屯田物語

フォレスターとα6000が
旅の仲間
さあ、カメラを持って
出かけよう!

旅のおわりは神田川

2009年06月10日 | 


恐竜の次は阿修羅像かな、でも博物館の前はすごい人混み、
70分待ちという案内があってあきらめる。
そうだお茶の水へいってみるか。
上野~東京~お茶の水と乗り継げば早いが、
お天気がいいので神田から歩くことにした。

神田川に沿って湯島天神の前を過ぎると、ここはお茶の水↑



明治大学の博物館だね、埴輪や江戸時代の高札などをみて、
恐竜の白亜紀から日本の歴史まで一挙にタイムスリップして現実に戻った心地である。
昭和30年代の和泉校舎の写真が懐かしい・・

”神田すずらん通り”
此処は古本屋が並んでいて、
本好きはそのまま通り過ぎるのは勿体ないと思うだろうね。



駿河台までやってきた・・
ここから都営新宿線で馬喰横山のホテルへ戻ることにする。

今夜の最終便で札幌へ、伊香保からはじまった旅はこれでピリオド・・
そして、5月26日の”旅のおわりは太古のロマン”へとつながるのである。



上野の森の恐竜

2009年06月09日 | 


↑マプサウルス
ゴンドワナ大陸に典型的な大型肉食恐竜、最大は全長13mあって、
顎にはナイフのような鋭い歯が並んでいる。

↓クリオロフォサウルス
南極大陸で発見された、ジュラ紀前期の肉食恐竜としては最大・・
頭の上の”トサカ”が特徴である。




↓ベロキラプトルの爪 化石発掘地モンゴル ゴビ砂漠
後肢にある大きな鉤爪は切裂くためではなく、
獲物の急所に突き刺すためのものであったと考えられている。(高さ7cm 幅5cm)




恐竜のなかでもベロキラプトルが一番のお気に入り・・
なんといっても完璧な肉食恐竜の姿がある。
ティラノサウルスは最強であっても、手がとても小さくていかにも骨格のバランスがわるい。
それに比べベロキラプトルは研ぎ澄まされた刀のようで、敏捷で獰猛なところが美しい。
ここには展示していなかったが、ベロキラプトルの爪を手に入れたからご機嫌である。
もちろんレプリカだが。



↑クリオロフォサウルス

↓サンタナラプトル
小型の肉食恐竜、ティラノサウルスを含むティラノラプトル類の一種




伊能忠敬の墓はひっそりとして地味

2009年06月08日 | 


佐原にきたら伊能忠敬記念館へと思っていたが、
この日はなんと休館日であった。
それならば、菩提寺の観福寺までいってみよう。

観福寺は真言宗豊山派に属するお寺で、
弘法大師がお泊まりになったこともあるという。



もうちょっと立派なお墓かと思ったが、とても地味で小さなお墓である。
忠敬の遺言により、遺骨は浅草の源空寺に埋葬され、
観福寺には髪の毛と爪が埋葬されているとか。



さあ、もう一度、古い町並みをぬけて、日本橋まで帰ることにする。
明日は上野で大恐竜展をみるそ!


佐原まちぐるみ博物館

2009年06月07日 | 


 お江戸見たけりゃ佐原へおいで,佐原本町,江戸まさり・・

あやめ公園から循環バスに乗って佐原の古い町並みへ・・
さっそく、舟頭さんから頂戴した大きな田舎饅頭を頬張る。旨いね。

”古い町並み”はどこで降りたらいいですか、運転手さんに聴いたところ、
他のお客さんもいたけど、
そこのバス停に停車したまま道順を丁寧に教えてくれた。



市内をゆったりと流れる小野川沿に江戸時代の名残を留める昔ながらの建物が多数残っている。
そのひとつの小堀屋本店でお蕎麦を食べる。
創業が天明2年の蕎麦屋とか、店は江戸時代の形そのままということであった。



「佐原まちぐるみ博物館」の札が下がっているお店があって、
そこの奥さんからいろいろ伺うことができて興味深かった。
カルメラ焼きを食べたが、これは何十年振りかな、
とても懐かしい甘さであった。



電話室があった。



これ、障子式のシャッターとか・・



佐原のあやめ祭り

2009年06月06日 | 




十二橋駅でおりて、タクシーをと思ったが、
なんとここは無人駅、あやめ公園までは3キロもあるというのに駅前にはなにもない。
仕方なく少し歩いたが、畦道の分かれ道で迷ってしまった。

ちょうど、そこへ車で通りかかった年配のご夫婦に道を尋ねると、
そこまで送ってあげるということ・・

”旅は道連れ世は情け”というが、
ご親切なご夫婦に感謝感謝!



