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十代の頃の自分は当然若かったが、人間は必ず歳をとり、
おじいちゃんおばあちゃんになり終えて行くんだと心得ていた。
そんな訳で「盛年重ねて来たらず」を子供心に理解し
10代と20代の多感な時の日常について日記をつけていた。
いずれ、歳をとって人生を振り返る時が来た時に自分の青春の頃は
何をしていたんだろうと思うんではないだろうかと当時推察。
昨日、壊れかけていたミニコンポを再生してみようと掃除していたら
35年前に人生一大決心の録音されたカセットが出てきた。
録音の概要は
・上の子供が小学生になった
・転居しずらくなる高学年になる前に家を建てよう
・その頃、横浜の公団に居た身にしては都会では高くて手がでない
・ならば家を建てられるであろう地方へ移転しよう
・その為には会社を辞めなくてはならない
・どうしよう
・散々考えた結論は会社を中心にして通える距離内に家を建てるのではなく
「家を建てた近くの会社に就職する」である
・時代の最先端であるIT関連の仕事をしていたので
強がりだが其れなりに転職には自信があった
・この結論に沿い退社する日取りまで決めていた
後々にこの決断の経緯について知りたくなるだろうと思い
結論に達するまでの多方面の心の葛藤を延々と録音したのである。
団地のリビングの前の六畳の部屋でごろっとなり
ラジカセで録音していた傍らには子供二人と女房が居たのを思い出す。
子供達が茶化しながら私にまとわりついていた
小学二年生と年長さんだと言う、それぞれ得意な歌も録音されていた。
この決心が良かったのか悪かったのかは60歳か70歳になった頃に
分かるでしょうとも録音されていた。
録音した記憶がないのに女房とのたわいのない日常会話も録音されていた。
多分録音停止したつもりが忘れて継続録音されていたのかと思われる
亡き妻のこの音声は今じゃ私の大切な大切な宝物。
その決断後に
横浜の洋光台とトカイナカの今の場所に公団の土地分譲が運よく当選。
私は会津の田んぼの生まれなので躊躇せず田舎を選び
転職案は実行されず都心に通勤できる最大の距離内に家を建てた。
女房は都心の港区の生まれなので「都落ち」
もろ手を挙げての賛成でなかったが仕方なく私に同意したのでしょう。
依って片道2時間10分の遠距離通勤を11年間行い、
その後は本社の移転に伴い通勤出来ず
会社借り上げのマンションに週末帰りの単身赴任生活を7年間続けた。
芸人のあれから40年ではないが、偶然にもあれから35年
ジャンク品を購入しユニットを交換したミニコンポでこの録音を聴いて
当時の一大決心を思い出している自分がいた。
課題であった「良かったのか悪かったのか」は初心貫徹とならなかったが
結果的には状況に合わせた良い決断だったのでしょう。