浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

日日に神の御胸に抱かれて
光の国に住める嬉しさ

「御垂訓」

2018-08-24 01:58:19 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

     ~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


     講演 四
 
「大宇宙は大神体なるがゆえに 
   この現象界の地球も神体なり
      神体なるがゆえに大神殿なるべし」
先の続き・・・
このようなものに一銭も使わなくても、
ご先祖様になぜ迷うかを分かってもらい、
反省することによって救われていただけます。
「どうぞこの地上界におられました時の
ご自身の生活を振り返ってみて下さい。
私たちは自分の心を苦しめますと、
神様が凄く苦しまれます。

神は罰をお当てになりなせんが、
この世は私たちが神の御心から一メートル離れたら、
一メートル分の苦しみを自ら裁くようになっております。
中道から百メートル離れたら、
百メートル分の苦しみを自ら裁くように
作られているのです。
それは私たちの『良心』によって自分を裁くように
心が作られているからです。
自分の心を苦しめることが多くなればなるほど、
神様から遠く離れます。

そして離れた分だけ自分が苦しむのです。
自分が作った苦しみを振り返ってみて下さい」とお話して、
反省された時に、ご先祖様は救われて下さいます。
ご先祖様は自分の犯した罪によって地獄に
行っているのですから、
それに対していくら壺を買って祀ったとしても
無駄ですね。

今日こうしてご縁のあります皆様は、
どうかそういう被害を受けないように、
うまい言葉に乗らないように頑張って下さい。
もう七、八年も前のことですが、大阪の方で、
うまく騙されて壺を買い、
次に塔を買って五百万円を払われたのです。
銀行で五百万借りれば、その利子だけでも大きいものです。

しかも四カ月経たないと品物が入ってこないのだそうです。
向こうで祈祷しますからと言って四カ月待たされいた時、
ちょうど私と縁がありまして、私はその方に言ったのです。
「ああ、それは駄目です。五百万はただ取られただけです。
そんなお金を銀行で借りてどうしますか。
すぐに消費者センターに電話して、向こうに掛け合って
もらいなさい。

個人では絶対に聞いてもらえませんから、
公共の機関から交渉してもらいなさい」。
そうしますと、お金は払っていましたが、
まだ品物は受け取っていませんでしたので、
五百万円まるまる返してもらえたのです。
「うまく行きました」と言っただけで、
私には一銭もくれませんでした(笑い)。


     ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」

2018-08-23 12:00:52 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご講演ラジオ放送より

心の扉―1

主題:苦しみは自分の心の中から生まれる

 
先の続き・・・
禅の世界で禅定と言って心を安らかにする
修行があります。
これで皆さんが最初に困ることがあります。
じっと座っていると、物音がします。

下駄の音がする時など、まず気が散って心が動きます。
折角、心安らかにしているのうるさいな。と、
言うわけです。
次にあの下駄の主は男の人かなぁ、女の人かなぁ、と、
思ったりします。

音が少し軽いか女の人だなぁ、どこの人かなぁ、
分からないけれど、べっぴんさんかなぁ、
髪が長いかなぁ、短いかなぁ、
こうして心は留まるところを知らず、
飛び回ります。

しかしその時、その時で、一つ一つしか追っていません。
一つのことに心が支配されると、
それだけになるのです。
この一つしか思えない人間の心を
うまく利用すればいいのです。



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「御垂訓」

2018-08-23 00:47:41 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


      講演 四
 
「大宇宙は大神体なるがゆえに 
     この現象界の地球も神体なり
        神体なるがゆえに大神殿なるべし」

この地球そのものが御神体であり、
また神の住み給う大いなる宮であれば、
この地球上のどこへ行っても、西へ行こうが東へ行こうが、
すべて神のご神体の中です。
ですから、神のご神体の中に嫌な場所が
あるわけがありません。
また神の大神殿の中に不浄の場所、危ない場所、
行ってはいけない場所、そういうものもないはずです。
この見方からしますと、方位学でいうように、
今日はどの方角に向いて行ってはいけないとか、
印相学でいうように、
大きい印鑑を作ると運勢が良くなるとか、
印鑑の大きさをどのくらいにしたら良いとか、
そんなことは全く意味がありません。

