オサンポ walk - サンポ文学 第十六話 The story of walking No.16

2022年04月20日 | 日記

夜の桜を観に行くことが出来ないと、夜の桜のことばかりを思い出す。子供の頃は家族と行った。長じては友達と行き、一人で行き、母と行ったこともある。

普段の夜は、街灯がポツンとあるばかりの川べりなので、夜には行かないところである。桜が咲いて、ぼんぼりがあるから行くのである。

 

ある時の出来事がちょっと印象に残っている。出来事と言うより、ただの勘違いかもしれないが。

十年くらい前のことだったか、一人でそこへ行った。もう花の終わりかけの頃だった。でも週末とあって、結構な人出だった。

家から歩いて行くと三十分ほどかかり、川上から川下へ進む形となる。桜並木が終わればそこで折り返して戻ってくる。

桜並木の切れた先は開けている。家や建物はないので辺りは暗くなるが、遠くに大きな駅がありその辺りの明かりが前方には広がっている。

並木がもう少しで終わり、というところに来たとき、ふっと人並みが途切れた。ぼんぼりの灯りに浮かんでいたのは桜ばかりであった。

The story is about...

I like to see the Saraku blooming at along the river in the neighbourhood at night with the lanterns. I go to there only during the Sakura event. Usually, there is a dark and a few of the streetlamp, not popular to walk there at night.

I remember that something a bit strange incident happened around 10 years ago.

From my house to there, it would be around a 30-minute walk, then walk from upper part of the river to the lower.

The other parts of the Sakura area are darker, we can see the light at the station in the distance.

When I reached at the end of row of the Sakura trees, there was no people who came to see the Sakura. There were only Sakura were illusionistically lit by the lanturns.

*not sure about my English...

💙💛

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オサンポ walk - サンポ文学 第十五話 The story of walking No.15

2022年04月19日 | 日記

桜ーソメイヨシノーが咲くと、近くの川べりで花まつりが開催される。約1kmほどの距離に桜が整然と植えられていて、花は時を同じくして咲くのでその量感っぷりが見事である。

花まつりの間、ぼんぼりが吊るされ、夜は火が灯される。昔は蝋燭であったろうが今は電球である。もしかしたらLEDに変わっているかもしれない。

昼の桜は観る機会が多いと思うが、夜は特別なんじゃないかと思っている。街灯ではなく、ぼんぼりの灯りでほんのりと照らし出される桜である。

少し風が強いとぼんぼりが揺れ、桜の灯りも揺れる。ほんの少しだが、そこに違和感のようなものを感じたことがある。どういう違和感だったのか…。

 

残念なことに一昨年から花まつりは中止となっている。新型コロナのせいである。桜は同じ姿で咲いているし、観に行くことは構わない。しかし夜の桜が好きなので、昼の桜を観に行く気になれないでいる。昼間見るなら、家の近所でも観られるからである。

The story is about...

I wrote about Sakura(cherry blossom). When they bloom in the neighbourhood, the event is held during blooming. There are many trees in the line along the river.

Many lanterns are hanging to light the Sakura flowers at night. Seeing the Sakura with the lantern light, is so beautiful scenery. 

I had something a sense of discomfort a few years ago. I didn't know why.

The event has been cancelled since 2 years ago beacause of the COVID-19.

*not sure about my English...

💙💛

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホンヨミ Book-loving - 『金閣寺』三島由紀夫 "Kinkakuji" Mishima Yukio

2022年04月18日 | 日記

『金閣寺』三島由紀夫 (新潮社:新版発行 令和二年 670円+tax)

自身で決めている「名作いつかは読もうぜシリ〜ズ」の中の一冊であった。やっと読んだ、感が強い。もっと短い話と勝手に思い込んでいた。幸田露伴の「五重塔」と勘違いしていたようだ。(こっちはまだ未読)

