作家・皆川博子の『薔薇忌』という作品集を、図書館の大型活字本で借りて読みました。
なぜこの作家の本を読んだか。彼女は、藤澤周平の『風の果て』(文春文庫)の解説を書いていました。それに魅かれて、どんな作品を書く人かと思ったのです。彼女はこんなふうに解説を書いています。
机の脇に、未読の『風の果て』上下二巻があった。2、3日後旅行に出る予定があり、長い車中のたのしみに、私は大切にとっておいたのである。
ところが、つい、手がのびて、ページをめくった。
読みはじめたら、止めるどころではない、止めようと思うゆとりもない、原稿用紙にして千枚を越えるであろうこの長編を、ひたすら、むさぼり読み、読み終わったとき、快くみたされていた。
文芸評論家・秋山駿は、藤澤周平の『蝉しぐれ』(文春文庫)の解説を書いています。こんなふうに。
或る日、私は長くさる週刊誌の書評委員をしているが、目の前にずらりと並ぶ数百冊の本の中に、この『蝉しぐれ』があった。蝉しぐれ、というタイトルがよかった。たぶんそれが私の眼を撃った。何気なく持って帰り、夜、枕頭に置いて読み出したら、いつの間にか朝になっていた。
少年の日のように読んで徹夜してしまったのだ。私は文芸批評を始めて30年に達する。本を読むことにかけては、すれっからしである。この『蝉しぐれ』は、そんなすれっからしを、少年の心に還してくれた。 (中略) そんな少年の心に人をして還らせること。それがこの作品の持つ第一の徳であった。六十に近い男が徹夜したのに、朝、心気は晴朗であった。
作家・常盤新平は、『藤澤周平読本』に『海鳴り』の解説を頼まれ、こんなふうに書いています。本がいま手元にないので、内容だけ伝えます。
この夏私は、『海鳴り』(上下二巻)を読んで過ごした。終りまで読んだらまたはじめから読んだ。4回目を読み終わった頃に、夏が終った。(たしかそんな内容の文だったと思います)
こんなふうに、〈作家〉さえとらえて離さない藤澤周平の「すご技」。
たしかここに引っ越した頃に、亀山郁夫の『カラマーゾフの兄弟』新訳が話題になり、ぼくらも買って読みました。7年前のことです。でもそんな気力は、もうありません。
そんなときに藤澤周平はいい。
海鳴り / 蝉しぐれ / 風の果て / をまた読んでみたくなりました。
なぜこの作家の本を読んだか。彼女は、藤澤周平の『風の果て』(文春文庫)の解説を書いていました。それに魅かれて、どんな作品を書く人かと思ったのです。彼女はこんなふうに解説を書いています。
机の脇に、未読の『風の果て』上下二巻があった。2、3日後旅行に出る予定があり、長い車中のたのしみに、私は大切にとっておいたのである。
ところが、つい、手がのびて、ページをめくった。
読みはじめたら、止めるどころではない、止めようと思うゆとりもない、原稿用紙にして千枚を越えるであろうこの長編を、ひたすら、むさぼり読み、読み終わったとき、快くみたされていた。
文芸評論家・秋山駿は、藤澤周平の『蝉しぐれ』(文春文庫)の解説を書いています。こんなふうに。
或る日、私は長くさる週刊誌の書評委員をしているが、目の前にずらりと並ぶ数百冊の本の中に、この『蝉しぐれ』があった。蝉しぐれ、というタイトルがよかった。たぶんそれが私の眼を撃った。何気なく持って帰り、夜、枕頭に置いて読み出したら、いつの間にか朝になっていた。
少年の日のように読んで徹夜してしまったのだ。私は文芸批評を始めて30年に達する。本を読むことにかけては、すれっからしである。この『蝉しぐれ』は、そんなすれっからしを、少年の心に還してくれた。 (中略) そんな少年の心に人をして還らせること。それがこの作品の持つ第一の徳であった。六十に近い男が徹夜したのに、朝、心気は晴朗であった。
作家・常盤新平は、『藤澤周平読本』に『海鳴り』の解説を頼まれ、こんなふうに書いています。本がいま手元にないので、内容だけ伝えます。
この夏私は、『海鳴り』(上下二巻)を読んで過ごした。終りまで読んだらまたはじめから読んだ。4回目を読み終わった頃に、夏が終った。(たしかそんな内容の文だったと思います)
こんなふうに、〈作家〉さえとらえて離さない藤澤周平の「すご技」。
たしかここに引っ越した頃に、亀山郁夫の『カラマーゾフの兄弟』新訳が話題になり、ぼくらも買って読みました。7年前のことです。でもそんな気力は、もうありません。
そんなときに藤澤周平はいい。
海鳴り / 蝉しぐれ / 風の果て / をまた読んでみたくなりました。