古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

松本清張『半生の記』を読みました。

2011年06月24日 02時59分51秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
          
 ウッドデッキからの眺めに、タチアオイがどかっと視界を占めるように伸びてきました。垣根沿いにはガウラ(白蝶草)が咲き、百合も花盛りです。野菜は全部下の畑でつくるようになったのでこちらの庭は花畑です。
 最近また松本清張の『半生の記』を図書館で借りて読みました。彼は1992年に82歳で亡くなっていますが、この本は55歳のとき出版社に頼まれて書いたものです。この本を読むのは三度目です。そんなにもぼくを惹きつけるなにかがあるのでしょう。
 図書館で10冊本を借りるとしたら、よくその中に松本清張を1冊入れます。以前は藤澤周平を入れていましたが、主要な本はほとんど文庫本で持っており、読みたいときにはいつでも読めるので図書館では借りなくなりました。松本清張の本は若い頃持っていて『砂の器』『点と線』『目の壁』『ゼロの焦点』『日本の黒い霧』など何度か読み返していましたが引っ越しのとき処分して手元にはありません。それで借りるのです。去年でしたか『西海道談奇』(「奇」には糸偏が着きます)という彼の長い小説(文庫本なら2380ページ)をはじめて読みました。今年に入っては『球形の荒野』を読み返しましたかね。
 彼が小説家として書き始めたのは47歳くらいからです。それまでは一人っ子なので両親をかかえ、妻と子どもをかかえて貧乏な生活をしていました。あれだけの才能があったのに、小学校しか出てなくて、朝日新聞広告部の下っ端社員として社内でも眼中に置かれず、やりきれない思いで生きてきました。それがこの半生記にはよく描かれています。清張は私小説作家ではありません。彼の生きてきた姿がうかがえる唯一の本といっていいでしょう。
 作家の全集本コーナーに行くと、森鴎外、井上靖、水上勉、三島由紀夫、宮尾登美子、佐多稲子、あるいは夏目漱石などなど幾人かの作家の全集が並んでいますが、手垢のついた本が何冊も見られるのは松本清張と藤澤周平です。清張は本を読むたのしみを多くの人々にあたえてくれました。「もし清張の半生になにかちがうことが起こって彼が作家にならなかったら、これだけのたのしみはなかったんだなー」という感慨が胸をかすめます。
 ドヴォルザークは肉屋兼村の宿屋兼居酒屋の息子に生まれました。親は長男の彼に肉屋を継がせようとしました。しかしドヴォルザークは親の願いを振り切って音楽家になりました。交響曲第9番『新世界より』の第四楽章のテーマを聴くとき「もし彼が肉屋を継いでいたら、いま世界の人々はこの音楽を聴くことができないのだなー」という感慨がいつも胸をかすめるのと同じ思いです。 
 
 
  
 
コメント
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