新潮社の令和版の装丁はオシャレになっていた。カバーは明るいオレンジ色で、そこに金色の文字でタイトルと作家名。英語でも表記されている。

期待と軽い不安が入り混じる中でページを開いた。

思ったより読みやすかった。しかし時代背景が戦中〜戦後すぐの昭和で、主人公がその時代の学僧、という設定の世界に入り込むまでに少し時間がかかった。

それと多くのシーンに散見される、三島文学を特徴づけていると思われる美文…が、ときにくどくやたらと長い。理解しようとガンバるのだが、意識が遠のいてしまうことも多かった。やれやれ。

そんな美文たちの中、生き物好きなので蜜蜂を描写しているシーンが印象に残った。少し長いがその一部を引用する。

” 私は蜂の目になって見ようとした。菊は一点の瑕瑾かきんもない黄いろい端正な花弁をひろげていた。それは正に小さな金閣のように美しく、金閣のように完全だったが、決して金閣に変貌することはなく、夏菊の花の一輪にとどまっていた。そうだ、それは確乎たる菊、一個の花、何ら形而上的なものの暗示を含まぬ一つの形態にとどまっていた。それはこのように存在の節度を保つことにより、溢れるばかりの魅惑を放ち、蜜蜂の欲望にふさわしいものになっていた。形のない、飛翔し、流れ、力動する欲望の前に、こうして対象としての形態に身をひそめて息づいていることは、何という神秘だろう! 形態は徐々に希薄になり、破られそうになり、おののきふるえている。それもその筈、菊の端正な形態は、蜜蜂の欲望をなぞって作られたものであり、その美しさ自体が、予感に向って花ひらいたものなのだから、今こそは、生の中で形態の意味がかがやく瞬間なのだ。・・・”

まだまだ続くが、これだけでも十分にそれを味わえるのではないだろうか。

 

三島由紀夫の人生の閉じ方があまりにも強烈なので、読む前は物語は耽美主義的で救いのないモノと勝手にイメージしていたら全く違った。

最後の一文に拍子抜けした。いや、肩透かしを食った、と言った方がいいだろうか。

金閣寺を燃やしてはダメだが、ヒトに迷惑をかけるくらいはいいかもしれない。不器用でもいい、ということだ。と解釈した。希望を感じた。

 

I've read a book of "Kinkakuji" written by Mishima Yukio(Yukio is his first name). Kinkakuji is one of temples in Kyoto.

It's very famous book of his books, many literary critics admit that the book is one of masterpieces in Showa period.(Showa is the original Japanese era name. It's around over 30 years ago)

I enjoyed myself to read the book, even though... a bit difficut to understand what he wrote. His sentence is so beautiful, many critics said. Some of them are so long and complicated. 

If you are interested in the book, you can find it in English. It could find other languages, too. Good Luck.

*not sure about my English..

💙💛

 

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オサンポ walk - サンポ文学 第十四話 The story of walking No.14

2022年04月17日 | 日記

はっきりと記憶しているのは去年だが、その前の年にも目にしていたかもしれない。交差点近くの縁石のスキマに、ツユクサになんとなく花が似ているが、色も大きさも違う花を見つけた。

 

名前を知りたいと思いながら、本に当たることをサボって一年が巡る。今年やっと本でその名前を見つけ、ムラサキツユクサと知った。

でもよく見比べると、花の色と花びらの形が微妙に違う。草木や花では様子が多少違うことはよくあるそうだが。ドングリの形も意外とバラエティーに富んでいるらしい。

ムラサキツユクサの話に戻ると園芸品種もあるということなので、多少違っていてもいいのかもしれない。

 

サンポ中に出会う草花たちに顔馴染みができると、楽しみが増えると思う。ここに来ればこの植物に会える。そして名前を覚えればより親しみが湧く。

不思議に思うことも時々ある。近所のサンポ道はいくつもあり、どこに行っても出会う草花もあれば、ここにしかいない、というのも割とある。

このムラサキツユクサは、ここでしか見ないのである。

ムラサキツユクサのすぐ目の前に、やや大きめの花壇があるが、そこにムラサキツユクサは植えられていない。数年前に一度植えたことがあり、その時に脱走した、とかなのだろうか。

どこからやって来てここに定住したのか。来歴は語ってくれないが、花は咲く。今年も会うことができた。

 

 

*参考図書「散歩でよく見る花図鑑」家の光協会 1,600円(+税)(2015年)   (この本には夏の花として載っているが、四月半ばにもう咲いている・・・)

 

The story is about...

