猫じじいのブログ

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今の英語教育は昔より改善されている、話せないのは勇気の問題

2024-05-14 17:17:44 | 教育を考える

日曜日の朝日新聞《声》のコーナーに「高校の英語 文法より実用重視を」という高校生の投書があった。外国人観光客に英語で道を聞かれたら咄嗟に英語が口から出なかったが、それは高校の英語教育が悪いという要旨である。

本当かな、というのが私の正直な感想である。

私はバリバリの理系の人間で英語が嫌いであるが、放課後デイサービスでは、子どもの求めに応じて英語も教えている。私が知ったのは、中学も高校も英語の教科書は現在コミュニケーション英語になっていることだ。大学入試もすでに文法重視から実用的な英語になっている。

私は、その高校生が勇気がないから話せなかったのではないか、と疑う。道を聞かれたとわかったのだから、少なくともリスニングの第一歩をクリアできたのだ。だから、答える単語が思いつかなくても、身振り手振りで答えることができたはずである。

カッコいい英語で発音できないと思ったから、口から声がでなかったのではないか。相手の困りごとより、自分の見栄を優先したのではないか。

数年前、不登校の中学生を担当したら、英語の勉強とは単語を覚えることだと彼は思いこんでいた。単語帳で単語を覚えようとしている。いっぽう、私は、英語の勉強は英語の言い回しを覚えることだ、と考える。教科書ぐらいは読んだ方が良い。しかし、単語の知識だけでも、道を教えることができる。

この4月から担当した高校生は、とつぜん、英検5級を受けたいと私に言った。始めてみてわかったのは、英語のスペルはまったく読めず、リーディングは全滅だということだ。それにもかかわらず、彼は大声で英語を読み上げようとするので希望が持てる。

私が感心するのは、彼がリスニングができることである。彼は、重要な単語をいくつか聞き取ることができ、文法は分からなくても、言っている内容を推察することができることだ。過去問の9割がたを正解する。できなかったものの1つは、絵を見て、コーヒーカップとスプーンとの位置関係を正しく言っている文(もちろん音声)の番号を選択する問題だった。答えは、“A spoon is by a cup.”である。前置詞によって意味が違ってくることを知っているかを問うているのだ。

英語には、ラテン語やギリシア語と比べて、文法らしい文法はない。前置詞の使い分けは、文法ではなく、言い回しの問題である。私がカナダにいたとき、きっすいのカナダ人のなかに、移民や外国人学生の英語をバカにする人がいた。発音やアクセントでない。前置詞の使い方で、ネイティブかネイティブでないがすぐわかると私に言う。彼にとって、私などの英語は、きっと、助詞がない、あるいは、助詞が間違っている日本語を聞いているようなものなのだろう。

だから、高校で言い回しを勉強することは、良いジョッブを獲得するために無駄ではない。しかし、それは文法ではない。理屈で正しい使い方が分かるものではない。

話す英語は、まず、勇気をもって声を出すこと。それを誰かのせいにするのは、いただけでない。



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