にゃんこままの部屋

その時々に感じたことを、日記風につづります。

千住明さん「スタジオパークからこんにちは」に出演

2007-10-17 15:21:16 | 映画  テレビ
NHK「スタジオパークからこんにちは」
作曲家の千住明さんの出演でした。


番組の最初にNHK大河ドラマ「風林火山」のテーマ曲をピアノ演奏して
くださいました。
いつも聴いているドラマのテーマ曲とはまた違ったピアノ
ならではの繊細でパーティスティックなひびきに
聴き入ってしまいました。

千住さんが、スタジオパークのために特別に編曲してくださったそうです。
千住明さんのピアノ演奏とストリングストのコラボレーション
(千住さんのピアノ+弦楽5重奏+フルートという全7名の編成)
..なんとも贅沢なひとときでした。




大河ドラマは主人が嫌いなので、なかなか観ることが出来ないのですが、
番組最初のメイン・テーマはしっかり毎回聴いています。

千住さんは大河ドラマの音楽は初めて担当されたそうです。
NHK朝ドラでは「ほんまもん」の音楽を担当されていました。

大河ドラマ「風林火山」は音楽のクラシカルな部分だけではなく、
ポップスや現代的なものなど全てが出せて、まさに期が熟した感じで、
この時を待っていた、と言われてましたね。


「風林火山」の井上靖さん原作を最初読んで暗いものを感じたので、
もっとクラシック調な音楽を考えておられたそうですが、

大森寿美男さんの脚本を読んでみると、
脚本ではそれをわくわくする青春の、骨太なドラマになっていて、
音楽も、青春を生きる、愛する、というロマンあふれるものにしようと思って
作られたそうです。
クラシックに、エンターティメント性を
加味して、よりドラマティック、ロマンティックに仕上げたと
言っておられました。

このお仕事の話が来たのは、2年ぐらい前で製作には一年程かかったそうです。
 テーマ曲、そしてドラマの挿入曲、アレンジ違いなどを入れると400曲ぐらいは
あるということで、1曲、1曲、場面に使われる曲には
スタッフがわかりやすいように タイトルがついていました。


一年間全国で、海外でも放送される大河ドラマ、その毎回毎回、最初に聴くテーマ曲

は、そのドラマでも本当に重要なものですね。それだけ大変でもあり、
やりがいのある
お仕事でもあるし、千住さんの念願、夢でもあったのですね。








千住明さんのお父様は慶應大学教授の千住鎮雄氏でした。

千住明さんのお兄様は、日本画家の千住博さん、
妹さんは、世界的に有名なヴァイオリニスト千住真理子さんであることは
有名ですが、お二人の兄弟を支える役割もされてこられました。

千住さんは最初、学者のお父様の跡を継ぐと言う気持ちから
慶應幼稚舎からずっと慶應一筋でしたし、そのまま
慶応大学に入学、コンピュータ音楽や人間工学の面から音楽を研究できる工学部(現理工学部)に進学を決めます。
しかし、やはり1年生のうちに、自分は将来作曲家になるという決意を固めます。
この決意をお父様に告げるとお父様は「それはよかった」と喜び、
早速家族を集めて乾杯しました。
乾杯の席で、お父様は「明の慶應の学籍を抜いてきた」とおっしゃったそうです。

“千住さんは驚きました。なぜなら、千住さん自身は、
慶應大学を卒業してから作曲家を目指してもいいかとも考えていたからです。
しかし、もはや背水の陣、後戻りはできません。

当時お父様に言われたことは、30歳まで時間をやる。
もし芽がでなかったら、その時点で普通の大学に入り直せということでした。
千住さんは、約10年の猶予期間をもらったわけです。
千住さんにとって、必死に勉強して芸大に入学し、
「ドレミ」から音楽の基礎をやり直した20代の日々はいわば「修行」であり、
プロになるための必要なパスポートだったと考えているそうです。
それまでは、いかに楽をするか、楽に生きるかばかりを考えていた千住さん
でしたが、
20代の修行期間を通じて緻密な性格に生まれ変わったと話されていました。”

          ー千住明さんの「クリエイティビティーのある人生を」受講生レポートより


7年前に亡くなられたお父様が大の大河ドラマファンで、
「明はいつ大河を担当できるのかなぁ」とおっしゃっていたそうで、
身震いするほど躍動的な風林火山のテーマを天国で聴いておられることでしょうね。


そのメインテーマ曲の完成秘話ですが、6曲できて、最終的には2曲のうち
どっちを?と悩まれたそうです。
 『A・幻のメイン・テーマ』『B・メイン・テーマの原型』
 迷った時には母に聞く。千住兄弟は何か困ると、イエス・ノーをはっきり言ってくれる
お母さまに聞くのだそうです。

 聞いたお母さんは「このままいったらAだね。だけどBが惜しいんだよね」
 馬が勇壮に走る絵を見せると「Aはちょっとおっとりしている。Bでもう少し
馬が走ってくれたらいいのだけどね」

