健康の基本は歩き

人間は歩きを止めてから肉体的に老いてくる、精神的には何事も挑戦を諦めた時から老いてくる、今やりたい事を今出来る内に今やる

昔なつかしい「花まつり」

2019-04-18 15:22:35 | 思い出
今年の桜は
咲いた後が寒かった関係で珍しく永い事、花見が出来た
会社へ行く途中の小川のほとりの桜は
他より咲くのが遅かったので散るのも遅く今散り始めた
・・・・ので 尚更永~い事、桜の花を堪能出来た

この桜で思い出したのが今から60年以上前、田舎での子供の頃
お釈迦様誕生を祝った「花まつり」が村主催で行われた
各部落から子供達が行列を組んで神社へ歌を唄いながら
袖で鼻を拭いて綺麗でないツンツルテンの服を着て行ったもんだ
神社に着くと区長をしていた親父から皆んなに10円が配られた
桜が咲き数件お店が出ていたのを思い出す
「花まつり」で歌った歌詞は今でも覚えている

むかし~むかし~3千年
花咲き匂う春様か~
響き~渡って歌声は~
天にも地にも我一人~
立派な国に~生まれて~
富も位も有りながら~
響き~渡って歌声は~
天にも地にも我一人~

意味も分からず歌っていたもんだ
今あらためてインターネットで調べてみたら
正統派と思われる上記の歌は全然載っていなかった
いろんな人や団体がいろんな歌詞でYouTubeに載っていた
あの「花まつり」は旧暦で行われたが桜は散り始めの満開だった



初夢? 九九算の思い出

2018-01-08 17:20:05 | 思い出
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新年になって8日間も経ったので初夢ではないが子供の頃が思い出された
昨夜は全然眠気が来ず困ったので
亡き妻が大昔、子供の為に九九算勉強用に録音したカセットテープを
聞いて眠気を期待した
私が小学3年生?の頃、1クラス50名位で校庭の木の下で
九九算が出来た人から教室に戻るテストが有った
私は恥ずかしながら最後から2番目にようやく出来た
実を言うと今でも九九算が出来ない
出来ないと言うと嘘になるが小さい数字からの昇順の掛け算は出来るが
逆順の場合は今でも出来ない
例えて言えば
4X7は28ですが7X4と言われると出来ないので
頭の中で瞬時に4X7に変換し28を割り出す、これ本音
こんな事を思い出しながら女房と子供の掛け算の声で朝方ようやく寝れた

35年前の一大決心

2017-11-21 19:11:38 | 思い出
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十代の頃の自分は当然若かったが、人間は必ず歳をとり、
おじいちゃんおばあちゃんになり終えて行くんだと心得ていた。

そんな訳で「盛年重ねて来たらず」を子供心に理解し
10代と20代の多感な時の日常について日記をつけていた。
いずれ、歳をとって人生を振り返る時が来た時に自分の青春の頃は
何をしていたんだろうと思うんではないだろうかと当時推察。

昨日、壊れかけていたミニコンポを再生してみようと掃除していたら
35年前に人生一大決心の録音されたカセットが出てきた。

録音の概要は
・上の子供が小学生になった
・転居しずらくなる高学年になる前に家を建てよう
・その頃、横浜の公団に居た身にしては都会では高くて手がでない
・ならば家を建てられるであろう地方へ移転しよう
・その為には会社を辞めなくてはならない
・どうしよう
・散々考えた結論は会社を中心にして通える距離内に家を建てるのではなく
「家を建てた近くの会社に就職する」である
・時代の最先端であるIT関連の仕事をしていたので
強がりだが其れなりに転職には自信があった
・この結論に沿い退社する日取りまで決めていた

後々にこの決断の経緯について知りたくなるだろうと思い
結論に達するまでの多方面の心の葛藤を延々と録音したのである。
団地のリビングの前の六畳の部屋でごろっとなり
ラジカセで録音していた傍らには子供二人と女房が居たのを思い出す。
子供達が茶化しながら私にまとわりついていた
小学二年生と年長さんだと言う、それぞれ得意な歌も録音されていた。
この決心が良かったのか悪かったのかは60歳か70歳になった頃に
分かるでしょうとも録音されていた。
録音した記憶がないのに女房とのたわいのない日常会話も録音されていた。
多分録音停止したつもりが忘れて継続録音されていたのかと思われる
亡き妻のこの音声は今じゃ私の大切な大切な宝物。

その決断後に
横浜の洋光台とトカイナカの今の場所に公団の土地分譲が運よく当選。
私は会津の田んぼの生まれなので躊躇せず田舎を選び
転職案は実行されず都心に通勤できる最大の距離内に家を建てた。
女房は都心の港区の生まれなので「都落ち」
もろ手を挙げての賛成でなかったが仕方なく私に同意したのでしょう。
依って片道2時間10分の遠距離通勤を11年間行い、
その後は本社の移転に伴い通勤出来ず
会社借り上げのマンションに週末帰りの単身赴任生活を7年間続けた。

芸人のあれから40年ではないが、偶然にもあれから35年
ジャンク品を購入しユニットを交換したミニコンポでこの録音を聴いて
当時の一大決心を思い出している自分がいた。
課題であった「良かったのか悪かったのか」は初心貫徹とならなかったが
結果的には状況に合わせた良い決断だったのでしょう。

50年ぶりの弁当

2015-04-08 21:39:31 | 思い出

子供の成長は早いもので、孫が高校、孫娘が中学に通学し始めた

そんな訳で、親である同居している娘がこれから毎日弁当を作るとの事、そのおこぼれで私の分も作る事になった
私の毎日の昼食は、コンビニの出来合い弁当だったのが、これからは愛妻弁当ならぬ愛娘弁当と相成った
実に50年ぶりの弁当、おかずはお袋が作ってくれた昔と雲泥の差だが何処と無く懐かしさを感じた

私の場合は無料と言うわけにも行かないので有料で話しがまとまった

 


若き35歳時の心境

2014-03-05 12:20:15 | 思い出

人は必ず歳をとる、今の時間は二度と来ない「盛年重ねて来たらず」と言う諺を知っていた。

若い時から年老いる事が核心から知っていたので後々人生を振り返る時が来た時の為に
青春編として10代後半から20代前半は今思い出すとつまらない事や好きな子の事や
仕事の事や趣味の事が誤字だらけではあるが日記として綴られていた。

30代は今は亡き女房との何気ない会話や子供達のはしゃぐ声や自慢の歌声もあった
女房が子供の為の「九九算」の録音もあった
当時はビデオカメラが無かったので後々の為にカセットテープに録音していた。

実は昨晩
35歳時の5月に横浜に居住し都心での勤めを止め、地方で家を購入する為の心構えを
後々歳をとってからその時の心境を知りたくなるだろうと思い多方面について語った録音が
有ったので、それをベットで横になりながら少し涙しながら若い時の声に聞入っていた。

昔若い時に思っていたその時が来た今は、日記や録音が有るお陰でありありと我が人生の
航跡を嘘偽り無く懐かしく思い出された。

当時の私の場合は職より住を優先し退職するつもりだったが実際は地方の今の所に公団の
土地を買い家を建て2時間15分の遠距離通勤や単身赴任が始まった

今は全て開放され、地方で悠々自適では無いが時間的には自由度の高い生活をしている
今日は自営業の会社が休みの日なのでバドミントンの練習に行って来ま~す。

孫娘がお母さん(私の娘)が赤ちゃんだった頃の声を聞きたいと言うので0歳から1歳半頃の
録音が有るのでその内に聞かせようと思う、ビックリするだろうなぁ!