I wrote about some common spiderwort. I found it at the gap of side of the pavement near the crossing. I'm sure that I saw this flower last year, might have met 2 years ago. 

I can see this flower only here. I have got many routes for a walk. I don't see the same flower as this on other ones. It's a bit strange.

I'm happy to see this flower in this year, too.

*not sure about my English...

💙💛

 

 

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オサンポ walk - 植物plant :ヤツデのヤッチャン My fatsia, Yacchan

2022年04月16日 | 日記

それから約三ヶ月。ヤツデの成長は止まっていた。でも枯れずにいたので、成長期の冬は休眠するのだと勝手に納得し、静かに観察を続けていた。

今年の一月二月は例年より寒くて雪も多く、霜も降りた日も同じように多かった。雪が降った日などは特に、心配になって見にいくと雪を被ったままの姿でそのままでいた。淡々とやり過ごしている風に見えた。

霜が降りても大雨が降っても、そのままの姿だった。枯れもせず、成長もせず。

なんかコメントないのかな、ととても訊きたかったが、如何せん植物との会話は成り立たない。

土の中に霜柱が立つような寒い日も淡々とやり過ごし、そして春が来て。

ソメイヨシノが咲いても散っても新芽が出てくる気配のまったくない、淡白なヤッチャン。だがヤッチャンはニンゲンではないので、ニンゲンの時間感覚とは違うモノを持っているだろうから単にまだヤッチャンの季節じゃないということだろう。

しかし一週間前の日曜日。これがヤツデだよと証明していると思われるたった一枚の葉の根元から、新芽っぽいポチっとした塊を見つけ、ついに! と淡い期待を抱いた。

そして二日前。非常にちっこいが、先に出ている葉と同じように五枚に裂けた形の新芽が出ているのを確認した。

たった一つの芽が出てくるまでの長いこと長いこと・・・ついじりじりしてしまう。

目覚めたヤッチャンがどこまで成長していくのか。この先も観察を続けていく。

 

I've got one fatsia that I call it Yacchan in my garden since last autumn. During winter, Yacchan seemed to be sleeping because she(he?) stop to grow. She had no change herself. This winter was much colder than usual, we had lots of snow and also many frost columns in the ground. She seemed to be OK, she had no reaction with that.

When many Sakura(blossom) were blooming and falling, she had no reaction, neither. I thought that she was without any feeling about her growing.

However, a week ago, finally I found a breath of her growing...very small shoot at the culm that next to the leaf. About 2 days ago, the shoot was growing, now I can see the shoot that is becoming to a leaf of fatsia, as it is split in 5 pieces.

I'm going to obseve her growing.

*not sure about my English...

💙💛

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オサンポ walk - サンポ文学 第十三話 The story of walking No.13

2022年04月15日 | 日記

数年前の仕事帰りの夜。歩道の縁石に沿って列を作るかのようにひしめき合って並んでいるたくさんのドクダミがそぼ降る雨にうたれていた。白十字とも呼ばれる花々ーー実は白い部分は花びらではないそうだがーーも無数にあり等しく雨に濡れている。

 

その日はちょっとしたニンゲン関係のゴタゴタで疲れていた。自分は他のヒトよりもニンゲンから受ける何かしらのストレスの影響が大きいようなのだ。

全身が重く感じる。あのヒトから浴びたマイナスの気が、カラダにまとわりついて離れないんじゃないか・・・そんなことを想像させた。いやいや・・・気のせい気のせい。

 

マイナスのイメージを振り払おうとしても、キッカケが掴めない。雨のせいもあり月も見えない。昼間はもっと降っていたのか、デコボコしている道のあちこちに不器用な水たまりが出来ている。

それを避けながら重い足取りで歩いていると、ちょっとつまづいた感じになった。小さく跳ねた水がいくつかのドクダミにかかってしまった。跳ねた水を浴びたドクダミたちが白十字を小さく揺らしている。

その一つにピントが合うと、その他の全ての白十字にもピントが合っていった。街灯を浴びた白い十字だけが、それを反射して光っている。

縁石に沿って一列に並んでいる白十字が、暗い足元を優しく照らすランタンのように思えた。「お疲れさま。安全にお帰り」

こんな風にドクダミに労られたようだった。さっきまで重かったカラダが急に軽くなったような気がした。

 

The story is about...