印鑑の大きいほうがいいのでしたら、
長さ三メートルぐらいのものを作りまして
「これはゲンがいいのだ」と言って担いで
歩けばいいのですね。
太いものがいいのでしたら、
臼のような大きいものを作って担いで歩けばいいのです。
こんなことで良くなるはずはありません。
うまいことを言って騙されてしまうのです。
印相学をする人が
「お宅の印鑑をただで見て上げましょう」と
言いますが、見てもらったら絶対に
いいことはいいません。

「これは悪いですなあ、これでは出世はしませんよ」とか、
「こんなものを持っていたら不幸になります」とか、
「これでは先祖が浮かばれない」とか
言って騙されて、三十万も五十万も取られてしまいます。
悪質な宗教では、
まず印鑑を無料で見てあげますといって近づきます。
そして印鑑をつくらせその会話の中で、
その人がどれほどの財産や預金があるかを調べるのです。
「へえー、三十万、ではお願いします、
作ってください」と言えば、
「この人は大分持っているなあ、
今度は壺を売ってやろうか」と、
壺を百万とか百三十万とか言うのです。
それは、うまいことを言うのですよ。

見てもらえば見てもらうほどうまいことを言います。
「お宅の先祖はたくさんの方が迷っておられます。
この壺を買って祀ったら、
先祖さんが喜ぶと言っておられます」そう言われますと、
私たちはご先祖様が救われてほしいから、
「へえ、えらいけど、先祖様のためだったら」と
思って、たくさんのお金を出すのです。
ところが出しますと、
今度は「これはまだ金を持っているなあ」と、
見るわけで、その出しっぷりで分かりますから、
これはまだいける思いますと、次は多宝塔を売ります。
これにひっかりますと、五百万です。

今日お見えになっていると思いますが、
そのお方は一千万円から使ったと言っておられますね。
そうしなくてはいけないように言葉をもって
うまいこと騙してくるのです。
しかし、そのようなものでご先祖様が救われる
わけがありません。

なぜ救われないのかと言いますと、
自分が過ちを犯し、罪をつくり、
自分が神の御心に背いて、己の心を苦しめたために、
死んで苦しい世界へ行っているだけですから、
他の人が壺を買い、
塔を買って祀ってたとしても救われるはずがないのです。
これはご先祖様ご自身の問題です。


   ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」

2018-08-22 12:26:41 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご講演ラジオ放送より

心の扉―1

主題:苦しみは自分の心の中から生まれる

 
自分が物を買えるだけのお金を持っていて、
しかも買いたいものを売ってくださる人がいる。
こうした世の中の主張は人と人との
出会いや約束事に対する感謝の気持ちは
大事なことです。

お金を払ったからと言って、済むことではありません。
誰もが私利私欲だけで動いていれば社会は混乱し、
破局を迎えます。
心ある人が心ある仕事をしてくださるから
世の中は動いていくのです。

いくらお金を持っていても、
多くの人々の力なしには、
生きていけません。
そこに感謝の心が生まれるのです。
人の心は不思議なことに、
一度に一つのことしか思えないのです。

私は器用だから一度に二つ思える、と,
言われるかもしれませんが、
そんなことはありません。
ああ、楽しいな、悲しいな、とは思えません。
腹が立つな、幸せだな、とも思えません。


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「御垂訓」

2018-08-22 00:06:16 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

   ~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


      講演 四
 
「かくのごとく 万物すべて生命にして 
    エネルギーの塊なることを悟るべし」
先の続き・・・
今日お見えになっているあのお方も、
頸椎が狂っていまして、お医者さんから手術を
しなければ絶対に治らないと言われたのです。
手がしびれて感覚がなかったそうです。
水につけてもお湯につけても、
ものに触れても感覚がなかったのは、
神経の中でも知覚神経によるのです。
なぜ知覚神経が配線されているかと言うと、
例えばお料理を作っていても、
知覚神経がなければ痛みもないし、
熱いものも全く分からなくて、
指を切っても分からなくなって、
気が付いたら「あら指がなくなっている」と
いうようなことも起きかねませんが、
しかしちょっと切っても「ああ痛い」と反応して
指を守るために、この知覚神経は与えられています。
しかも神様は完璧です。

