秩父・西国・板東 百観音巡拝記念碑(満福寺跡 大塚町495-2)
西国33所、板東33所、秩父34所の計100か所の観音霊場を参拝するという信仰形態が、江戸時代以前からあったようです。今でも大変でしょうから、ほとんどを歩いてまわる時代にはさぞかし大変な旅だったことでしょう。実際に百か所をまわったかどうかは分かりませんが、水戸では、秩父・西国・板東巡拝碑は10基くらい見ました。その外にも「伊勢・金刀比羅」、「西国・四国」といった組み合わせや、伊勢、金刀比羅、西国の単体や、富士山、出羽三山の参拝碑などの信仰の旅の碑もあります。昔から信仰の旅は多く行われ、参拝碑も数多く建てられたようです。写真は昭和61年満願とある新しい石碑です。
清酒一品 百歳(吉久保酒造㈱ 本町3-9-5)
百歳まで愛飲してもらえることを祈念しつつ、市制が百周年を超えたことも含ませて醸した酒のようです。
明治百年事業記念之碑(河和田町36°21'57.1"N 140°25'05.2"Eあたり)
県営団地建設のために部落共有地35アールを売却した代金で、明治百年を記念した事業を行ったという昭和44年に建てられた碑のようです。第二区会館、消防団詰所、観音堂、防犯灯等の建設、墓地の整備等々が行われたようです。
山百合(百樹園 元吉田町2618-1)
日本原産の植物の中でも、きれいさでは上位にランクする花でしょう。ユリを百合と書くのは、ゆりの根が、重なり合っているからのようです。写真は、百樹園で見たヤマユリです。
茨城百景(水戸八幡宮 八幡町8-54)
昭和25年に選定されたという、茨城県内の百景です。水戸市内では、偕楽園(常磐神社,千波湖,桜川,桜山,神崎寺,会沢伯民(正志斎)の墓)、弘道館と水戸城址、保和苑と藤田東湖の墓 (二十三夜尊,水戸志士の墓(酒門村も含む(選定当時))、吉田神社の見晴台(朝日山,薬王院,笠原水源地,吉田古墳,常照寺)、愛宕山とさらし井(愛宕神社,袴塚古墳,姫塚)、白幡山八幡宮(御葉附公孫樹(おはつきいちょう),那珂川鮭留漁場(青柳))の6か所で、1か所をけっこう広く見ているようです。写真は、水戸八幡宮にある石碑です。
水戸の百(1)
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