健康の基本は歩き

人間は歩きを止めてから肉体的に老いてくる、精神的には何事も挑戦を諦めた時から老いてくる、今やりたい事を今出来る内に今やる

35年前の一大決心

2017-11-21 19:11:38 | 思い出
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十代の頃の自分は当然若かったが、人間は必ず歳をとり、
おじいちゃんおばあちゃんになり終えて行くんだと心得ていた。

そんな訳で「盛年重ねて来たらず」を子供心に理解し
10代と20代の多感な時の日常について日記をつけていた。
いずれ、歳をとって人生を振り返る時が来た時に自分の青春の頃は
何をしていたんだろうと思うんではないだろうかと当時推察。

昨日、壊れかけていたミニコンポを再生してみようと掃除していたら
35年前に人生一大決心の録音されたカセットが出てきた。

録音の概要は
・上の子供が小学生になった
・転居しずらくなる高学年になる前に家を建てよう
・その頃、横浜の公団に居た身にしては都会では高くて手がでない
・ならば家を建てられるであろう地方へ移転しよう
・その為には会社を辞めなくてはならない
・どうしよう
・散々考えた結論は会社を中心にして通える距離内に家を建てるのではなく
「家を建てた近くの会社に就職する」である
・時代の最先端であるIT関連の仕事をしていたので
強がりだが其れなりに転職には自信があった
・この結論に沿い退社する日取りまで決めていた

後々にこの決断の経緯について知りたくなるだろうと思い
結論に達するまでの多方面の心の葛藤を延々と録音したのである。
団地のリビングの前の六畳の部屋でごろっとなり
ラジカセで録音していた傍らには子供二人と女房が居たのを思い出す。
子供達が茶化しながら私にまとわりついていた
小学二年生と年長さんだと言う、それぞれ得意な歌も録音されていた。
この決心が良かったのか悪かったのかは60歳か70歳になった頃に
分かるでしょうとも録音されていた。
録音した記憶がないのに女房とのたわいのない日常会話も録音されていた。
多分録音停止したつもりが忘れて継続録音されていたのかと思われる
亡き妻のこの音声は今じゃ私の大切な大切な宝物。

その決断後に
横浜の洋光台とトカイナカの今の場所に公団の土地分譲が運よく当選。
私は会津の田んぼの生まれなので躊躇せず田舎を選び
転職案は実行されず都心に通勤できる最大の距離内に家を建てた。
女房は都心の港区の生まれなので「都落ち」
もろ手を挙げての賛成でなかったが仕方なく私に同意したのでしょう。
依って片道2時間10分の遠距離通勤を11年間行い、
その後は本社の移転に伴い通勤出来ず
会社借り上げのマンションに週末帰りの単身赴任生活を7年間続けた。

芸人のあれから40年ではないが、偶然にもあれから35年
ジャンク品を購入しユニットを交換したミニコンポでこの録音を聴いて
当時の一大決心を思い出している自分がいた。
課題であった「良かったのか悪かったのか」は初心貫徹とならなかったが
結果的には状況に合わせた良い決断だったのでしょう。

コマセ籠釣りでカンパチ

2017-11-13 21:45:41 | 釣行
アジ釣りは11月が最適な時期
釣れないことはないが12月になると手がかじかんで寒くなるので11月は毎週でも行きたいもんだ。
そんな訳で急遽一人で鹿島漁港へ、バイク用スマホのカーナビで出掛けた。
実は数日後、釣り仲間とアジ釣りに行くのだが釣法の試行もやりたいので待てない。

会社は月曜日が休みなので日曜日の仕事は午前中で終わらせて釣れる時間帯である夕まずめと翌朝の朝まずめを狙った。
午後3時から竿を出したがうんともすんともの時間が数時間
今日は駄目かと諦めかけていた時、アジにしては異常な引きが有った、リールの巻きが重い、姿が見えた、大きい。
隣の釣り人がボラか?、私は魚の名前が出てこなかったので「違う」と一言。
こんな大きな魚がかかった時の為に今回からハリスの太さを2号に変えていたので躊躇なく抜きあげた。
41cmのカンパチ

その後も午後10時頃までポツリポツリ釣れたが、真夜中は釣れないので仮眠しようと車で持参のタオルを掛け横になった。
・・・がやはり寝たいのだが全然眠気が来なかった。
結局一睡もせず、朝3時から釣り始めるも全然あたりなし、思い起こせば地元の人が誰ひとり居なかった
・・・と言う事はこの場所での朝まずめは釣れないのを地元の人は知っていたと言う事かも知れない。

仕方なく餌釣りの新しい釣法の試行を行いながら諦めて午前10時半に帰宅。
余談ですが、以前からやりたかった夕まずめから翌朝の朝まずめまでの徹底的な徹夜釣りが実施出来た。
期待のアジはあんまり釣れなかったがカンパチが釣れたので満足度は高かった、アジの爆釣は近々皆で行く釣行日に期待しよう。



555km無事生還、古稀ライダー

2017-11-05 19:08:27 | 単車
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11月の3連休はお袋の3回忌が田舎で行われたのでそれに合わせ紅葉のツーリングと洒落た。
このツーリング計画は数年前から考えていた。
私が80歳になった時に、古稀の頃の健康を自慢するため大型バイクでのツーリングの実績作りが目的。
偶然にも往復555km、各SAでの休憩を含め片道5時間、車と違い楽ではなかった。

今は笑い話で済むが
高速道路の途中でガソリンを1回補給しなければならないのはジュージュー分かってはいたが
メーターを見たら少なくなって来たので急遽レバーを予備のガソリン使用に設定し継続走行。

次のPAで補給しようとしたらガソリンスタンドがなかったので次のSAで入れようとスルーした
益々走れる距離は限られるのを肌で感じ取っていた、意に反し行けども行けどもSAに着かない。

途中でガス欠したらどうしよう、時間もお金もかかるだろうしと心配しながらエンジンの音が気になった。
登りの坂道で止まったらどうしよう、結果を想像することが難しくなかった、冷や汗もの本当に心配至極。

どうにかこうにか走り、ようやくSAに近づいたと思ったらとうとうエンジンがプスプスと言い出した。
あわててアクセルを回すも間もなく赤ランプが着いてエンジンが止まった、アチャー。

運よくそのSAまではなだらかな下りの坂道だったので惰性で走りSAのガソリンスタンドに着いた
綱渡りもいいところ、バイクの状態としては完全なる死似体だった。
ガソリン補給直後はエンジンがかかりにくかった、命拾いとはこの事かと核心から感じた。

実は、法事の当日は雨の予報だったので前日の午後仕事を早目に切り上げ古稀ライダーに変身した。
そんな訳で古稀時の健康の証が出来たので後々の自慢話のネタが出来た。

ささやかな長年の希望がかなった老人ライダーのたわいのない出来事でした。