ハリソン君の素晴らしいブログZ

新旧の刑事ドラマを中心に素晴らしい作品をご紹介する、実に素晴らしいブログです。

「スルースキルを身につける。」

2024-12-14 21:44:34 | 日記

『ストレスに負けない人の習慣、ぜんぶ集めました。』の第五章、『ストレスに負けない人の“仕事の習慣”』の1つとして挙げられてるのが「スルースキル」を身につけること。

たとえば誰かに、冗談なのか嫌味なのかよく分からないことを言われたとき、その真意がどっちなのか考え込んでも答えなど出やしない。だったら「まあ、いいか」と受け流す。

たとえば上司から「ほんと下手だねえ、こういう風にすればいいのに」みたいな嫌味を言われた時には、後半の「こういう風にすればいい」だけを記憶に留め、前半は忘れちゃう。

なかなか難しいミッションだけど、確かにそういうスキルがあれば気楽に生きられるし、人付き合いも上手くできそう。



私の場合は他者から言われたこと以上に、自分が他者に対して言ったことを「あ、誤解されたかも?」とか「傷つけたかも?」「嫌われるかも?」って、後になってグズグズ考えちゃう癖がある。

その場で気づいて「あ、今のはこういう意味じゃないよ」って言えたらいいのに、とっさに回らない自分の頭を残念に思っちゃう。

けど、それも「まあ、いいか」とスルーしなきゃしょうがない。時は戻せないんだから。



そこで遠い過去の話、私がまだ小学生だった頃に両親が不仲になったいきさつを書こうとして、「あかん、ネガティブな話は避けようって決めたところやん」と自制しました。

最終的に言いたかったことだけ書くと、両親はお互い真面目すぎたんですよね。もしスルースキルという発想が当時あれば……って、ふと思ったワケです。だけど昭和中期の日本人にそんなこと求めるのは、いかにもムチャな話。

「こんな自分に誰がした?」みたいな思いをかつては抱いてたけど、今は違います。今なら父の苦しみも母の苦しみもある程度は理解できる。

これまでの私は、人生ってヤツを軽く見過ぎてました。今さらながら否応なく、自分と向き合ってます。変わらなきゃ本当にヤバいと気づいたから。

まあ、生きてりゃ誰もが変わっていくだろうし、このブログの内容だって少しずつ変わって来たはず。今後どう変わるかは自分でも分からないけど、今が大きな過渡期なのは間違いなさそうです。

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「また状況が変わった。」

2024-12-13 21:21:09 | 日記

今日の検査&診断で、母はほぼ間違いなく「心不全」を患ってることが判り、即入院となりました。胸のシコリは癌ではなく、心臓に水が溜まってたワケです。

私の勤め先に入所してから、わずか11日目にして入院。ポジティブもネガティブも関係なく、ただ事実を書いてます。



私は(そしてたぶん母自身も)延命治療は避けたい派なんだけど、ドクターの「決してお母さんに無理はさせない」という言葉を信じて、入院に同意しました。

ショートステイを断ってきた前の施設は、たぶん気づいてたんでしょうね。けれど介護施設の立場としては「検査を受けさせて下さい」としか家族に言えない。

それは解るけど、胸のシコリとか足のむくみは知らせて欲しかった。「家族なら自分で気づけよ」っていう意地の悪さを感じてしまう。だって勤め先のナースはすぐ教えてくれたし。

とはいえ、確かに、靴を履かせる時やけに窮屈そう=足がむくんでる=心不全かも?っていう発想は、私なら出来た筈なんですよね。なぜなら父も同じく心不全だったから。

けれどもう、自分を責めたりはしません。もうちょっと早く発見したとしても結果は同じで、誰も悪くない。ただ、コロナの感染だけは防げたかも知れないのが悔しいけど。



もし、ストレス軽減法の本を事前に読んでなかったら、今の私はもっと落ち込んでる筈。やっぱり「ハリソン君という名の神」に導かれたとしか思えません。

いま起きてることを「自分に下された罰なのかも?」って、以前の私ならもっとネガティブに捉えた筈。だけどそれって、自分以外の何かに責任転嫁してるだけですよね。

何もかも自分自身による選択の結果であり、同じことが母にも言える。だから後悔なんかしてもまったく無意味だって、今なら思えます。誰に何と言われようと。

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「脳をだます。」

2024-12-12 22:12:24 | 日記

明日、勤め先の介護施設(特養)で母が入所してる“ユニット型”が、ようやくコロナの厳戒態勢を解く予定で、ちょうどその日が母の定期回診日。やれやれ、今度こそ予定通りに事が進み、ほぼ1ヶ月ぶりに母と再会できそうだ……

