古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

小芋プールは遊び場になる

2009年06月17日 22時26分08秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 雨が降りません。畑がカラカラです。サツマイモの畝・100株植えた落花生の苗・キュウリ・ナスビ・種を播いた胡麻・自然薯・芽を出しかけた生姜など毎日水やりが必要です。そんな中にあって小芋の畝だけは水やりをしなくてもいい。助かります。『小芋プール』のお陰です。
 さて先日孫たちが遊びにきました。もうイチゴはありませんが、それでも畑の周回道路を走りまわり、やがて小芋プールに目をつけました。どこから入ってきたのかアメンボが一匹水に浮いています。蛙も水に飛び込んだり泳いだりしてます。孫たちは畝に立って見ていましたが、そのうちプールに入ってじゃぶじゃぶ歩きはじめました。
 もともと田んぼですから水をためると泥に長靴がめり込みます。手で田んぼの泥をさわる心地よい感触もいい。二人の孫は泥だらけになって行ったり来たり。親が見たらびっくりして引き上げ、裸にして水をぶっかけて洗うでしょうが、幼児にとっては解放感にひたる気持ちのいい遊びのようです。
 孫の家に行ったとき、孫の案内で近くの公園に行きました。草の生えていないきれいな公園です。でもベンチと滑り台と鉄棒らしきものがあるだけです。三分も遊んだら退屈してしまいます。それに比べると小芋プールはなんと魅力的でしょう。幅55センチ・長さ12メートル・水の深さ7センチの水たまりですが、遊びあきないようです。
 子どもの頃に家の近くの小川でよく遊んだのを思い出しました。なにをするでもなく流れを棒切れでつつき、水の中を歩きまわりました。コンクリートで固めたいまの河床とちがい、石がころごろして、茂みがあり、生き物がいました。そしてなにかいそうな橋の下とか暗渠とか、こわい場所もありました。そんなところはなくなったし、あっても近づけない時代になりましたね。
 まるで自分がなにか大事なものを失ったような、ため息の出る思い出話になってしまいました。
 
 
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進化する堆肥箱

2009年06月17日 04時53分52秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 大豆を播く時期になりました。きのう防鳥ネットを買いに『JAみらい』(農協)の売店に行ったら、田んぼの畦用パネルがありました。ホームセンターで買ったパネルと同じ規格ですが、高さが60センチあります。早速三枚もとめて畑でつないでみました。
 写真左は先日堆肥を仕込んだ堆肥箱です。もう醗酵がはじまって、温度が上がりつつあります。この堆肥箱は高さ40センチのパネル四枚でつくりましたが、ちょっと大きすぎます。60センチのパネル三枚をつないでみると、堆肥箱としてちょうどいい。
 前の堆肥箱は1,2メートルのパネル四枚で周囲4,8メートル。今度の堆肥箱は三枚だから周囲3,6メートル。中に入るのにいまブロックを置いていますが、ここは土を持ってきて斜めの通路状に踏み固めます。鶏糞や土や枯れ草などを一輪車で運ぶとき材料を入れやすいように。
 左の堆肥箱はいずれ右の堆肥箱と同じ枠にします。二つの堆肥箱で季節をずらせて堆肥をつくるようになれば、有機無農薬の野菜づくりには理想的です。
 この畑は去年の4月、村の老人会の集まりのとき「あんた、うちの田んぼ使こてやないか」と一声かけてもらったのがはじまりでした。雑草の茂る田んぼを畑にして、レンゲ畑をたのしみ、イチゴ畑で孫たちを引きつけ、いまではぼくらには欠かせない働き場であり、遊び場です。ちょいと片手間にやるのでなく本気になって耕し草を刈り堆肥をつくる。それがいい。
 田舎暮らしをはじめたといっても、まわりに山があり田んぼがあり蛙が鳴くというだけではつまらない。そこに力いっぱい仕事をする場があってこそ楽しみもやり甲斐も生れる。
 この畑をつくるようになってわずか一年二ヵ月ですが、いまでは畑なしの生活は考えられません。堆肥づくり一つとっても、なにかの機縁のように智恵を授かる。自分のすることが進化する。
 たまたまそういう展開になったとは思えない変化に富んだ日々です。願わくは一日でも長く畑で仕事ができますように。いずれ終わりの日がくるのはわかっていますが。
 
 
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