「痛い」と感じるだけではなくて、
次にさっと逃げるための運動神経を与えて下さっています。
「痛い」という瞬間に、
脳のコンピューター室に指を切ったということが伝わり、
「早く逃げろ」という命令が下るように、
この肉体の中にある神経一つ見ましても、
自分を守るために目に見ることのできない神経が
張り巡らされております。
これはまさに神業というほかありません。
この頸(くび)が脳のコンピューターの
配線の束になった根本のところで、
ここから下へくだって全身へ送られます。
上には上の神経が通っていて、顔面神経などがあります。

神経が異常興奮しますと、
ピクピク動いて止まらなくなります。
その神経がちゃんと調和されているのです。
神経一つ見ましても、
私たちの肉体を守るために与えられていますから、
五官というものが肉体を守るために道具で
あるということを知りました時に、五官を通し自己に、
自分を守る立場でものを見たり聞いたりしますと、
必ず自己保存と自我我欲という色眼鏡が
かけられているということが分かります。
あくまで五官は自己を守る道具であり、それと同時に、
この五官の感官こそが悪魔の正体であります。
では、この悪魔からどのように離れ、
悪魔を征服するかというと、
自分の見方から離れて、
常に相手の立場に立って見る練習を積むことです。

相手の方の立場だけになりますと、
これは相手に片寄る場合もありますから、
善意なる第三者の立場、自分にも相手にもつかない、
全くの悪意のない善意の第三者の立場、
つまり公平な神の立場に立って、
自分と相手をよく観察しますと、
その時自分から離れたものの見方ができるはずです。
これが中道の調和された見方になります。


     ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」

2018-08-21 09:56:58 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご講演ラジオ放送より

心の扉―1

主題:苦しみは自分の心の中から生まれる

 
おはようございます。
長尾弘です。
爽やかな朝のひと時、一緒に心の夜明けを迎えましょう。
最近はどこにでも自動販売機がありますね。
便利なものです。

どんな時間に行っても欲しい物を買うことができます。
自動販売機で物を買う場合、ごめんください。と、
言うことはありません。
どうもありがとう。と、こちらから言うこともありません。
無言で買い物が済んでしまいます。

この習慣がついてしまったのか、
近頃お店で買い物をする時も
何も言わない人が増えているようです。
つまりお店へ行って欲しい物を手に取ると。
そのままカウンターへ持って行きます。

包んでもらったら、お金を置く、
お店に人にどうもありがとうございました。と、
お礼を言われても何も言わないで、お店を出てくる。
こう言うケースが非常に多いようです。

自分でお金を払って買ってくるんだから、
礼を言ったり挨拶をする必要はないんじゃないか、
何の文句があるんだ、こう言った人もいます。
感謝する心がないんですね。


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「御垂訓」

2018-08-21 00:31:22 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

    ~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


    講演 四
 
「かくのごとく 万物すべて生命にして 
   エネルギーの塊なることを悟るべし」
先の続き・・・
自分が偉いと自ら認めてしまいますと、
人様から何を言われても、
「お前のようなあかん奴が何を言うとるか、
わしは何でも知っているのや、お前のような
分からん奴がわしに何をごたごた言うか」と、
もういっさい人の言葉が耳に入らなくなり、
この時、魂が暴走していきます。
魂の暴走族、これが増長慢です。

私たちは悪魔といえばどんなに恐ろしい顔をしているか、
サタンといえばどんなに恐い奴かと思っておりますが、
サタンとは私たちが万難を排しても
乗り越えなくてはならない偽我のことです。
自分さえよければ人はどうでもよいという「
偽我」こそが悪魔です。
この偽我と、私たちの肉体の五官から求めるものが
悪魔です。

人は目で綺麗なものを見れば気持ちがよく、
嫌いなものを見ればいやだなと思います。
耳には快いことを聞きますと心地がよいものです。
私の場合でしたら、
皆さんから「先生」「先生」といわれて
上にのぼらないように努めていますが、
ついいい気になってしまって、
その中のある人が「長尾さん」といってきましたら、
「お前、おかしなこというな、
そんなこと言うんやったらもう来るな」といって
増長慢になります。

耳も大事なものであり、聞いたことで左右されますと、
自分の知らない間に増長慢になります。
また自分の耳で確かめずに人の言うことを信じては
いけません。
その時は心の悪魔に支配されてしまいます。
口も同様です。