と思いきや! 今度は病院から電話がかかってきて、母の主治医が体調を崩したから(まさかコロナ?)回診日を1週間ズラしてもよろしいですか?だって。もう勘弁してくれ!

回診日がズレようが薬は明日もらわなきゃいけないし、主治医がウチの施設のかかりつけ医に替わるから紹介状も書いてもらう必要がある。何より「胸のシコリ」という新たな問題が出てきてるし、私だってそんなにポンポン仕事を休めないんだよっ!!💢

……って、一瞬カッとなりかけたけど、電話を受けたとき周りに何人か同僚もいたから、あくまで冷静に対応し、丁寧に事情を伝えた上で「ほかの先生に明日、予定通りの時間に診て欲しいです」とお願いしました。結果、その要求は通りました。

まぁしかし、なんだか分かんないけど毎回毎回、スムーズに事が進みません。ああ、またストレスが……



とはいえ、電話を受けたとき冷静に対処できたのは、ちょっとした成長かも知れません。ストレス対策の本がさっそく役に立ってる? 仕事は相変わらずハードなのに、感じるストレスはやや軽減した実感もあります。

特に最近ブログで取り上げた「オーウェル思考」と「7:2:1の法則」は確実に効いてます。それと「いい人をやめる」っていう指針も。

いわゆる「ポジティブ・シンキング」ってヤツには胡散臭さを感じて来たけど、「ポジティブな言葉を発することによってセトロニンやドーパミンなどの神経伝達物質が分泌され、ストレスが軽減される」みたいに理屈で説かれると私は納得しやすい。

そういうのが「ストレスに負けない人の“脳をだます習慣”」で、スピリチュアル業界で言うところの催眠効果でしょうか。

以前の記事で、うつ状態の入口にいた私を救ってくれたのが『探偵!ナイトスクープ』の“キンタマ”ネタ3連発だったと書いたように、笑いがもたらす癒し効果は抜群なんだけど、それは単に口角を上げるだけの「つくり笑い」でも同じ効果が得られることが科学的に証明されてたりする。

人の脳ってヤツはけっこう騙されやすく、たとえば「あいつは最低だ」と悪口を言ったつもりでも、その主語を間違えて「俺は最低だ」と受け取ってしまう場合もあるんだとか。だからネガティブな言葉は発しない方がいいってワケです。



そう言えば職場の同僚に、忙しくてバタバタすればするほど「ああ楽しい、ああ楽しい」ってやたら連呼する人(男性)がいて、私は内心「こりゃよっぽどのマゾヒストだ、ド変態がここにいる!」って笑いそうになるんだけど、彼はもしかすると自分の脳を騙そうとしてわざと言ってるのかも知れません。

そんな彼は活き活きと働いてるように見えるし、顔をしかめて「しんどい、しんどい」と連呼する人より確実に好感度が高い。そうして周りから好かれれば自分も気持ちいい=ストレスも少ないことでしょう。

まあ、実際のところ彼はド変態なだけかも知れないけどw、目隠しされて氷を触ると「熱い!」って錯覚するのが人の脳ですから、騙されやすいのは真実でしょう。

だからこのブログでも今後は出来るだけ、ネガティブな表現は避けようと思ってます。ストレス発散の1つとして愚痴は変わらずこぼすでしょうが、少なくとも自分が言われてイヤなことは言わないよう心がけたいところ。

