大阪水曜ほっと集談会一世です。
先日コロナのワクチン接種をした私です。
幸い倦怠感以外は大きな副反応もなく、何とか出勤しています。
身近にコロナが蔓延していて、コロナを避ける生活からコロナと共に生きる生活を余儀なくされています。
さて、先日集談会で言葉は欺きやすいと感じるやり取りがありました。
それは強迫観念に関する事でした。
神経質症状の中でも特にしつこい、時間がかかると言われている強迫行為を主体とした強迫観念のやり取りです。
頭では、言葉では、理論上ではそれが意味のないことであるとわかっていても止められない。
良い悪いで考えますとこれほど非効率なことはない。
強迫行為が自分の中心になると生活は停滞し、周りの信頼も無くし自分でも、今度こそ止めるぞと思うがやめられない。
帰宅してビールを一杯飲まないと疲れが取れないと思うのも、強迫観念でしょうか?(笑)
依存と強迫行為は違うと思いますが、今でも私は戸締りは3回位確認しないと出かけられません。
職場の最終戸締りが、恐怖になった事もありました。
いつもこれで良しと思うのですが、翌日ガードが抜けている事もありました。
そのたび嫌な上司から指摘され凹んでしましたが、その嫌な上司が最終戸締りの翌日は抜けだらけ、あまりのずさんさに呆れてしまいました。
なんだかんだと誤魔化していましたが、どの口が言うとんじゃ!
言葉は欺きやすい。
言葉に関しては時々このような方に、発見会で出会います。
森田理論をじゃべらせたら立て板に水、しかしその人の日常からは生活がまったく見えてこない。
残念ながら発見会でも生活においても具体的になにもされていないのです。
あくせく働いて定年後に、ゆっくりされるのは自由です。
日常生活をこなしておられるだけでも充分です。
しかし生活と切り話して森田理論を滔々と語るのは違うと感じている一世です。
強迫観念に関する森田博士のコメントは簡単明瞭です。
私どもは、誰でも同時にいくつもの方面のことを考えているのが普通のことであります。
強迫観念に苦しみながらでも、やれば何でもできるのです。
ところが、神経質の人の考え方の特徴として、それをできないことと理論的に独断してしまうのです。
同時にいくつもことが心に浮かぶ、感じるこれは実はとても高度で優れた能力なのです。
強迫観念を発揮して生きていきたいと思う一世です。
2022.8.20 一世