舌に感じのよいおいしいものを食べた時、
「ああおいしいなあ、もっと食べたい、
もっと食べよう」と言ってパクパク食べていますと、
今度は身体の中から壊れて病気の原因となります。
にがいもの、嫌なものが口に入りますと、
吐き出してしまいます。
鼻も同じです。

この肉体も同じです。
肉体に触れて心地よいものはいいのですが、
針で突かれたり、
焼け火箸を当てられたり、
切りつけられたりしましたら、これは叶わないです。
五官とは私たちの肉体舟を保存し、
保護するために与えられている道具です。

医学的にいいますと、肉体の中に神経がありますね。
神の経(みち)と書きます。
神経は全身隈なく張り巡らされており、
その根本は脳細胞です。
この脳細胞は、もしコンピューターを作りましたら、
大きなビルディング一つほどの機械を詰めないと
脳ができないくらい精妙な機械なのです。
しかもこのコンピューターは頸椎から
全身に配線されており、
この配線された線が神経です。


  ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」

2018-08-20 08:29:52 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご講演ラジオ放送より

心の扉―1

主題:苦しみは自分の心の中から生まれる

 
先の続き・・・

そしてそれからはさせて貰おう、
尽くさせて貰おうと言う心でお婆ちゃんに
私の話をテープで聞かせて上げたり、
書いたものを読んで聞かせたりされたそうです。
その家にはお婆ちゃんの実の娘さんもおられるそうですが
段々とその娘さんより
奥さんつまりお嫁さんしか受け付けなくなったそうです。

それは奥さんが尽くしているほどには実の親娘でも
尽くしておられなかったから、
お婆ちゃんのほうで拒否反応が起きるのですね。
すっかりお嫁さんに頼り、実の娘より安心して
自分をまかせているわけです。
このお婆ちゃんが亡くなられた時、
生きておられた時より綺麗なお顔になられ、
何とも言えないほど安らかな表情だったと言います。

丁度、観世音菩薩の掛け軸のお顔のような、
また阿弥陀様のような、ああいうお顔ですね。
明るい雰囲気さえあります。
その奥さんから綺麗なお顔のお婆ちゃんを
送らせて貰いました。と、電話がありました。

そして至らないけれど、
自分に出来る限りのことをさせて頂いて、私も幸せでしたと、
喜んで訪ねて来られました。
相手に尽くすことは自分を本当に幸せにするのです。
自分を犠牲にすることが大事です。
犠牲と言うと、直ぐに私はあの人の為に
犠牲になってまで頑張ったのに、何の感謝もされない、
なんて馬鹿馬鹿しい。と、言うような場合を思い浮かべます。が、
それは本当の犠牲でも何でもありません。
損得勘定でものを言っているだけです。
本当の犠牲は愛です。

私はキリスト教の人間ではありませんが、
イエスはゴルゴダの丘で十字架に上げられ、磔になりました。
その時、イエスは神よ、どうぞこの者たちを罰しないで下さい。
正しい道を知らないだけですから、と、祈られました。
これが愛であり、犠牲です。
虐められようが、どんな目に合おうが尽くすことです。
この時、苦しみは消えます。


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「御垂訓」

2018-08-20 01:17:57 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

    ~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


     講演 四
 
「かくのごとく 万物すべて生命にして 
     エネルギーの塊なることを悟るべし」
先の続き・・・
神様の光は私たちの思い、行いによって与えられます。
想念、行為が神の御心に沿った時に、与えられるのです。
神はどのように思って下さっているのか、
私たちがどのようにさせて頂いた時、
神様は最も喜んで下さるのかということを理解して、
自分が日々の生活で神の御心を行動に移したとき、
神の光が注がれます。

「主よ」「天上の父よ」「父なる神よ」と言いますが、
神は「汝ら座して我が名を妄りに唱うることなかれ」と、
やたらに私の名を坐ったままで呼んではいけないと
言われます。
これは、行動を起こせ、
行いに現わせということをお説きになっているのですね。
神様の光を我が心に頂いて、
日々の生活において自分が行動に移した時は、
自ら神の御子としての証しができます。
親に教えられたことを自分が行った時、
親は気に入ってくれます。

