お嬢さん、転んだ

2007-12-18 18:35:05 | 日記風
 今日は久しぶりに人に会おうと思っていたのに、ダメになった。
 1人でぶらぶらして帰ってきた。

 そしたら、駅の階段でお嬢さんが思いっきり大きな音を立てて転んでいた

 お嬢さんだから、「きゃ~、恥ずかしいっ。」みたいなりアクションとれないでしょ。何事もなかったように、「誰が転んだの?これが私の歩き方なの」くらいのって素っ気無さで静かに立ち上がって階段を上がって行った

 私以前新宿で、マンホールの穴にヒールがはまったことがあります
 マンホールの上に模様の飾り穴みたいに小さな穴が開いてて、その中にスポッとヒールが入っちゃったのね
 入ってもそのままスッと抜ければそれまで良かったんだけど、それが足を引っ張ったくらいで抜けなくて、しょうがないから。

 その場で靴を脱いで片膝ついて手で力任せに引き抜いたわよ

 これの何処が誤魔化し様がありますか?

 もう必殺仕事人の如き所作だったわ

 今あったことはなんでもないこと、自分に言い聞かせてそのまま黙って歩き去ることがどれ程恥ずかしく苦痛であったかっ!

 でも抜けてよかったわよね。間違ってあのまま抜けないとか、ポキリと折れたとかそっちの方が・・・考えるだに恐ろしい。
 この場だけの恥で済まないじゃん。

 でも転ぶだけでこれだけ思い出ができれば、それはそれで、楽しいかしら?

わが子はクローン

2007-12-18 00:00:01 | エッセイ風
 約20年前、いわゆる試験管ベイビーが初めて誕生しました。
 そうして生を受けた子供が自然妊娠をして出産をした。 

 以前そんなニュースが流れました。

 妊娠をして出産をするとは普通のことです。しかし試験管ベイビーとして誕生した子供に、その普通のことができるのか。危惧をしていた医師たちがいたというこです。
 自分達の決断に不安を抱いていた。
 
 どんなケースであれ、危険は付きまといます。
 でも、それよりももっと心配し見守られていた。

 体外受精、代理母。今も倫理的にも医療の問題としても色んな問題含みですが、まだ生命に対して、人はほんの入り口にたったに過ぎない。

 そしてクローンに対しても議論が別れています。

 学者にしてみれば、将来それをすることでどんな結末が出るのが判らない。けれどできる技術は判っている。なら試してみたい。危険を侵すのは承知で、でも踏み出してもみたい。

 良いのか悪いのか、それは私には何も言えません。
 
 でも絶対にダメなことなら出来ないと思うのよ。
 人知を尽くして天命を待つ、と言う言葉があるように、仮に人が考え実行して、成せてしまったことは何らかの、意味があるのではないかと・・・。

 それがどのような未来を生んだとしても。それを織り交ぜて人が背負うことなのではと?
 
 ずい分前に出版された本ですが、デイビットM.ロービック(著)近藤重寛(訳)創芸出版『わが子はクローン』って本がある。
 実はもう30数年前に極秘でクローンを誕生させてしまったという話。その子は普通に人ごみに紛れて生存している・・・。
 フィクションなんですけどね。(ってありますから)
 真偽の程は確かではないですが。
 私がこの本を読んだのは、1999年の出版当初でしたので(本国では1978年)内容が既にうろ覚えなんですが、この1978年と言うのは世界では奇しくも試験管ベイビーが誕生したと言われいる年らしいです。

 費用が出せてそれを実行できる医師がいた場合、極秘でやっちゃえば、やれてしまう・・・。

 本当にやっちゃってるかもしれない。技術としてできれば。

 その子が、その周囲の人がどんな人生を歩んで行くかは神のみぞ知る。

 でも何であれ、みんな一定のルールに乗っ取って存在している。どんな形であろうと生命を与えられた者は空気を必要とする、食物を摂取しなければならない。必ず死は訪れる等。生ある者はそのルールからは逸脱しない。
 クローンですら、その単体が永遠に生きるのではなく、複製を繰り返すことにより、ですから。身体的な遺伝情報は同じでも同じ知識、同じ精神を持ち合わせるものではない。同じ心の私で複製されていく訳ではない。
 ・・・そういう意味ではみんな一緒って気がする。

 結局はこの世の支配下からは逸脱はできない。

 そう考えると、やはりどこかで支配するものの許しがない限りどんな生命も誕生することはできない。できたからにはそれだけの理由を持っているってことではないのかしら?

 と思ってみたりする。
 
 どうしても子供が欲しい方が子供が持てる。
 永遠に死なない。
 どちらもそれを望む方には願ってもやまないこと。出来れば奇跡。

 やはり簡単に何と言い切ることはできない。