
大阪水曜ほっと集談会一世です。
時に危険を察知するセンサーが働き過ぎて誤作動を起こしてしまう神経質性格です。
60年の人生で、石橋をたたいて渡らなかった経験が山のようにあります。
ところで大阪水曜ほっと集談会忘年会を開催するかどうか、真剣に悩んでいた私です。
今回は、開催します。
感染症対策をしっかりやっているお店を事前予約でチョイスしました。
女性会員の方に参加いただきやすいように夜間を避け、昼間の混雑する時間をずらして13:30からのスタートです。
出来るだけ他のグループと重ならないよう個室スペースを確保しています。
お料理も個人盛です。
考えられることはすべてやりました。
あとは、皆さんと美味しい料理を食べながら楽しく会話をするだけです。
森田を学んだことで、不安の要因を出来るだけ具体的に洗い出す習慣が出来ました。
自分が今悩んでいることは、事実かどうか?
現実的に対応する必要があるのかどうか?
思い込みや取り越し苦労から、不安な感情に圧倒されているだけではないか?
コロナは嫌だが、集談会の皆さんにリアルで会いたい。
今回も忘年会のことを考えながら森田先生ならどう判断されるかと考えていました。
結果以下の文章が目に留まりました。
森田博士が登山をされた時の体験によるものです。
重い喘息で息切れが激しく頂上には登れないと断念しながら、気がつけば上向きに歩いていたそうです。
そして気がつくと森田先生は登れないと断念した頂上に着いていたそうです。
そのときの逸話をこう表現されています。
また少し歩いては休む。
こうしているうちに、いつの間にか頂上に着いていた。
たいして苦しくもなかった。
諸君どうです。
僕は登れないと断念していた頂上へ上ったのです。
それがありのままの僕の命の結果です。
僕は死ぬのは嫌である。
しかしいまは、大きなことをいっているが、明日でも死ぬかもしれない状態にある。
しかし僕は死ぬまで神経質の研究を続けたい。
それがありのままの僕の命である。
2022.11.28 一世