背いては何もなりません。
では、神様に背くとは、
つまり大自然に背くということですが、
ほんとうの神様の心に背くとはどういうことでしょうか。
これは神様に悲しい思いを与えることです。
悲しい思いを与える行為は何かといいますと、
繰り返し言いますが、
自分の心を自分で苦しめることです。
 
この五本の指のうち、どの指を怪我しましても痛いです。
どの指を針で突いても痛みは全身に感じます。
これと同じように、私たちがもし自分自身を苦しめますと、
大いなる神の意識に痛みを与えます。
ですから、どのようなことがありましても、
一時も早く自分の心の苦しみを切り替えて、
いつまでも苦しみの中に浸りきっていないことが、
神様に対する親孝行です。

神様を苦しめることがどういうことであるかを
もう少し細かく分けて言いますと、まず怒りの心です。
腹を立てること、そして妬み、謗り、恨み、憎しみ、
愚痴、取越し苦労、不安、恐怖、嘘をつく、盗みの心、
貪欲です。
この貪欲に捉われると、人の心は狂ってしまいます。
人間の心を苦しめる大きな原因は、
貪欲と愚痴と怒りです。


     ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」

2018-08-19 10:31:04 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご講演ラジオ放送より

心の扉―1

主題:苦しみは自分の心の中から生まれる

 

先日、豊かな暮らしをされている若い奥さんが
相談に来られました。
この家のお婆さんが九年間寝ったきりで、
奥さんが世話をされています。
かなり疲れておられます。

ところがお婆さんのほうでは、一言の感謝もない、
そこで私は何の為にお婆さんの世話をしているのか、
辛いと言って相談されるのです。
私はお婆ちゃんが喜んでくれても、くれなくても、
あるいは謗(そし)っても、
あなたは精一杯尽くしなさい。

喜ぶか喜ばないか、
また感謝されるかどうかは関係ないのです。
自分ができる限り尽くしてみなさい。
やがて、あなたはあれだけ難しいお婆ちゃんに
よくあれだけのことをさせて貰えた。と、思う日が来ます。
自分自身の心に満足と喜びが生まれます。

これはお婆ちゃんの為にするのとは違うのです。
自分自身の為にするのです。
こうお話ししました。
奥さんは心が楽になったと言って帰られました。


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「御垂訓」

2018-08-19 01:08:49 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

    ~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


     講演 四
 
「かくのごとく 万物すべて生命にして 
      エネルギーの塊なることを悟るべし」
私たちの肉体は、目に見ることができませんが、
強大なエネルギーによって動かされています。
その一人ひとりを動かしているものは何かといいますと、
「心」です。

おもしろいことに、中国の方はほんとうに
素晴らしいと思うのですが、
四千年、五千年の歴史をもって文字をつくられましたね。
病気、陽気、空気、陰気、元気、天気など、
「気」という言葉を使っていますが、
すべて目に見えない、
手に触れられないものに当てているのです。
病気というのは病んで、それが肉体に現れて、
病気となっていますが、
病気の原因は何かといいますと、目には見えません。
この「気」という言葉を使う中国の「気功」も、
宇宙のエネルギーを自分が受け入れて、
訓練することによって相手の方に「気」を送るのです。
そうしますと、病気が癒されるということがあります。
宇宙に存在しているエネルギーは目に見えません。
私たちの心も見ることはできません。

同じものです。
「気」を自分の意識、心をもって集中して注ぐと、
癒しが起こるのですね。
昔、イエス様が手をかざされて
「汝、目を開け」といわれますと、
目の見えない方の目が開いたとか、
「立てよ」といわれたら、
足の萎えた方が立ち上がったとか、
そういう話は聖書にたくさん書かれています。
これと全く同じことが私たちにもできるのです。
イエス様だけのものではなく、
私たちの誰にでもできるということを、
私の数々の体験からはっきりと自覚し、
確認をさせていただきました。

