猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

売れている本、マイケル・サンデルの『実力も運のうち』

2021-06-19 23:33:09 | 思想

きょうの朝日新聞〈売れてる本〉に、荻上チキが、マイケル・サンデルの『実力も運のうち 能力主義は正義か?』(早川書房)を紹介していた。

本当に売れているようだ。新聞を見て横浜市の図書館に本書を予約したのだが、予約順位は193位だった。いま、これを書いているとき、数時間で、予約数が増えて、204人になっている。

サンデルは11年前、NHKの『白熱教室』でハーバード大学の学生に社会正義とはなにかを教えていた学者だ。高校を中退して引きこもっていた息子と一緒に熱心に毎回見ていた。サンデルは、学生に、大学が成績で入学者を選抜するのは正しいことかを問うていた。

本書が人気のある理由は、メリトクラシーを道徳的理由から否定するからのようだ。メリトクラシー(meritocracy) はメリット(merit、「業績、功績」)とクラシー(cracy、「支配、統治」)を組み合わせた造語。個人の持っている能力によってその地位が決まり、能力の高い者が統治する社会を指すらしい。

アメリカで起きたトランプ現象も、メリトクラシーへの反抗として、サンデルは説明しているようだ。

本書が読めるようになるのはずっと先だから、ここでは、インタネット上の『読書メーター』への投稿をもとに論じてみよう。

投稿に「現代の社会的分断の根底にある右派左派共に事実上認めている能力主義を批判」(あくぱ)とあるが、民主主義は人間関係の上下を否定し、メリトクラシーを否定している。ひとはみな対等である。「右派左派共に事実上認めている」というのは間違い。

「ブレア首相も能力主義を称揚」(藤宮はな)とあるが、ブレア首相は決して左派ではない。プレディみかこの言うように、「能力主義」のもと、イギリスの労働党の社会福祉の伝統を破壊した張本人である。ブレアが共和党のブッシュ大統領のイラク侵攻を支持したのも、「国益」というトンデモナイ考えに基づく。「国益」なんて まやかしだ。

メリトクラシーというのは、現状の格差、人間社会の上下関係を正当化するための屁理屈である。欧米では、哲人による統治を説いたプラトン、予定説で不平等を神の摂理としたカルヴァン派に源をもつ。中国では、皇帝統治を不安定化する姻戚の力を否定するために始めた科挙制度(官僚採用試験)に起源をもつ。

格差や上下関係を否定しない右派左派は ともに偽物である。共産主義とは、すべての財産を共有することで、すべての格差や上下関係関係を否定することである。

同じく、「一見、平等そうな”競争社会”が、いかに社会に大きな亀裂を生んでいるか」(Gasse)とあるが、格差や上下関係の存在を認める「競争社会」は否定すべきである。

「メリトクラシーのもとで社会の"下層"に置かれた人々が受けてきた"屈辱"がポピュリズムの隆盛につながる」(Gasse)は、A.R.ホックシールドの『壁の向こうの住人たち』 (岩波書店)と同じ視点である。そのとおりと思うが、「ポピュリズム」は決して悪いことではない。私は、それが「罵り言葉」と使われているのが納得できない。

「本書は〈辛抱強く並んでいた白人中産階級の列に、黒人や女性、移民、難民などが割り込んできた〉という例えを肯定的に引用」(荻上チキ)とあるが、この例えは、ホックシールドの『壁の向こうの住人たち』にもでてくる。

人間社会に格差や上下関係があること自体が社会正義に反するから「辛抱強く並んで」待つ必要はない。去年の暮れに起きた米国議会場に突入したのも、トランプに煽られて突入したから情けないのであって、「突入」そのものはアメリカ国民がもつ権利である。米国議会場はアメリカ国民みんなのものである。誰でもが、議長席、議員席に腰掛けてよい。

「アメリカは機会の平等を標榜」(chiro)の「標榜」という言葉のニュアンスはわからないが、「機会の平等」は、格差や上下関係を肯定するもので、「競争」と同じく、偽物である。

