きょうの朝日新聞〈売れてる本〉に、荻上チキが、マイケル・サンデルの『実力も運のうち 能力主義は正義か?』(早川書房)を紹介していた。
本当に売れているようだ。新聞を見て横浜市の図書館に本書を予約したのだが、予約順位は193位だった。いま、これを書いているとき、数時間で、予約数が増えて、204人になっている。
サンデルは11年前、NHKの『白熱教室』でハーバード大学の学生に社会正義とはなにかを教えていた学者だ。高校を中退して引きこもっていた息子と一緒に熱心に毎回見ていた。サンデルは、学生に、大学が成績で入学者を選抜するのは正しいことかを問うていた。
本書が人気のある理由は、メリトクラシーを道徳的理由から否定するからのようだ。メリトクラシー(meritocracy) はメリット(merit、「業績、功績」)とクラシー(cracy、「支配、統治」)を組み合わせた造語。個人の持っている能力によってその地位が決まり、能力の高い者が統治する社会を指すらしい。
アメリカで起きたトランプ現象も、メリトクラシーへの反抗として、サンデルは説明しているようだ。
本書が読めるようになるのはずっと先だから、ここでは、インタネット上の『読書メーター』への投稿をもとに論じてみよう。
投稿に「現代の社会的分断の根底にある右派左派共に事実上認めている能力主義を批判」(あくぱ)とあるが、民主主義は人間関係の上下を否定し、メリトクラシーを否定している。ひとはみな対等である。「右派左派共に事実上認めている」というのは間違い。
「ブレア首相も能力主義を称揚」(藤宮はな)とあるが、ブレア首相は決して左派ではない。プレディみかこの言うように、「能力主義」のもと、イギリスの労働党の社会福祉の伝統を破壊した張本人である。ブレアが共和党のブッシュ大統領のイラク侵攻を支持したのも、「国益」というトンデモナイ考えに基づく。「国益」なんて まやかしだ。
メリトクラシーというのは、現状の格差、人間社会の上下関係を正当化するための屁理屈である。欧米では、哲人による統治を説いたプラトン、予定説で不平等を神の摂理としたカルヴァン派に源をもつ。中国では、皇帝統治を不安定化する姻戚の力を否定するために始めた科挙制度(官僚採用試験)に起源をもつ。
格差や上下関係を否定しない右派左派は ともに偽物である。共産主義とは、すべての財産を共有することで、すべての格差や上下関係関係を否定することである。
同じく、「一見、平等そうな”競争社会”が、いかに社会に大きな亀裂を生んでいるか」(Gasse)とあるが、格差や上下関係の存在を認める「競争社会」は否定すべきである。
「メリトクラシーのもとで社会の"下層"に置かれた人々が受けてきた"屈辱"がポピュリズムの隆盛につながる」(Gasse)は、A.R.ホックシールドの『壁の向こうの住人たち』 (岩波書店)と同じ視点である。そのとおりと思うが、「ポピュリズム」は決して悪いことではない。私は、それが「罵り言葉」と使われているのが納得できない。
「本書は〈辛抱強く並んでいた白人中産階級の列に、黒人や女性、移民、難民などが割り込んできた〉という例えを肯定的に引用」(荻上チキ)とあるが、この例えは、ホックシールドの『壁の向こうの住人たち』にもでてくる。
人間社会に格差や上下関係があること自体が社会正義に反するから「辛抱強く並んで」待つ必要はない。去年の暮れに起きた米国議会場に突入したのも、トランプに煽られて突入したから情けないのであって、「突入」そのものはアメリカ国民がもつ権利である。米国議会場はアメリカ国民みんなのものである。誰でもが、議長席、議員席に腰掛けてよい。
「アメリカは機会の平等を標榜」(chiro)の「標榜」という言葉のニュアンスはわからないが、「機会の平等」は、格差や上下関係を肯定するもので、「競争」と同じく、偽物である。
10年前にアメリカで「ウォール街を占拠せよ(Occupy Wall Street)」という運動が起き、金融街に座り込みとテント村が出現した。このとき、アメリカ政治思想研究者の中山俊宏は、「機会の平等」を唱えるアメリカン・ドリームが今崩れ落ちているのだ、とNHKテレビで解説した。「アメリカン・ドリーム」は既得権層が後からくる移民をだまかすための幻想だが、もはや、その機能さえ、果たせなくなった、と語った。
格差や上下関係は人間社会にあってはならない。
「実力も運のうち」というのは若者が知っておくべき教訓である。
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