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古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

観音堂にお参りしました。

2010年03月13日 04時24分04秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 うちの村の公民館裏には八畳くらいの建物があり、小さな石の像を並べて祀ってあります。道ばたのお地蔵さんや観音さんを集めてきて並べたという感じの棚で、だれが手向けるのか花が差してあります。足もとはセメントの床で、正面の祭壇以外は柱だけで吹きさらしの建物です。いままで公民館に出掛けても気にとめませんでしたが、先日散歩のときにはじめて中に入ってみました。
 よく見るとそれぞれの石の像は古びて趣があり、帽子をとって拝む気持ちになります。孫たちと素直に頭を下げて拝んできました。
 2月末に図書館の郷土史コーナーで『三木市の史跡と神社仏閣』という本を借りました。郷土史にくわしい福本錦嶺さんの書いた本で、先日はこのブログでも福地池の説明を引用しました。(3月8日ブログ)
 うちのでは七つ紹介してあり、大将軍神社・裏山の愛宕社などと並んでこの建物も紹介してあります。名前は『観音堂』で創建不詳となっています。いつお祭りがあるのでしょう。だれが花を飾っているのでしょう。また老人会の人にきいてみることにします。
 この本にはまだ立寄ったことのない建物がもう一つ紹介してあります。名前は『阿弥陀堂』となっています。田んぼの中にポツンと建っていて気にもとめませんでしたが、説明を見ると「境内は90坪あり、境内中央のお堂を西南の隅に移して、相撲場をつくり、若者相撲や力くらべの『土俵上げ』などをした」とあります。
 思い返してみると我が家は、子どもたちが小学校に行くようになったとき新興団地の『ひよどり台』に住みはじめ、中学校に行くようになったら北須磨の新興住宅地の新しい家に住み、やがて子どもたちは結婚して家を出、ぼくらは街の家を引き払って田舎暮らしをはじめました。だから道ばたのお地蔵さんとか小さな祠(ほこら)とか昔からの巨木、あるいは神社やお寺と縁がありませんでした。
 でも由来はわからなくても昔からのものが身近にあるのはいいですね。きょうは散歩で『阿弥陀堂』に寄ってみることにします。




 
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