10年前にアメリカで「ウォール街を占拠せよ(Occupy Wall Street)」という運動が起き、金融街に座り込みとテント村が出現した。このとき、アメリカ政治思想研究者の中山俊宏は、「機会の平等」を唱えるアメリカン・ドリームが今崩れ落ちているのだ、とNHKテレビで解説した。「アメリカン・ドリーム」は既得権層が後からくる移民をだまかすための幻想だが、もはや、その機能さえ、果たせなくなった、と語った。

格差や上下関係は人間社会にあってはならない。

「実力も運のうち」というのは若者が知っておくべき教訓である。

 

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東京オリンピックはすべきでない、尾身茂の提言は腰が引けている

2021-06-18 23:03:26 | 新型コロナウイルス

きょう、午後6時から、分科会会長の尾身茂が東京オリンピックの新型コロナ(COVID-19)感染対策の提言を行った。

腰が引けていると思う。東京オリンピック中止が、感染対策上1番リスクが低い。それなのに、無観客が1番リスクが低いと提言している。無観客でも、海外から選手が来る、選手団関係者が来る、IOC関係者が来る、IOC関係者の家族が観戦や観光に来る。国内からも選手や大会関係者、ボランティアが来る。そして、彼らは再び戻っていく。感染拡大、また、新しい変異種の持ち込みのリスクは小さくない。

無観客が1番だという言い方は、政府が観客ありで開催することを想定している。実際、政府にお願いしているのは、政府の国内イベント基準、50%または1万人より、厳しい基準で、都道府県の境を越えないようにということである。

東京オリンピックをやってしまえば、お願いの後半なんて守られるはずはない。大会開催のため、大会関係者やボランティアは、都道府県の境を越えざるをえない。観客も、都道府県の境を越えて入場券を売ってしまっている。境を越えているか否かなど、守られるはずがない。

尾身会長を責めているのではない。責めるべきは、もっと腰が引けている日本のテレビ局であり、理由説明をしない菅義偉である。テレビの多くは、コロナ禍にもかかわらず、盛り上がれ、浮かれよ、とオリッピク特集をすでに放映している。

日本社会の問題点は、宇野重規が指摘するように、権力者が、理由を説明することもなく、同意を求めることもなく、既成事実を積み上げ、しかたがないじゃないか と 諦めさせてことをなすことである。日本国憲法は、国民が主権者としている。本来は、国民が権力を持っていなければならないのに、政府が東京オリンピックの開催を決め、国民への説明も国民の承諾もなく、東京オリンピックを強行する。

何のため、東京オリンピックを強行するのか。

国旗や国歌の前で国民がおいおいと泣くのを見たいからなのか。選挙のためなのか。

説明も同意もないオリンピック強行は、憲法に違反するのではないか。民主主義に反するのではないか。

こんなことを許して良いのか。いまこそ、憲法のいう基本的権利、表現の自由を行使すべきではないか。

[補遺]

ちょうど今、日本生命、SMBCは、東京オリンピック応援の広告をテレビで流していた。日本生命なんか入らないぞ。SMBCを利用しないぞ。


民主主義はどこも悪くない、ひとはみな対等である

2021-06-17 22:25:03 | 民主主義、共産主義、社会主義

きょうの朝日新聞の〈インタビュー〉は宇野重規だった。『民主主義を信じる?』が記事のタイトルである。疑問符?は記者が勝手につけたもので、宇野は、私と同じく民主主義の擁護する。

私は、彼の『トクヴィル 平等と不平等の理論家』(講談社選書メチエ)を読んでいたが、最近の本、『民主主義を信じる』(青土社)や『民主主義とは何か』(講談社現代新書)を読んでいなかった。これらを読んでみたくなった。

民主主義を否定する、あるいは、信頼しない理由が、私はわからない。

19世紀の「民主主義」の否定は、大衆の登場によって、自分の地位が脅かされることのエリート層の不安である。フリードリヒ・ニーチェの著作を読むと、「愚かな大衆」が発言しだすことの不安が前面にでている。

