きょう、12月18日は、79年前に昭和天皇がアメリカに宣戦を布告した日である。
大日本帝国憲法によれば、
第3条 「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」
第11条 「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」
第13条 「天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス」
敗戦後、明らかになったのは、誰もアメリカに勝つと思わなくて、天皇に開戦を言わしめたことだ。国力に10倍の差があったにもかかわらずだ。
ここで、「アメリカに勝つと思わなくて」の言葉に注意がいる。1941年にまだドイツがイギリスに勝つと思っている人々が日本にいたのである。憶病で卑怯者なのに、誰かに頼って強いものに勝つのだと、正義ぶって、ヒロイズムぶって、勝ち馬に乗ろうという人間がいる。残念なことに。
そういうクズ人間たちが、当時、日本政府を形作っていて、「神聖な」天皇にアメリカとの戦争を宣言させたのである。彼ら、クズ人間たちは自分のメンツと地位保全ばかりに気をくばり、自分たちが犠牲を強いることになる国民のことを考えていなかった。
開戦の直前に1941年4月に、日米修復のための交渉がはじまったが、落としどころがあり、妥結できるものだった。日本政府が、アメリカの最後通告と受け取った「ハル・ノート」には、満州国からの日本軍の撤退、朝鮮半島・台湾の放棄が含まれていなかった。
前年の1940年2月2日の立憲民政会の斎藤隆夫の帝国議会代表質問(いわゆる「反軍演説」)を読む限り、「ハル・ノート」をうけいれる考えをもつ議員が、帝国議会にいたのだ。「ハル・ノート」は蒋介石政府との和平を要求している。当時の歴代日本政府は、中国に傀儡政権を立てることにこだわっていたが、斎藤は「日本の国力を対照して」軍事力のある蒋介石政権との和平を提案したものだった。
斎藤隆夫は、また、戦争には正義がない、あるのは、力の論理だけであると演説している。そして、日清戦争も日露戦争も正義の戦い「聖戦」ではないと、つぎのように言っている。
〈わが国はかつて支那と戦った。その戦においても東洋永遠の平和がとなえられたのである。次にロシアと戦った。その時にも東洋永遠の平和がとなえられたのである。また平和を目的として、戦後の条約も締結せられたのでありまするが、平和が得られましたか。得られなかったではないか。平和が得られないからして、今回の日支事変も起こってきたのである。〉
ここで「日支事変」は「日中戦争」のことである。
きょうの朝日新聞は、真珠湾攻撃に参加した航空兵の大変さを記事にしているが、感傷にひたる問題ではなく、日本政府が国策を誤った要因を、あらためて、読者に訴えるべきでなかったのか。《耕論》の格好のテーマになるのではないか。「明治維新」「昭和維新」を批判する必要をも感じる。
私は、日本政府の誤りは、明治政府が「尊王攘夷」の幕末の動乱を反省せず、「富国強兵」路線に走ったことにあると思う。「正義の戦い」はないという斎藤の指摘は正しいと思う。日清戦争も日露戦争も講和条約で相手から賠償金をとっており、日本の領土拡張に結び付けている。おとぎ話の『桃太郎の鬼退治』と同じく、闘って相手から財宝をうばいとることが、戦争の目的だった。
歌人の斎藤茂吉が精神医学を学びにドイツに留学していたときのことである。精神医学の第1人者エミール・クレペリン教授に握手を求めたところ、握手を拒否されたという。他の東南アジアの留学生とは教授がにこやかに握手をしたにもかかわらずだ。斎藤茂吉は、つぎのように推察した。第1次世界大戦でドイツがイギリス、フランス、アメリカと激しく戦っていたときに、日本軍は中国に出兵し、中国でのドイツの利権を奪ったことを、クレペリンが恨んでのことではないかと。
日本の陸軍は、そういう卑怯な行為を繰り返しながら、いつも聖戦を唱えてきたのだ。
第2次世界大戦で、ドイツがオランダ、フランスを占領したことで、東南アジアのオランダ領、フランス領の軍事力が弱くなったのを見て、日本陸軍は南方作戦を展開し、これらを占領する。
まさに、「卑怯な桃太郎」の鬼退治の繰り返しである。
とても残念なことに、「戦後70年の安倍談話」では、聖戦を唱えながら、実態は、戦争で儲けを求める日本軍の伝統を隠している。きちんと、戦争には正義がないという、真実を見つめ直すべきである。
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