室をもっていたので、私のもとに来る若い子たちの悩みの相談にのっていた。私の「相談にのる」ということは、何に悩んでいるのかを共同作業で明らかにして、解決策を自分で見つけられるようにすることだった。
現在、私は、NPOで、本人や親が悩んでいる、上は37歳から下は7歳の子までの子どもたちを相手に、信田と同じく、緊張をもって対等に接している。
不登校の子や発達障害の子などを相手にしたNPOの経営も難しく、自治体の補助にある放課後デーサビスのおかげでようやく成り立っている。自治体の補助のないと、高額のサービス料金を払える子しか救いの手を差し伸べられない。もちろん、高額といっても、カウンセリング料や個別指導学習塾の料金より安いのだが。
信田は、本書で、大学の教授や医療関係者の作ったカウンセリングの常識に異議をいろいろと申したている。私の経験と照らし合わせて、うなづけるところが多い。
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