登場編でのヘタレっぷりを挽回すべく、続く第257話『山男』では卑劣な麻薬組織の黒幕を証拠なしで逮捕しようと暴走するロッキー(木之元 亮)ですが、チンピラ2人と長さん(下川辰平)を突き飛ばしただけでw、すぐに山さん(露口 茂)のマダムキラー・パンチを受けて撃沈。
チンピラ相手なら軽く10人ぐらい病院送りにしちゃったジーパン(松田優作)やテキサス(勝野 洋)に比べるとやはり「ショボい」と言わざるを得ず、ロッキーの人気が爆発に至らなかったのは、魅力的な見せ場を与えなかった制作側にも大いに問題がありそうです。
この時期から『太陽にほえろ!』はより重厚な人間ドラマを目指すようになり、以降も妙に重苦しいエピソードが続きます。これじゃあ新人刑事も輝きようがありません。
だけど視聴率だけは好調が続いたもんで、次の新人刑事=スニーカー(山下真司)でも全く同じ過ちを繰り返し、番組始まって以来の大スランプを迎える羽目になっちゃう。
そのスランプ期の到来まで2年間も高視聴率をキープ出来たのは、やっぱりボン(宮内 淳)の存在あればこそだったと、贔屓目抜きで私はつくづく思います。
殿下(小野寺 昭)を毛むくじゃらにしただけみたいなw、マジメ一本調子のロッキーにあんなシリアスな脚本を与えれば、番組が暗く重苦しいものになっちゃうのは至極当たり前で、もし明るく軽妙なパイセン刑事=ボンがバランスをとってくれなかったら、『太陽~』は『金八先生』の登場を待たずして早々に凋落したに違いありません。
今、ロッキー登場期の『太陽~』を見直して、私はあらためて確信しました。『太陽~』が凋落したのは『金八先生』のせいじゃなくて、単純にボンがいなくなったから。制作陣がボンの存在価値をよく理解してなかったからなんだと。
さて、今回のエピソードもまた大人向きのしっとりしたイイ話で、今観ればこそジンワリと感動しますけど、まだガキンチョだった当時の私はたぶん退屈しただろうと思います。
☆第258話『愛の追憶』(1977.7.1.OA/脚本=桃井 章/監督=斎藤光正)
香西(角野卓造)というサラリーマンが、地下鉄の入口で何者かに階段から突き落とされ、負傷します。
香西が救急隊員に「女に突き落とされた」と言った為、藤堂チームは殺人未遂事件として捜査を開始しますが、なぜか香西は一転して「足を滑らせただけです。角野卓造じゃねえよ!」と事故を主張、捜査の打ち切りを懇願します。
何か裏があると睨んだボス(石原裕次郎)は、情報収集の続行を指示。結果、香西が階段から落ちた時、その現場に三好京子(村地弘美)という若い女性がいたことが判明します。
京子は関与を否定しますが、彼女は半年前に夫を交通事故で亡くしており、また香西も同じ頃、友人と3人で出掛けたドライブ旅行で事故に遭い、運転していた親友を亡くしていることが判明。やがて、その親友こそが京子の夫であることも発覚します。
しかし、だからと言って、なぜ京子が香西を階段から突き落とす必要があるのか?