しかし、自分の意志が、「愚かな大衆」のたわごとと無視される側からすれば、民主主義ほど、素晴らしいものはない。

「民主主義」を否定する者は、自分だけが優秀で、ほかの者は口答えするな、という立場である。菅義偉は、自分は首相だからすべて自分が決めるんだ、という。私からすれば、彼は明らかに横暴な人間である。

宇野重規は、ポピュリズムについて、つぎのように言う。

《ポピュリズムは民主主義の敵とされることもありますが、『腐敗したエリートたち』によって自分たちの声が排除されているという、異議申し立ての側面があります。もっと参加させろ、と》

私もそう思う。「ポピュリズム」は決して悪いことではない。ところが、新聞などでは、よく「ポピュリズム」という言葉を罵り言葉として使う。「愚かな大衆」は黙っていろという趣旨で使う。

藤原貴一は民主主義を「代議制」だと言っていたが、宇野重規はこれを否定する。

《歴史を振り返ると、民主主義と議会制は本来、別のものでした。少なくとも18世紀までは、市民による直接的な統治である民主制と、選ばれた代表者による意思決定である共和政は明確に区別されていました》

私は、民主主義とは、人はみな対等であるという原則に基づき社会をきずくことだと思っている。宇野重規の『トクヴィル 平等と不平等の理論家』もそれに近い考えを書いている。代議制とは単なる便宜的なもので、いったん、選ばればなんでもやっていいわけではない、少なくても民主主義を否定することはやってはいけない。それを防ぐために、「表現の自由」の1つにデモの権利がある。そして、どれだけ、少人数であっても、デモを堂々とすべきであると思う。

宇野重規は、現在の日本社会をつぎのように批判する。

《自分たちが意見を言おうが言うまいが、議論をしようがしなかろうが、答えは決まっている。ならば誰か他の人が決めてくれればそれでいい――そういうあきらめの感覚に支配されること。これこそが民主主義の最大の敵であり、脅威だと思います》

安倍晋三、菅義偉は、政治をヤクザの抗争のように、戦国時代の天下取りのようにみなし、大衆のいうことは聞こえないふりをし、大衆を諦めに追い込もうとしている。どの政党もくだらないものと思わせ、棄権に追い込もうとしている。

これに逆らうには、自民党に反対する政党に投票するか、自分自身で党をつくるか、デモの権利を実行するかすればよいのだ。

民主主義では、みんなが対等である。自分が自分の意見を言うことは悪いことでない。それが、個人の尊重である。政府は、国民を統治するのではない。政府は、国民にサービスする機関である。

 

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菅義偉のG7貢献「五輪 全首脳が支持」メルケルとの会談では?

2021-06-16 23:02:32 | 経済と政治

きのうの朝日新聞4面に、『首相「五輪 全首脳が支持」ドイツとの会談では触れず』という小さい記事があった。見出しがちょっと奇異なのは、記事の内容が、菅義偉は「五輪 全首脳が支持」というが、日本外務省による発表では、メルケル首相との首脳会談で東京オリンピックへの言及がなかった、というものだからである。

G7の首脳に日本から訴えることが、東京オリンピックに選手を派遣してください、というのも情けない。これを、メルケル首相が取り合わなかったことに、彼女の見識の高さが伺える。

新型コロナ(COVID-19))禍の中で、特にインド型(δ型)変異株が増える見込みの中で、医療関係者に負担をまし、人流をふやす、東京オリンピックをなぜ強行するかの説明を、菅はいっさい行っていない。そして、今回、G7の権威に頼ろうとしたのである。

私は、察するに、菅が強行する第1の理由は、選挙目当てであると思う。強行することで、こわもての保守政権のイメージを売り込みたい。また、日本国旗や国歌においおい泣きたい人が自民党に投票してくれるだろう ということである。

第2の考えられる理由は、経済的理由だと思うが、この状況下での強行は、東京都の借金を大きくし、日本の景気回復をむずかしくするという危惧のほうが大きい。

第3は、私だけの邪推だが、ファイザー社のワクチンのEUの輸出認可を受けるときに、IOCのメンバーに裏で動いてもらったのではないかということである。IOCのメンバーは日本国民をバカにしている。また、オリンピックが始まると、ファイザー社ワクチンの入荷が急に減るのではと思う。

