出羽三山信仰はそうとう古くからあるようですが、水戸ではなぜか出羽三山碑の古いものがあまり見あたりません。今まで見たうちで一番古いのが(1)でご紹介した牛伏町にある天保13年(1842)の碑です。江戸時代はこれだけで、その外の年代が分かる碑はすべて明治以降です。
観音堂(かがやき授産施設(下大野町6743-1)近く)
明治12年とあり、湯殿山を中心に供養と刻まれています。上部の梵字はアという胎蔵界・大日如来(湯殿山の祭神)をあらわしているようです。
川又観音(川又町)
大正元年と、月山を中心にした三山の下に順拝の文字があります。ほかにもう1基ありました。
香取稲荷神社(東大野158)
昭和8年とあり、月山を中心とした三山の下に参拝記念の文字があります。
大串稲荷神社(大串町2251)
月山大神を中心に三山の大神が書かれ、上部に参拝記念とあります。下方には世話人を含めて52名の大串講中の名前が刻まれています。三山碑は境内にはほかにもう2基ありました。
仏性寺(栗崎町1984)
上部にアーンという胎蔵界・大日如来をあらわす、上とは違う梵字が彫られた、湯殿山を中心にした碑です。