山さんは半年前の事故車に同乗していた、香西のもう1人の友人=宮田を訪ねますが、彼はアパートの部屋で服毒自殺を図り、孤独死していたのでした。
そしてその部屋で、三好京子に宛てた手紙の下書きが発見されます。そこに書かれていたのは「あの車を運転していたのは、ご主人ではありません」という告白と、懺悔の言葉。
事故を起こした車を運転してたのは香西であり、だけど京子の夫である三好だけが亡くなった為、香西と宮田は口裏を合わせて三好が運転していたと偽証した。けど、宮田はその後ろめたさに耐えきれず自殺し、彼の手紙によって真実を知った京子が、恐らく香西を階段から突き落とした。
香西が真実を自供するのは時間の問題で、そうなれば京子の殺人未遂も立証される。ボスは旅行鞄を持って上野駅へ向かった京子を署へ連行するよう、山さんに指示するのですが……
「ボス、勝手を言って申し訳ありませんが…… 私は、三好京子に自首をしてもらいたいんです。お願いします。逮捕状はしばらく待って頂けませんか」
「……分かった。山さんに任す」
他の刑事たちとは違う想いが山さんにあることを、ボスは即座に理解します。今の山さんには、誰よりも京子の気持ちがよく理解出来る。その理由とは……
京子を乗せた夜行列車に乗り込んだ山さんは、彼女の向かいの席に座ると、旨そうに缶ビールを飲み始めます。勤務中なのにw
「私はこれに眼がありませんでね。私が仕事から帰ると、死んだ家内が毎日1本だけ出してくれました」
「え…… 奥さま、亡くなられたんですか」
「ええ。心臓病で、去年…… いい家内でした」
「…………」
そう。京子が愛する夫を失ったのとほぼ同時期に、山さんも最愛の妻=高子を亡くしてるのでした。
「あなたが、ご主人を愛していたことはよく解ります。愛の想い出というのは残酷なものだ。愛していれば愛していたほど、その想い出が残された者の心を傷つけます」
かつて若い頃、三好夫妻と同じように小さなアパートに高子と棲んでいたことを、山さんは懐かしそうに語ります。
「そうそう……あなた方と同じように、一緒に銭湯に行ったこともありましたっけ。もっとも、たった一度きりでしたが……」
たぶん、例によって山さんが捜査に明け暮れ、一緒にどこかへ出掛ける機会などほとんど無かったんでしょう。近所の銭湯でさえ1回しか行ってないという事実が、切なくも微笑ましいです。
「そういった想い出も、今となっては辛い想い出です。しかし、私は忘れたくない。なぜなら……それは、思い出すのに充分価値のあるものだからです」
「…………」
「私は……あなたの愛の想い出に、汚点を残して欲しくありません。将来、尊い愛の記憶として、何のこだわりもなく……思い出してもらいたいんです」
「…………」
夫婦の想い出に、罪悪感という翳りが一生つきまとうのは、罪を償うことよりもずっとツラい筈…… 逮捕状が出るより先に京子が犯行を自供したのは、言うまでもありません。
放っておいてもいずれ京子は逮捕されたワケだけど、山さんは検挙実績を挙げることよりも、三好夫婦の想い出こそを守りたかった。それが彼女にとって生きる支えになることを、今の山さんはたぶん誰よりも理解してるから。
ミステリーとしてはありがちな話かも知れないけど、それだけで終わらないのが『太陽にほえろ!』の素晴らしさ。
山さんの愛妻物語はこれまで5年にも渡って描かれてますから、妻を亡くしたばかりっていう主人公の設定が、もはや単なる設定じゃないんですよね。それ自体が既に「ドラマ」として成立してる。我々視聴者も山さんと同じ想い出を共有してるワケです。
10話前後で終わっちゃう昨今の連ドラじゃ絶対に味わえない感動だし、例えば『相棒』みたいな長寿番組でも刑事のプライベートをここまで掘り下げることは、まず今はありません。
いや、当時のドラマでも、刑事の個人的な感情をここまで丁寧に描いた作品は『太陽にほえろ!』以外に存在しなかったかも知れません。
ストーリーだけじゃなく、今回は斎藤光正監督による丁寧な演出が光り、まるで長編映画を観てるよう。単なる聞き込みシーンにも、多分たまたま現場付近にいた子供たちをエキストラに使ったり、捜査会議のシーンでも長さんに煙草を吸わせたり等して臨場感、現実感を演出されてます。連ドラのタイトなスケジュールじゃ普通なかなか出来ないことです。
ただ、そうは言いつつ、大方の視聴者がそこまで丁寧なもの、深いものをTVドラマに求めてるかどうかはビミョーなところで、ながら見が当たり前の現在だと、多分ほとんど伝わらない事でしょう。
私自身、レビューを書く前提があるから一生懸命観るけれど、ふだんのテレビ番組を観る姿勢でこのエピソードを観たら「ああ、辛気臭いなぁ」としか思わないかも知れません。
まして本放映当時は小学生のガキンチョでしたから、山さんに共感するより「もっと銃撃戦が見たい!」「ボンやロッキーの暴れる姿が見たい!」「なんならアッコ脱いでくれ!」みたいなことしか、たぶん思ってなかったですw
この時期のハイクオリティーな脚本や演出に、岡田チーフプロデューサーはご満悦だったみたいだけど、一般視聴者の側は果たしてどうだったか?
この辺りから、ちょっとずつ意識にズレが生じてたんじゃないかと、私は思います。もちろん、こうしてじっくり観る分には本当に素晴らしいんだけれど。
ゲストの村地弘美さんは、以前レビューしたスコッチ&ボン時代の第223話『あせり』に続く2度目のご登場につき、今回プロフィールは省略させて頂きます。