朝(あした)には紅顔あって夕べには白骨となれる身なり(安楽寺 元吉田町2511)
平安時代の和漢朗詠集が出典で、室町時代の蓮如(れんにょ)が「白骨の章」で用いた言葉だそうです。「一瞬先は闇」が人生で、だから阿弥陀仏をたのんで念仏しなければならないといっているようです。蓮如は、浄土真宗本願寺派8世宗主で、本願寺中興の祖といわれているそうです。安楽寺は浄土真宗本願寺派だそうです。
人は善根をなせば必ずさかう(妙法安心教会 栄町)
日蓮が「上野殿御返事」で言った言葉で、善根は「よい報いを生み出す原因としての善行」、「さかう」は栄えるということだそうです。妙法安心教会は日蓮宗だそうです。
迷いの岸から悟りの岸へ合わす手と手が渡し舟(祇園寺 八幡町11-69)
仏に帰依して手を合わせることが大事であり、迷いの岸から悟りの岸へと渡ることのできる舟こそ信仰心なのだといった意味なのでしょうか。祇園寺は曹洞宗だそうです。
永劫(ようごう)の善苗(ぜんみょう)を種(う)える(妙真寺 河和田1-1646)
日蓮の初期の教学である「守護安国論」にある言葉だそうです。そのままですが、永劫普遍のよき種を植え育てるということのようです。親鸞も水戸で「五劫思惟(ごこうしゅい)の苗代に兆載永劫(ちょうさいようごう)の代(しろ)をして」と、似たような歌をうたったそうですが、農民が最多だったかつての社会で、わかりやすい農業の言葉が使われたということなのでしょう。妙真寺は日蓮宗だそうです。
他力とは如来の本願力なり(報仏寺 河和田町887)
浄土真宗の根幹をなす言葉だそうです。阿弥陀如来の本願は、すべての衆生を極楽浄土に往生させるということなので、衆生はそれを信じてたのむのが他力であるということのようです。報仏寺は真宗大谷派だそうです。
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