そういった変化を、老化じゃなく「成熟」への階段と解釈し、皆さんにも楽しんで頂ければ幸いです。

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「“いい人”をやめる。」

2024-12-10 21:39:39 | 日記

実は『“ストレスに負けない人”の習慣、ぜんぶ集めました。』を買う前に読みかけてたのが『“いい人”をやめて自分に“ありがとう”を唱えると、きっと楽に生きられる』という単行本。

結局のところ「ストレスに強い人」の特長を一言で表わせば、「他人にどう思われようが気にしない人」ですよね。それはもう、私だってとっくの昔に分かってる。そうなりたいと常々思ってるけど、なれない。

私は「いい人」です。常に「いい人」であろうとしてしまう。それがストレスの大元になってるのも分かってる。

だから「いい人」をやめられる方法があるなら是非知りたい!と思って購入したんだけど、それが「自分に“ありがとう”を唱える習慣を持つ」という、ちょっとスピリチュアル寄りの内容だった。(実際、著者はヒーリングセラピストの女性です)

私は男にしてはスピリチュアルに理解がある方だと自負してるけど、それでも自分で「ハリソン君、ありがとう」って声に出して唱えるのは、さすがに恥ずかしい。男って生きものは女性よりもナルシストだし、頭が固いからどうしても理屈を求めてしまう。それで途中で『ストレスに負けない人の習慣〜』に乗り換えたワケです。



母がショートステイから入所になって、土日も施設で面倒をみてもらえるようになりました。家族4人で暮らしてた家がついに私1人きりになって、寂しい気持ちは当然あります。

が、その一方で、正直「やっと解放された!」っていう嬉しさもあったりする。「いい人」はそんな自分に罪悪感を覚えるワケです。母が衰弱してる状態だけに、よけい「俺ってヤツはどんだけ薄情なんだ」とか思っちゃう。

けど、その罪悪感って必要だろうか? そんなもん背負ったところで事実はなにも変わらない。ただ自分で自分のストレスを増やしてしまうだけの話。

親を心配する気持ちは勿論あっていい。けど、自分を責めるという思考には何の生産性も無いし、むしろ自己陶酔してるみたいな“キモさ”がある。だから周りに引かれちゃうんでしょう。

そういう悪癖を一刻も早く捨てなはれって、上記2冊の本は異口同音に(かたや神秘的な、かたや論理的な切り口で)諭してるんだろうと思います。

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「2:7:1の法則。」

2024-12-08 15:39:59 | 日記

公休日なので午前中、最近読み終えた本、あるいは読みかけて後回しにしてる本をラックに移す(と同時にもう読まないであろう本を取捨する)作業をしてました。

そしたら、書店の紙カバーを着けたままベッド脇に平積みしてた本の中から、『楽しそうに生きてる人の習慣術』『いちいち気にしない心が手に入る本』なんてのが出て来ました。

過去にその種の本はたびたび買ってたんですよね。ただ、今ほど集中砲火的なストレスに晒されてなかったから、読了するまでのエネルギーというか、切迫感が無かったんでしょう。

今回は違います。ほっといたら必ず自滅する自信がある。ええトシして情けないけど、本気で強くならなきゃいよいよヤバい。



そんなワケで『“ストレスに負けない人”の習慣、ぜんぶ集めました。』の第一章、ストレスに負けない人の“考え方の習慣”。

その中でも「ストレスに強い人は、みんなから好かれなくても平気」という項目で紹介されてる、アメリカの臨床心理学者=カール・ロジャース氏による研究結果が「2:7:1の法則」。

自分の周りにいる10人の中で、気の合う人はせいぜい2人しかおらず、1人は全然気が合わなくて、残りの7人はどちらでもないという統計。

私の場合、気が合わない人の割合はもっと高い気もするけど、気が合うと(少なくともこちらは)感じてる同僚が今の職場に2人います。なんや、普通やん!(ただし全体数が10人をはるかに超えてるけど)

気が合わないと感じる人が沢山いるのもごく普通のことであり、相性なんかどうしたって変えようないんだから、人間関係で悩むなんてホント時間とエネルギーの無駄使い。

これを覚えておくだけでも精神的ストレスはかなり軽減できそうです。

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