かすり姿にボッチ笠姿の女舟頭さんの小舟にのって、園内をゆっくり案内してもらった。
たくさんの睡蓮がとてもあでやかで、手を伸ばせば掬ってしまえそうである。
暖かい日差しと水花の美しさにひたりきった午後であった。

昼食もとらずにいたのでお腹が空いたね。
舟を下りてから、二人でそんなことを話していたら、
ちょうどそこへ舟頭さんの娘さんがお弁当とおやつをもってやってきた。
「北海道の人だからね」
なんていいながら舟頭さんは田舎饅頭と濡れせんべいを分けてくれたのである。

やはり千葉はいい人がおおいんだね。


飛騨高山は岐阜の小京都

2009年06月05日 | 


合掌造り二階から観光客がこちらをみていて、これもなんかユーモラスな感じだね。
でも、田んぼのなにを見ているなかなあ・・

さあ、これから飛騨高山へ・・





飛騨高山と言えば、この古い町並み。小京都と謳われる町は全国各地にあるけど、
"さんまち通り"は代表的な小京都といわれる。

時間があれば、もっとゆっくりみたいと思うけど、
これから東京へ帰るので、
あまりゆっくりしていられないのが残念。





白川郷の悩ましい三角関係

2009年06月04日 | 


白川郷は合掌造りの集落ばかりではない。
まわりを流れる水がとても澄んでいて、美しい花々がその集落を飾っている。
それだけでも、ここの住人はまわりの自然環境をとても大事にしていることがよくわかる。
そんな村の花風景を集めてみた。



合掌造りの家屋には人が住んでいる。
世界遺産に指定されてから、こうしてたくさんの観光客が押し寄せると、
プライバシーと観光と世界遺産という微妙な調和が崩れてゆくことはないのだろうか。
人口わずか2000人程度の小さな村であるが、昨年は150万人を上回る観光客が押し寄せている。
住民は風土、歴史、民俗文化を活かした美しい村づくりにつとめているといえども、
急激な観光化によって、その良さが次第に失われてゆくような気がしてならない。

このまま観光だけが拡大しすぎないように、
生活、観光、世界遺産の三角関係をどうバランスよく保持してゆくか、
それがこれからの課題なんだろうと思う。










白川郷の花たち

2009年06月03日 | 


 白川の夕霧すでに湖底めく      能村登四郎

白川郷の水がとてもきれい、だから花もきれいである。
そんな花ばかり集めてみた。
都会の公園はかなり洗練されていても、なかなか水のきれいなところが少ない。
やはり水は命の源なんだね。









雨の白川郷 日本の原風景

2009年06月02日 | 


雨の白川郷になったね。
昔話に登場する合掌づくりの家家が箱庭のなかにおさまっているようで、
それはこじんまりした日本の原風景なのである。
まわりに水田や水路があって、とてもきれいな水が流れていた。

なんと小さな水路に大きな魚が泳いでいたよ。
これはニジマスかアメマスか、ゆうに30センチはあったからびっくり。



「白川郷・五箇山の合掌造り集落」が、世界文化遺産として登録することが決まったのは1995年であった。
五箇山にも行ってみたい、できれば冬・・
雪に埋もれた合掌造りの風景を想像するのは楽しい。





三階まで昇ってみた。養蚕もおこなわれていたのかなあ・・



福地温泉の朝市は「ALWAYS三丁目の夕日」

2009年06月01日 | 




福地温泉の朝市へ・・

店内は昭和にタイムスリップしたような錯覚、
山口百恵やアランドロンのポスターがあったけど、
これは売り物かな。
パチリと撮ったが、まるで盗撮?しているようでどぎまぎしてピントが合わなかった。
昔の10円札などの紙幣が売っていた。




でも買ったのはとち餅だけ、白川郷へ向う途中で食ったけど旨かったね。



さあ、いよいよ白川郷へ・・
あいにくの雨となったが、水と花がきれいな村なので、そのほうが風情あるかもね。