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水戸の西国板東秩父供養塔(2)

2020-12-23 20:45:15 | 水戸

板東西国秩父観世音菩薩(楊林寺(ようりんじ) 三湯町45)
 慶応2年(1866)の建立ですが、楊林寺入口に移された碑で、「天下太平五穀成就、村内安全講中子孫長久」とあるそうです。

 

奉納板東西国秩父供養塔(鯉渕東信号近く 36°21'06.7"N 140°22'44.2"Eあたり)
 「慶応二年龍集」とあり、18名の名前が下段に並んでいます。

 

奉念板東西国秩父観世音供養塔(筑地町実性院 36°22'19.3"N 140°22'31.4"Eあたり)
 慶応3年(1867)とあります。これら上3つの碑ができたのは、幕末の大混乱期で、今でいえばコロナ禍の中を(余りいい比喩ではないかもしれませんが)、講のメンバーが大人数で信仰の旅に出て、その成就の碑を建てるといった感じなのですから、興味がかきたてられませんか。

 

秩父西国板東供養塔(十一面観音堂 鯉淵町481)
 明治11年(1878)とあります。けっこう大きな字が彫られていますが、カビ?で見えなくなっているようです。

 

奉納板東西国秩父供養塔(鯉渕東信号近く 36°21'06.7"N 140°22'44.2"Eあたり)
 明治23年(1890)とあります。上から2番目と同じ場所にある碑ですが、20年以上の隔たりがあっても、同じスタイルでつくられているようです。

水戸の西国板東秩父供養塔(1)


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