「大阪水曜ほっと集談会」公式ブログ

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何でもかんでも、障害と言うな!

2022年08月22日 07時01分29秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

深刻な人手不足の現場に、コロナの濃厚接触者が続出して追い打ちを掛けます。

定年後のボロボロの体に鞭打って、昨日も11時間作業をしていた私です。

ところで最近障害という言葉が多すぎると思いませんか?

パニック障害、適応障害、パーソナル障害、発達障害など世の中障害だらけである。

確かに生きづらさを感じている人が多いのは事実ですね。

障害と言うと邪魔もので、どうしても排除・乗り越えようとする発想になることに違和感を感じます。

神経質症のとらわれまで、障害と捉えると何か判断を間違えるような気がするのですが、、、、

ところで先天的に持って生まれた障碍と後天的に意味づけられた障害は違うと感じている私です。

確かに生まれつき見ること、話すこと、聞くことそして体そのものに障碍を持たれている方がおられるのは事実ですね。

しかしながら、障碍の有る無しに関わらずそもそも私たちの生きている世界そのものが生きづらい世界ではないでしょうか!

娑婆という言葉の語源は、本当は自由な世界と言うより、思い通りにいかない煩悩に充ちた世界と聞いて少しだけ納得が出来ました。

先日も投稿しましたが、JRの車内で言葉に障碍のある若いお母さんと目のくりくりした、5才くらいの可愛い女の子が手話で懸命に会話をしている光景が今も私の脳裏によぎります。

コミニュケーションを、多民族国家ではない日本では努力しないで得られる水のように思っていたのではないか!

対人恐怖や不安発作を、あえて病気ではないとする認識、病気であるから何もできないという観念的な独断を変えた森田博士の功績は、はかり知れないと感じています。

人生観が正しくなれば、初めて全快して再発しないのである。

人生観が変わったから病気が治ったのである。

(森田博士の言葉より)

私なども長いサラリーマン生活で、人間関係が上手くいかない日々の中で、自分は発達障害ではないかと思ったことも有りました。

だか、それ以上そこに自分を当てはめることを止めました。

仮に障害だからと、自分に言い訳しても自分の人生は開けないと感じたからです。

職場や家庭での悪戦苦闘に疲れて、障害と言う言葉に逃げ込もうとしていた当時の私に言いたいのです。

何でもかんでも障害のせいにするな!バカヤロー!

人は誰も何かしらの障害を持っていて、それが生きるための力にもなりえるのではないでしょうか?



2022.8.22 一世

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