ほんものと にせものとでは
みえないところのあり方で決まる。
それだのに にせものに限って見えるところばかり気にし飾り
ますますにせものになっていく。
「東井義雄先生・ 教育者・僧侶 日本のペスタロッチと呼ばれる」
大阪水曜ほっと集談会一世です。
最近教育者で僧侶であられた東井義雄(とおい よしお)先生の本を読ませていただきました。
初等教育のスペシャリストだけに、子供でも分かりやすい内容ですが、中身は本当に深いです。
コロナが落ち着いたら、東井義雄記念館(兵庫)に行くつもりです。
さて本日は、ちょっと固い内容ですが、森田先生の宗教観についてお話をさせていただきます。
森田先生の著書には、難解な仏教用語が随分たくさん含まれていますね。
初一念、正覚、安心立命、悟りなど数え上げればきりが有りません。
会員の皆様の中には、信仰を持たれている方もあるでしょう。
しかしながら機微なテーマなので集談会では、話しにくい雰囲気があるかもしれませんが、森田先生は宗教を否定されていません。
むしろ、いにしえのあらゆる宗教家から深く学ばれていると私は個人的に思います。
宗教そのものは、人類が2500年ほど前から学んできたすばらしい智慧ですね。
実は、この智慧も仏教用語なのです。
宗教と科学に対して森田先生はこう述べられています。
究極の目的では共通しているのですから、決して互いに排斥しあう性質のものではありません。
実際におきましても、科学者にも宗教心があり、科学者であっても信仰に生きた人も古来すこぶる多いのであります。
一方、宗教家も社会に適応して生きてゆくために、かならず科学的判断を用いるのであります。
最近の豪雨、大型台風などの自然災害やウイルス感染症の脅威を考えますと、人間が自らの尺を超えて傲慢になった結果と言えないでしょうか。
森田先生の言われる悪智という言葉を改めて思い起こしたいと思います。
2020・11・25 一世