10月2日北海道新聞朝刊(千歳・恵庭版)、 恵庭泉谷清さん(79歳)の樺太引き揚げ後のモノローグ(独白)です
引き揚げが1948年・・と遅れ函館港に着いた時のこと。身元調査等で4日ほど上陸を許されず、船上で空腹に苦しめられていた。そんな中、地元のイカ釣り船の漁師さんがポンポンとイカを投げてくれて・・(中略)・・そのイカ釣り漁師さんの温かさが「今生きるは漁師のおかげ」となっている・・・(後略)
泉谷さんも樺太での戦禍についてずっと口を閉ざしていたが、これからは話し伝えていこうと、そして話すことで二度と戦争を起こさない社会づくりの一助になりたいとも・・
[今生きるは漁師のおかげ]
[千歳・恵庭版]
「戦争」を体験した諸先輩は誰にも話したくない悲惨な過去を背負っているね。父母やおじ叔母らから、もっともっと「戦争の話」を引き出し「不戦の誓い」にしなくては・・と
引き揚げが1948年・・と遅れ函館港に着いた時のこと。身元調査等で4日ほど上陸を許されず、船上で空腹に苦しめられていた。そんな中、地元のイカ釣り船の漁師さんがポンポンとイカを投げてくれて・・(中略)・・そのイカ釣り漁師さんの温かさが「今生きるは漁師のおかげ」となっている・・・(後略)
泉谷さんも樺太での戦禍についてずっと口を閉ざしていたが、これからは話し伝えていこうと、そして話すことで二度と戦争を起こさない社会づくりの一助になりたいとも・・
「戦争」を体験した諸先輩は誰にも話したくない悲惨な過去を背負っているね。父母やおじ叔母らから、もっともっと「戦争の話」を引き出し「不戦の誓い」にしなくては・・と