むにゅむにゅむにゅ・・

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『戦後73年樺太回想』

2018年11月30日 | スケッチ・マンガ
3年ほど前に「「イラストが語る戦争と平和」」と題して新聞掲載が始まった
併せて北海道新聞社千歳支局会議室で開催した「「戦後70年・・・みんなに語り継ぎたい原画展」」に来ていただいた市内在住の山本邦彦さんとのご縁で樺太(現:サハリン)での終戦~引揚までを描いた
今年は戦後73年になる。山本さんの想像を絶する体験を・・・「後世に語り継ぎたい・残したい」との思いに寄り添って描かせていただいた。平和の尊さをしっかり噛みしめながら

[戦後73年樺太回想]

5枚にまとめた

[赤鬼が来た!!]

三菱鉱業所の社宅に兄と留守番をしていた時、赤鬼みたいな形相の旧ソ連兵数人が銃を持って家に上がり込んできた。とっさに兄と押入れから屋根裏に隠れ、息を殺して・・・

[旧ソ連軍に追われ・・]

塔路地区は南下する旧ソ連軍に追われ・・・引き揚げ時避難する住民たち・・・毎日10里(40㎞)も逃げて。ケガで倒れている人、力尽きた老人が道端にころがっていた・・・

[三菱鉱業所第2坑道・・]

昭和20年8月13日。三菱鉱業所第2坑道に塔路地区等の住民1400名が閉じ込められた。母は「入らなければ銃殺されるよ!!」母はしっかり抱きしめてくれた。人であふれる坑道・・・

[真岡港・・]

昭和22年6月26日。真岡港に来た引揚船會寧丸に渡船場の小船から船に貼られた網梯子によじのぼる。手をすべらせ海に転落する者も・・・

[引揚船會寧丸の船内・・]

昭和22年6月26日~7月5日。真岡から函館へ向かう引揚船會寧丸の船内。船底でカイコ棚のような生活を強いられた。船酔いでところどころに置かれたバケツに吐く人も続出した。船橋に備え付けの簡易トイレから海へ落ちる人も・・・

それぞれ生々しい体験・・・紙に表すのは難しかったが“平和を守り続ける”一助となればと





コメント
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