浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「垂訓」

2023-05-02 23:55:39 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

  恩師のご著書「講演集」より


           講演集、 三

      正しい教えを知れば、死は恐くない

この世を去ります時、最期の手向けの水が頂けなかった霊が出てきますと、
「水を下さい、水がほしい、水がほしい」と言います。
「あなたは手向けの水を受けることができなかったのですね」と聞きますと、
「そうです」と言います。

死んだ時に水を口につけてもらって、
あんなものに満足して暗い世界におられます。
もし、その水が無かったら、「水がほしい、水がほしい」と言って、
迷っているのですね。
ところが、ほんとうの帰るべき世界を知り、正しい教えというものを知って
おりますと、そんな水もお茶も要りません。

供えてもらわなくても、自分で作れるのです。
ポッと出てくるのです。
そういうすばらしい世界に帰ることを知ったら、
なぜ私たちは死を恐れる必要がありますか。
すばらしい世界に帰っていくのです。


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「垂訓」

2023-05-02 00:12:21 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

  恩師のご著書「講演集」より


               講演集、 三

          ご先祖様への供物は感謝の形

では、お仏壇の前で「さあ、早くご先祖様召し上がって下さい」と言って、
ご仏飯をよそって差し上げましても、一体、あんな小さいご仏飯にご飯粒が
何粒入っていると思いますか。
私たちのご先祖様は、三十代も溯りますと、
十何億という数になるそうですから、
「ご飯を召し上がって下さい」と言って、差し上げても、ご仏飯の中に
何億ものご飯粒は入っていません。

よくあっても、何百粒でしょから、これではご先祖様に足りません。
あるお宅へ寄せていただきましたら、お仏壇に、
湯呑みが四十数個も供えてあるのです。
それにお茶を入れて、毎日お茶湯(ちゃとう)されています。
またあるお宅へ行きますと、大きな丼茶碗に何杯もお茶が供えてあります。
丼茶碗にです。
なるほど、大きな丼茶碗、或いは四十個もの湯呑みをずうっと並べまして、
お茶をなみなみとついで供えていましても、私たちのご先祖様はそんなに
少なくないのです。

これでは、ご先祖様にはとても足りません。
極楽へ行きますと、ご飯と言えばすぐ出てきますので、
何の不自由もしないのですね。
ですから、ご先祖様にお茶を差し上げ、炊きたてのご飯を供えるのは、
「ご先祖様のお陰で、こうして温かいご飯を頂戴できます。
ありがとうございます」と言って、感謝の気持ちを形として表すのです。
ですから、「ご先祖様、食べてください」と言って供えますと、
ご先祖様は難儀されます。
ご飯の取り合いをして、「俺の飯、もうない」と、
必ずそういうことになります。
お茶もそうです。
阿弥陀様など三尊様には、一つずつで三つ差し上げたら足りますけど、
ご先祖様にはとても足りません。


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