宇宙のエネルギー、分け御霊がありますから、
それを頂いて相手に注ぐのです。
イエス様は言われました。
「私のごとく生きたものは私以上の力を
現わすであろう」と、まったくその通りです。
しかし間違った信仰においては、
そのようにすれば治るということを教祖さんが
発見しまして、
それをただ与えたのではもったいないから、
ペンダントでも作って売ろうかということで、
「ペンダントを頂いたら光が出る」と言って、
皆はこれを買って胸に下げています。
しかしその教祖さんも、
最初はペンダントなどつけていなかったはずですね。
そのペンダントは二、三百円の原価でできるもので、
量産しますと百円もかからないものですが、
それを何万円もの値段で売っていますから、
もうこれは儲かって仕方がないです。

しかし、これは神様とはいっさい関係がありません。
もしも宇宙に遍在する神の意識、
神の力がお金によって頂けるものでしたら、
例えば一万円するペンダントを身につけたら光が
出るという教えがあったとしますと、
大金持ちの方が
「私は神様の力がほしい」といって、
一千万円あるいは一億円のお金を出して
ペンダントを買った場合、
千倍、万倍の光が出るはずですが、これは出ません。
そんな神の力が出たら眩しくて仕方がないです。

    
    ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」

2018-08-18 10:05:16 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご講演ラジオ放送より

心の扉―1

主題:苦しみは自分の心の中から生まれる


おはようございます。
長尾弘です。
爽やかな朝のひと時、一緒に心の夜明けを迎えましょう。
出せば入ると言う法則をご存知ですか。
お金は天下の回りものだから、
景気よく使えばまた自分のところへまた戻って来る。
と言うのもありますが、これからお話するのは
少し違います。

人に与えれば与えられると言うことです。
愛すれば愛されると言うことです。
自分が誰も愛さない心を持っていて、
誰が愛してくれるでしょう。
自分だけのことに必死で誰にも与えようとしない人には
誰も与えようとはしなでしょう。

西洋の小説にこんな言葉があります。
汝、多く許されるべし、汝、多く愛すればなり。
お分かりですね、
あなたはあまりにも多くの愛を人々に与えたのだから、
多く許される人だと、言っているのです。
同じように自分が不幸になりたいなら、
人を不幸にすればいのです。

相手に嫌われ、憎まれたかったら、
相手を嫌い、憎めばいいのです。
必ずそうなります。
これが出せば入るの法則です。
避けることはできません。
ですから、幸せになりたいなら、先ず、
周りの人を幸福にすることです。
与えれば与えられます。



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「御垂訓」

2018-08-18 00:34:28 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

   ~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


     講演 四
 
先の続き・・・
まことの神様の呼び名はいろいろあります。
「天上の父よ」といっているところもあります。
「天にまします我らの父よ」といっているところも
あります。
また「エホバ」と呼び「ヤーベ」と呼んでいます。
神道では「天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)」と
呼ばれています。

呼び方は違いますが、
すべてが生命の根源である父なる神を指しているのです。
まず神を知ること、そしてこの神様は全宇宙の、
見ることのできない小さな小さな一粒子の中に至るまで、
その意識が浸透していて下さることを知ることです。
その証拠に原子はすべて循環の法則に従っています。
これが神の愛ですね。
このように見ていきますと、万物はすべて生命です。
植物も動物も、水や石などの鉱石も、
ありとしあるものすべてに神の御心が示されていると
いうことです。

私たちはこの世に一人ひとり肉体は別々に生まれて
おります。
海辺の島に譬えますと、ボコボコと水面から出た部分が、
個性を持った私たちそれぞれの人間ですが、
水面下ではどの島もみな繋がっています。
この部分は私たたちの潜在意識です。
私たちは一人ひとりみな別だと思っていますが、
心の奥底の超潜在の世界へ入りますと、
全部繋がっています。

ちょうど、それぞれ違いますが、
掌では全部繋がっているのと同じことで、
しかも超潜在意識の世界は神の世界です。
私たちは神様によって心の底では全部繋がっているのです。
ですから、高橋信次先生が相手の方のことが
全部お分かりになって、
「あなたは何年何月にこのようなことがありました」
「あなたにはこのようなことがありました」と言って、
みな話されましたが、これは潜在の意識へ自分の
意識を入ると、全部分かるのです。
他人同士と思っておりますが、
心の中ではすべての人間は繋がっているのです。
そして、神の目から見ますとみな兄弟で、
すべて神のいとし子であり兄弟姉妹です。

万物すべて生命にして死んだものはなく、
エネルギーの塊です。
私は難しい物理のことは分かりませんが、
高橋信次先生はよくおっしゃいましたね。
「水素一グラムを完全に核融合して、
そのカロリーを取ると、
何千ワットかの電気を何百年もまわすだけの
エネルギーが出るのだ」と。
すべてはエネルギーの塊なのです。

 
    ~ 感謝・合掌 ~



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「御垂訓」

2018-08-17 09:26:46 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご講演ラジオ放送より

心の扉―1

主題:苦しみは自分の心の中から生まれる

 
先の続き・・・

どうすれば都合の良い自分になれるかと言いますと、
尽くすことです。
とにかく、精一杯心から尽くすことです。
相手にどう思われようと、
どうされようともひたすら尽くすことです。
相手の立場を思いやることも必要でしょう。
もし自分が相手の立場なら今、何が必要なのか、
どうしてほしいのか、
親身になって考えてみることも必要です。

決して親切の押し売りではいけません。
それはかえって相手を不愉快にさせ、
悪い出会いになるでしょう。
尽くすというのは、してやるという心ではありません。
させて頂くという心です。
そうすれば、相手の方は必ずこの人は必要な人だ
大事な人だと思うようなってくるのです。
その時にはもう出会いは素晴らしものになっています。
幸福な出会いです。

こうして考えれば出会いの中で生まれる不幸も幸福も
みんな自分の心の中にあるものです。
以前お話しましたが、昔の日本では一人前の
人間になることは人にとって頼もしい人間になることだと
教えた時代があったのです。
鎌倉時代のことです。
これが幸福な出会いを生むことになるのを
無意識のうちにも昔の人は知っていたのでしょう。
人に頼もしいと思われるためには、
誠心誠意尽くすことです。
その時、必ず周囲から自分も尽くしていただけます。


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「御垂訓」

2018-08-17 00:02:46 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

   ~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


      講演 四
 
高橋信次先生のご縁にふれて、昭和五十年秋に、
初めて皆さんの前でお話させてもらいましてから、
はや十三年過ぎてしまいました。
ずっと心の安らぎを求め、
自分の心が日々の中でいかに安らかな生活ができるかを
追い求めています。
日々の生活の中で、まだまだ完成されるところまでは
いけません。

完成された方はもうこの地上に生まれる必要は
ないそうです。
すべてが過ちを犯し、罪を作り、
過ちを犯すことによって、
過ちを犯していない方はどんなに楽だろうなあ、
罪のない方はどんなに幸せだろうなあということを
学んでいきます。
罪は本来ないものです。
それは悔い改めた時、みな消えていきます。
イエスは「悔い改めよ、汝の罪は許されたり」と
いわれます。

こうして学ばせていただくのですが、
この世に生きさせてもらいますと、
いろいろな方との出会いがあり、
そこに出来事が始まります。
この世において、親子の仲がすばらしく、
「ああ、この子はいい子だ。
もう一度自分の子になって欲しい。
この子は良くしてくれたから、
また次の世でもいっしょに学びたい」という
お互いの思いがありますと、
親子の縁を再び頂くことができます。
夫婦の場合も同じことです。

今、心の勉強会をしていますが、
何も難しいものではありません。
日々の生活でどれだけ自分の心を苦しめないか、
いろいろな出来事に出会って心を苦しめる時に、
どのようにして心の切り替えをしていくか、
いかにして苦しみを喜びに変えていくか、
ということにかかわる「心」の学びをしております。
見方、思い方をうまく切り替えてしまって、
一時も速くその苦しみを心から遠く離してしまうことです。
うまくいけば喜びに変えてしまうことです。
これが苦しみから逃れる方法です。

生きている限り、人生とは人との出会いであり、
出会いがあれば必ず出来事が起こりますから、
その出来事をいかにうまく処理するかにかかってきます。
私たちはこの世の出来事から避けることは出来ません。
いかに心の中で処理するかということが、
学びの中でいちばん大事なことだと思います。
前回お話ししましたように、大自然においても、
また原子の世界においても、すべて同じエネルギーが働き、
同じ法則に従っております。
その偉大なる力を神様と申し上げております。

    
    ~ 感謝・合掌 ~



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