古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

人のつながり方を考える   ①

2015年02月10日 01時56分28秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 安心・安全な地域づくりのために、住民が手をつなぐことが大事だといわれます。
「むかしの下町は住民同士が仲良しで、味噌や醤油を借りたし、他所の子どもでも叱ったし、困ったときは助け合ったもんだ。いまは街の人はつながりがなくなり、マンションの扉を閉めれば孤立した家じゃないか。田舎の人たちのつながりがうらやましい」という人もいます。
 そこで人のつながりについて、思うことを書いてみます。
 西宮のある地域の集会で聞いた話です。「住民同士のつながり」について話してくれたのは市会議員でした。
 
 ある造成地に十数軒の建売り住宅が建ち、住民が一斉に引っ越してきました。知らない人ばかりですから、玄関を出て住人と出会ったら「おはようございます」とあいさつはしますが、2年たっても3年たってもその距離感は変わりませんでした。ところがその住宅に下水が入るために道を掘り返すことになりました。自動車の出し入れや通行に支障があり、業者や住民同士の話し合いが必要です。
 何のつながりもなかった住民同士が道路で立ち話をするわけにもいかず、会場を各戸持ち回りにして話し合うことにしました。話し合いを重ねるにつれ、お互いに親しくなり、住民同士の行き来が生まれ、郷里のことや趣味が話題になったりして交流が深まりました。親同士の交流があると子どもの交流も活発になり、路地の雰囲気が変わりました。
 で、苦労した下水工事が一年かかって完了しました。
 そしてしばらくすると、また「顔を合わせたらあいさつする」くらいの住民の距離感が戻りました。

 以上です。
 それは田舎でも同じです。現代の日本の空気です。
 田舎はお互いの生まれたときからの情報量が豊富ですから、それだけの「親しさ」と「つながり」はありますが、人のつながりが求心的に強くなっていくわけではありません。むかしは、地主がいて威張ってるとか、顔役がいて幅を利かせているとか、貧富の差が大きくて肩をすぼめるように生きているとか、いろんな要因がありますが、それが「人のつながり」に見えたかもしれません。でも「つながり」の裏返しは不自由でした。お互いの情報量の豊富さはかえって「自由をしばるもの」でした。何かすれば後ろ指を指される閉塞感を打破しようと、人びとは街の自由に憧れて都会に出てゆきました。   (つづく)
 
コメント
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