 その母のひと言で、明さんは3時間でメロディーを書き直したそうです。
  そこに物理的な法則というか、エネルギーの話までなって、
 普通にミレドというメロディーをミーレド(オクターブ上のレに跳ばす)して
跳躍させ不協和音なんだけど、無理やり力まかせに跳び上がらせることに
よって、ここにエネルギーを感じることができると言うのです。
 凄いですね!そして、生まれ変わった8小節が出来上がりました。

幻のメインテーマもとても美しいメロディーで優しい感じでしたし、
そのままいったら、このAになっていたかもしれないのですが、こうして聴くと
その3時間で書き直された完成曲は、本当にエネルギーを感じさせられる、
 不屈の魂と言うか元気になるような感じがしますね。

 こういうメロディーは考えたからと言ってなかなか浮かんで来ないそうで
 その時、何かが降りて来た。そう千住さんはお話していました。

 そして出来上がった完成曲を聴いた、お母さまは、
 「馬の足どころか、耳が見えた!」そう言われたんだそうですよ~!
 このお母さまの感性が凄いですね。

  そして、その出来上がったメイン・テーマ曲を出演者・スタッフに発表をするために
白い愛車に乗って、ことさらその車を白馬に見立て、白馬に乗って
撮影現場である山梨県に向ったそうです。
 その道中、一分半のデモテープを100回ぐらいは聴いたのだそうです。
 いい曲か悪い曲か迷う時には、何回も聴く、何千回も聴く、それで感動できたら
鳥肌が立ったら「自分の鳥肌に聞け、自分を信じろ」そう話され、自信を持って
出来上がった曲を皆さんに聴いてもらったそうです。



 
主演の内野聖陽さん「涙しました・・・。」と。
「あの曲は戦国生まれの人間の哀しさを乗り越えての勢いや、
哀しいけれど生きるしかない人間の心がにじみでている。
あのオープニングの曲を聴いた時、
もっとロマンあふれるものに俳優として、
山本勘助として作り上げなければと思いました。
千住さんありがとうございました。」


共演の柴本幸さんや脚本家の大森寿美男さんからもメッセージが届きました。

由布姫役の柴本幸さんは、「あの時代に生きた人間が、巨大なうずとなって迫ってくる感じだった。
子供が出来た時、勘助に、天下が動く、と伝えるときの音楽が好き」だそうです。


脚本家の大森さんは、不安でいっぱいだった時に、この曲が出来て
「これでいける、
ここまでやったことはまちがいじゃない、そう信じることができた、この音楽が
 どれほどかかせないものになったか、千住さんと共にこの作品を作れたことに
 感謝している」と。

念願だった大河ドラマの仕事を、亡くなったお父さんには聴いて
もらえなかったけれど、大河のお仕事はめぐりあいをずっと待っている。
 そう思っていた千住さんに、この「風林火山」のテーマ曲にめぐりあえたこと、
このために今まで僕は大河をやらなかったんだ。そう言って、
今のご自分の全てが出せたというこのお仕事への情熱と、めぐりあった作品と
めぐりあった人達への愛情をとても感じました。






千住さんが「風林火山」の音楽について、番組のHPで述べておられます。こちらをどうぞ。






ここで、毎回「風林火山」のドラマを楽しみに見ておられる方々に
嬉しいニュースです。
それは、千住明さんが鎧甲の武者姿で、12月9日放送「風林火山」に
ドラマ出演されます。
役柄は、小幡殿という役名でセリフも一言だけあるそうです。
「かたじけない。」
お酒を飲む姿がやや、猫背になっているそうですよ。

さてどこで出演されるのでしょうか?
楽しみですね♪


*10月18日追記
  
(千住さんのピアノ+弦楽5重奏+フルートという全7名の編成)
千住さん以外の奏者を紹介しておきます。
 
  チェロ・・・西山健一さん
  コントラバス・・・西山真二さん 
  フルート ・・・若松純子さん
  ヴァイオリン・・杉田せつ子さん 江島布希子さん
  ビオラ・・・猪谷さくらさん

    以上のメンバーでした。
  

*関連記事「千葉真一さん、重大発言」も合わせてご覧下さい。










コメント (4)
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江川卓さんと、小林繁さん

2007-10-17 09:57:09 | 映画  テレビ





今日もいそがしいです~
人生楽に楽に生きようとすると、返って後半の人生に
のしかかってくるようですよ。
若い女性の皆さん、お気をつけあそばせ。








さっき江川卓さんと、小林繁さんの某CMの撮影に映らなかった二人の対談
を見て、いろいろと感じました。
「空白の1日」のことですが、世間は時間と共に忘れ去るだろうが
江川さんの脳裏にはこれからももちろん忘れられないし、返ってどんどん
重く感じられることだろうと。

「空白の1日」は大人達の責任なんですよね。

江川さんがもっとも江川さんらしかったのは
作新学院の高校時代だったかも知れませんね。

甲子園にまできて、宿舎で大学受験の勉強をしていた江川さんの
写真の載った朝日新聞夕刊阪神版を今もはっきり覚えています。

逆に小林さんは、お父さんが巨人ファンだったから、
反抗期は阪神ファンだったとのこと。
男の子は父親を意識して育つんですね。

いずれにしても現役時代は口もきかなかった二人が
江川さんのほうから小林さんと話したいなんて
興味のある対談でしたね。



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