A few years ago, when I went on my way to home, it was raining and there were many doku-dami that were in the line at the edge of the footpath. They were also blooming.

I was tired with some relationships between my colleagues at work. I strongly felt nagative feelings from other poeple very much. That's why. 

Doku-dami's flower likes white cross shape. The white ones were shining to receive the lights of the street lamps.

When I made a misstep, there was a little puddle. I made a little splash that came on them.They sofltly swung a bit. Suddenly, I came into focus on one of the white ones then did on the others.

I felt the white ones became a candle lantern then said to me "You were well done today. have a safe going home". My feelings got better.

*not sure about my English..

💙💛

 

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オサンポ walk - サンポ文学 第十二話 The story of walking No.12

2022年04月14日 | 日記

サンポをしていると季節の変化に敏感になる、というのは本当だと思った。もともと自然に興味があるので、自ずと意識が草木や生物に向かうことが多い。

 

毎日同じ道をサンポするということはほとんどない。この間通った道に二週間空いて行く、というようなことが多く、そういうとき彼らの変化に遭遇する。

この間来たときは蕾だった。この間は満開だったのにもう散ってしまっている。

 

好きな割りには覚えが遅いので、新しく知った草木の名前がなかなか身につかない。そして花が咲かないとそれと気がつかないことが今でも多い。

 

そんな中でもドクダミは昔から知っている植物の一つであるが、芽が出始めの時期にその存在に気づくようになったのはやはり最近のことである。

ハート型をしたたくさんの葉が、地表に出て桜の花びらと共存している。六月ごろの梅雨どきにあの白い十字を見せるためには、この時期からの準備が必要なのだ。

 

ドクダミに関して、一つ覚えていることがある。

 

 

The story is about...

If you go for a walk frequently, you may know about changing season easily. Because your eyes catch narure that change a little each day.

I love plants but it is difficult for me to remember new names of them. I've know some plants' name, one of them is doku-dami.

I could notice them when they open. When they come up, before I didn't notice it, but nowadays, I can notice it. I have one story about doku-dami.

 

*not sure about my English...

💙💛

 

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オサンポ walk - サンポ文学 第十一話 The story of walking No.11

2022年04月13日 | 日記

四月の半ばにでもなれば、ハナニラの花が満開の笑顔で、春風に揺れていたりする。

三枚風車の羽根が二重にずれて重なっているように見える、六枚の花びらは大抵は薄い紫色をしているが、白いものもときどき見かける。

一本の茎が10センチほどスッと伸びて、一つの花を咲かせている。近所では花壇で見かけるより、道端やスキマで見かけることの方が多い。

虫がつかないし摘みやすいし、これ以上増えてもいかんのでは? という思いも相まって可能な範囲で、空き地にいるハナニラを少しいただいて帰ったりする。手で摘むと名前がそれを諭しているようにあのニラのニオイが付いてしまうが。

 

花と視線が合う台所の棚に置いて、花が変化していく様を眺めていると、盛りを過ぎた花は絵の具の紫から、クリスタルの紫へと変わっていく。

色が抜けていき、透明度を増していくのである。

花びらの先が微かな縮みを見せているので、花が終わっていく過程の出来事だとは思うのだが、このように変化することになんの意味があるのだろう。

摘んでみなければ永遠に知ることのなかったハナニラの透明化現象。これもサンポの巧妙と言えるかもしれない。

 The story is about...

I wrote about Startflower. In the middle of spring, we can see them anywhere. not only flowerbeds, also any feild, many of them become plant weeds.

When I have an opportunity to pick them then bring to home.

