中山信名(のぶな)
水戸では大日本史編集に、江戸へ出て群書類従の校訂に携わり、幕府御家人・中山有村の養子となり、幕府の書物御用出役に出仕した中山信名は酒が好きだったようです。その辞世は「酒もの(飲)み 浮れ女(め)もみつ 文もみつ 家も興しつ 世に恨(うらみ)なし」だったそうです。未完だったそうですが「新編常陸国誌」が代表著作だそうです。
徳川光圀
徳川光圀は牛乳でつくった酒を飲んだそうです。それは牛乳と砂糖を焼酎に入れた食前酒だったようです。今でも牛乳の焼酎割りがありますから、300年前から飲まれていたということのようです。
サバデシュ
一品の吉久保酒造㈱では、サバ専用日本酒の「サバデシュ」を販売しているそうです。飲んでみましたが、確かに、サバと一緒に飲むと相性が合うようで、相乗効果があるようでした。「サバの旨味をより感じるように旨味のある辛口の酒に仕上げました。サバの脂っぽさを洗い流し、脂の甘味をより感じていただけます。」とのことです。
食菜録
徳川斉昭著とある「食菜録」という書に、「酒造る法」という項目があります。それによると、酒造りで水は第二で、米の吟味が第一である、良い米を念を入れて精米して、上方と同じ水の割合で酒をつくれば、上方と同じ酒ができるだろう、といったことが書かれています。
立原杏所
立原杏所(たちはらきょうしょ)は酒好きだったそうで、多くの逸話が残っているようですが、飲み過ぎたようで、天保の中頃に中風になったそうです。しかしそれでも酒が止められず天保11年に歩くのも大変になり、この年に亡くなったそうです。 水戸の酒の話(2)、(5)
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