アマスポーツの選手たちは、政治に利用されているのだが、文句を言えない苦しい状況に追い込まれている。彼らに変わって、日本国民はオリンピックはいらないと意思表示をしよう。

菅政権は、ワクチン接種の拡大に期待しているが、7月23日までに2回接種を終えるのは、国民の10%にもいかないであろう。そして、イギリスのイングランドで起きていることは、ワクチン接種は感染の拡大を抑えるのに無力であることだ。東京オリンピックは、新型コロナ感染の再拡大を引き起こすだろう。予測不確実の世界に突入するだろう。

東京オリンピックの前に東京都の選挙があるが、今度こそ、都民に自民党に厳罰を与えて欲しい。オリンピック観客を増やしたいという自民党や公明党に投票せず、少なくとも、無観客をいう都民ファーストに投票してほしい。できれば、東京オリンピック延期や中止をとなえる立憲民主党や共産党に投票してほしい。

パラオリンピックが終わると、国政選挙である。ここでも、東京オリンピックを強行する自民党、公明党、維新の会にNOを突きつけよう。


ベルリンの「かざぐるま」デモ、日本の東京オリンピック強行

2021-06-15 22:18:12 | 思想

3週間前に多和田葉子のベルリン通信『住みたい世界、風車に思う』が朝日新聞にあった。新型コロナ禍ということで、日本より厳しい行動規制下にある、ドイツの日常の報告である。

《 少しでも天気がいいと、家の近くの公園には子供たちが雀(すずめ)のように群がって遊んでいる。見守る親たちも騒がしくお喋(しゃべ)りに花を咲かせている。……。ジムもヨガ教室も子供のサッカー教室もロックダウンで閉鎖されている中、子供と近所の公園で遊ぶというシンプルな時間の過ごし方が見直されているのかもしれない。》

マスクをしているのだろうか。

《 ショッピングという時間の過ごし方も忘れられつつある。……。映画館も美術館も図書館も閉まっていて、コンサートも演劇もないベルリン。個人宅にも家族以外は一人までしか招き入れることができず、夜間外出も禁止され、個人の生活分野まで法的規制がかかっている。》

こんなに、私生活が規制されているのに、「住みたい世界」というタイトルに驚く。日本では緊急事態が宣言されているのに、デパートは開いているし、塾もなんでもないように開いている。1か月後に東京オリンピックは、菅義偉の意向で、会場に観客をいれて行う予定であるという。単に飲食店の時短規制だけである。

それにもかかわらず、多和田がドイツ政府に信頼を寄せているのは、つぎの理由からだ。

《 そんな中でちょっと意外なものが禁止されていない。デモである。事前に申請し、マスクをして間隔をとって歩くなどの規則を守れば問題ない。デモをする権利はそこまで重要な権利として保障されているのかと思うと、言論の自由のありがたさが身に染みる。》

東京書籍の公民の中学教科書に「表現の自由」としてのデモの権利が載っていなかった。右翼であるはずの育鵬社の以前の教科書にはデモの権利が載っている。日本の文部科学省はデモの権利を否定したのだろうか。

報告では、多和田の参加したのは「風車(かざぐるま)」というデモである。手作りの風車をもって、参加するデモである。毎年、開かれているデモである。風力発電に反対するのではなく、原子力発電に反対するデモである。

しかし、デモに参加することで、自分たちの存在を主張することを楽しんでいるようである。「家賃の上限制限を求める団体の人たち」や「右翼に反対するおばあちゃんたちの会」の人たちもいるという。

ドイツは2022年に原子力発電所をすべて撤廃する。

日本の右翼「自民党」「公明党」「維新の会」は、理屈抜きで、原子力発電を敢行し、東京オリンピックを敢行する。いつから、日本人は、おかみに従う従順な家畜の群れになったのか。

今年のベルリンでは、「冷たい風が吹き、氷の混ざった雨が時々降っていた」中で、3 月 6 日 (土)、かざぐるまデモが行われたとのことである。