I put them in a little glass then placed on the rack of the kitchen, easy to see them at eye level.

The flowers are like white of paint in the beginning, then turn into crystal white... like limpidity. This change is very interesting. Why do they chose that change? What dose "the change" produce?

I'm happy to know about that. It is from walking. Walking tells something that I didn't know.

*not sure about my English...

💙💛

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オサンポ walk - サンポ文学 第十話 The story of walking No.10

2022年04月12日 | 日記

桜の花の色は、桃色だけじゃないと知ったのはいつの頃だったか。白もあって、それはそれでまた美しい。

近所に桃色と白色を一緒に見られるところがあり、それは本当に得した気分になる。

 

上を向くことが気分の向上に効果があると知って、空や雲の写真も撮るようになった。

上を向いていると、鳥の姿も目に入ってくる。しかし鳥は地面を見ている時も目にする機会がある。鳥たちが非常に羨ましい。

ニンゲンは自分の力だけでは地面から足を離すことも容易じゃない。なのに彼らは、足元にいたと思ったらあっという間に頭を越え、建物や木の上、遥かな高さまで一気に飛んでいってしまえる。

 

鳥の写真を撮るのはとても難しい。鳩は歩くのが得意なのか、地面を歩く時間が他の鳥より長く、近寄ってもすぐには飛び立たないことが、多い気がする。

一度だけだが都会の横断歩道で、鳩がこちら側から向こう側まで青信号の間に歩いて渡っているのを見たことがある。たまたまなのか、この辺りに住んでいて土地に慣れた鳩とかで、交通規則を覚えたのか・・・。

ちゃんと横断歩道の上を、迷うことなく歩いていた。

 

The story is about...

Sakura trees have pink and also white flowers. I know that there are two trees are next each other in the neighbouhood, so we can see them at the same time in one location.

Looking up is good for your mental keeping well. For that, I photograph sky and cloud. When I do that, I notice many birds around there. They are better creatures than humans. Because humans can just jump up for a second when we want to fly. The birds, they fly to anywhere, over the head of humans and at a higher place.

Doves, would not fly away than other birds. They seem to be good at walking on the ground. 

A few years ago, I witnessed a dove was passing on the zebra crossing on foot from here to there. It was just as it happened or the dove might have known the rules of the road.

The dove went straight to the opposite side.

*not sure about my English...

💙💛

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オサンポ walk - サンポ文学 第九話 The story of walking No.9

2022年04月11日 | 日記

アスファルトや壁のスキマから、芽を出し成長し花を咲かせて子孫を残す。しかし場所によってはニンゲンの持ち主に迷惑をかける。彼らの生えた場所から壊れていくからである。

成長に伴ってアスファルトを持ち上げる穴を開ける。そこから雨水が染み込んでいく。壁にはヒビが広がる。

ただただ歩いていて、サンポの途中に眺めるだけの自分は他所者で傍観者である。無責任である。

 

時折り、前の時と風景が変わっている、ということが起き、何が変わったのか、と思うと、サンポ途中で見ていたスキマ草たちや他の植物たちが払拭されていることがある。

それを知って勝手に残念がっていたりする。そのことに諸行無常の響きあり、と平家物語まで引っ張り出してきたりする。

 

いちいち感受性を解放して、心を痛めていたりする。こういう時自分が面倒くさいとまた思う。ニンゲン関係の中でもこんな風な感受性を発揮することがある。

HSP (ハイリー・センシティブ・パーソン) という言葉を知ったのは、ほんの数年前である。

 

I've been enjoying seeing/meeting Sukima-soh. Sukima-soh...someitmes give some damages on asphalt, road, wall and so on. They live in a gap. It would make the gap gets bigger so that water comes into the gap. This happen would impose a negative effect on them.

I'm just a walking person, onlooker and fecklessness.

The owner of them might work something on them.

It means that, for example, the aspects that I see before suddenly change, I find that fact when I pass by.

That is...they cut by the owner so they are gone.

When it happens, my heart hurts. I knew the word of HSP a few years ago.

*not sure about my English...

💙💛

 

 

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする