寺社の墓地で、お守りする人がいなくなってしまったお墓をまとめて、そこに供養塔を建てたものをいうようです。そうしたものばかりではなく、道のかたわらにある石碑の中にもときどき見ることがありますので、行き倒れや戦災などで亡くなった人々のために建てられた石塔もあるのでしょう。
今お寺では、無縁仏がふえていて、お墓の10%にのぼるという数字もあるそうです。寺では、お墓の維持者に通知して1年以内に申し出のない場合は無縁墓として、遺骨は供養塔に合祀して墓石は処分するというのが一般的になってきているようです。
妙雲寺(見川2-103)
徳川斉昭の宗教改革で寺は焼失し、さらに明治維新の廃藩置県で藩士が離散し、650基余りの墓石が残されて無縁塔が建てられたという由来が立て札に記されています。
観音寺跡(吉沼町) 無縁供養塔
かつては大きな寺だったようですが、幕末の火災で今のような仮堂の形になったようです。無縁供養塔基壇の台石には墓石が使われているようです。
常照寺(元吉田町2723)
最近は有縁無縁という表示が多くなってきているようですが、無縁塔の前にある棹(さお)の高い灯籠には有縁無縁供養燈とあります。
大場町(大貫橋近く)
道に面して建てられている石仏群の中にあります。写真向かって左から3番目の石塔が無縁供養の碑です。旅の途中に倒れた旅人を祀った石碑なのでしょう。
三の丸3-7あたり
「この付近一帯の無縁之霊」と刻まれた石碑が住宅地の一角にたっています。
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