年末の買い物に明石の魚の棚に出掛けました。まだごった返す人出ではありませんが空気は歳末でした。
きのうふれた本『特攻と日本人の戦争』を読みはじめました。きのう「もし山本五十六が戦死してなければ……」なんて書いたことが恥ずかしくなりました。特攻への流れはもっと組織的で、日本だからやったことだと思い知りました。
この本の「はじめに」にこんな文が見えます。
しかし、日本軍のように戦線の各地で玉砕を繰り返し、それが作戦の常態と化した軍隊は他にはない。人間自身が武器となり、敵に体当たり攻撃を敢行する特攻も人類史上稀有な戦法である。 …… (中略) ……出撃の前から帰還を否定し、あるいは帰還を許さず、十死零生の体当たり攻撃を大規模かつ組織的に実施し、しかもそれを軍が正規の戦争計画に取り込んだのは洋の東西古今の中でも日本軍だけである。第二次世界大戦末期、神風特別特攻隊に刺激されてドイツでも米軍機への体当たり攻撃部隊(エルベ特別攻撃隊)が編成されたが、生還の途も顧慮され、しかもたった一度の実施で打ち切りとなる等わが国の特攻に比肩し得るものではない。
「インパール作戦」では牟田口廉也が悪者ですが、ほんとうはそんな指揮官の存在を許した軍部全体が悪かった。弁解なんか聞きたくない。特攻への流れも個人を悪者にしても仕方のない、組織的な「悪」でした。
多くの若者を死地に追いやった上官は「彼らは志願して出撃してくれた」と口をぬぐおうとします。「彼らの国を思う〈誠〉のお蔭で今日の平和と繁栄がある」と美化しようとします。
だれが、どこが、わるかったのか。どのように改めるのか。きちんと詰めないでダラダラしたまま。
「小泉純一郎が総理のとき知覧特攻記念館でむせび泣いた」とニュースになるとか、「特攻を扱った映画がヒットした」とか、そんな日本人の精神的体質はあの時代そのままで時が過ぎていきます。 〈つづく〉
きのうふれた本『特攻と日本人の戦争』を読みはじめました。きのう「もし山本五十六が戦死してなければ……」なんて書いたことが恥ずかしくなりました。特攻への流れはもっと組織的で、日本だからやったことだと思い知りました。
この本の「はじめに」にこんな文が見えます。
しかし、日本軍のように戦線の各地で玉砕を繰り返し、それが作戦の常態と化した軍隊は他にはない。人間自身が武器となり、敵に体当たり攻撃を敢行する特攻も人類史上稀有な戦法である。 …… (中略) ……出撃の前から帰還を否定し、あるいは帰還を許さず、十死零生の体当たり攻撃を大規模かつ組織的に実施し、しかもそれを軍が正規の戦争計画に取り込んだのは洋の東西古今の中でも日本軍だけである。第二次世界大戦末期、神風特別特攻隊に刺激されてドイツでも米軍機への体当たり攻撃部隊(エルベ特別攻撃隊)が編成されたが、生還の途も顧慮され、しかもたった一度の実施で打ち切りとなる等わが国の特攻に比肩し得るものではない。
「インパール作戦」では牟田口廉也が悪者ですが、ほんとうはそんな指揮官の存在を許した軍部全体が悪かった。弁解なんか聞きたくない。特攻への流れも個人を悪者にしても仕方のない、組織的な「悪」でした。
多くの若者を死地に追いやった上官は「彼らは志願して出撃してくれた」と口をぬぐおうとします。「彼らの国を思う〈誠〉のお蔭で今日の平和と繁栄がある」と美化しようとします。
だれが、どこが、わるかったのか。どのように改めるのか。きちんと詰めないでダラダラしたまま。
「小泉純一郎が総理のとき知覧特攻記念館でむせび泣いた」とニュースになるとか、「特攻を扱った映画がヒットした」とか、そんな日本人の精神的体質はあの時代そのままで時が過ぎていきます。 〈つづく〉