高齢になってから <PPK> で亡くなった人の話を、一つや二つはだれでも見聞きしています。ぼくが一番心に残っているのは、書家で97歳の男性の死です。彼は朝食後、家人に「ちょっと昼まで習字してくる」と自室に入り、昼食の声を掛けに行ったら机に向かって亡くなっていました。その話を聞いて「そんな死に様、ええなー」と感心しました。
ぼくもできれば、畑か裏山に行って「<えらい遅いなー>と様子を見に行ったら亡くなっていた」というのがいいと漠然と思っていました。でもその考えをやめます。数分まえまで元気でピンピンしていた人がコロッと死ぬのはおかしい。ふつうそんなことは起こりません。先日紹介した『穏やかな死に医療はいらない』という本にこんなことが書いてありました。
「ピンピンコロリ」は理想の死に方とされています。 …… でも僕は、ピンピンコロリは案外つらいのではないかと思います。明日も明後日も今日と同じ日常がやって来ると思っていたのにコロリと死んでしまうのは、たとえ本人がよくても、残されるご家族や周囲の人たちがかわいそうです。
僕が思う理想の死に方は、ピンピンコロリではなく、「ゆっくりコロリ」「じんわりコロリ」です。 …… 少しずつ死という終着点に向かうことができれば、身体の負担も少なく、本人や家族にも死を受け入れる時間が生まれます。
そしてそれ(ゆっくり / じんわりコロリ)は決して難しいことではありません。身体に任せればいいだけです。余分な治療、余分な食事、余分な点滴 ……。そういったものをやめるだけで、多くの人が苦痛から解放され、ぎりぎりまで「ゆっくり」「じんわり」生き抜くことができます。病院では「血圧が下降した」「体温が下がった」「呼吸が不規則になった」ら、その度に、点滴を増やしたり、昇圧剤を投与したりします。病院は病気と闘います。患者さんの状態、つまり戦況は刻一刻と変わり、そのたび戦略を変更し、武器や爆弾を投入していくわけです。しかしすでに終末期を迎えている患者さんが、それで回復する可能性はゼロです。
「終末期モード」「老衰モード」に入ると、ほとんどの患者さんは食欲がなくなり、食べられなくなります。それは確実に死に向かっているサインであり、自然な生命の営みです。
読みながら「その通りだなー」と思いました。
「ご臨終です」医師や看護師が頭を下げ、見守っていた人たちが「ワッ」と泣きすがる。
というイメージでなく、みんなが必ず行き着く終着駅での静かな別れ。「別れを受け入れる」という大仕事をする<ひとびと>の「心」に、静かな時間をあげる。
「畳の上でじんわり死ぬ」心掛けで残りの命を生きたいと思います。
蛇足ですが、山や畑で死ぬのは後で事情聴取があったりして大変だそうですね。
ぼくもできれば、畑か裏山に行って「<えらい遅いなー>と様子を見に行ったら亡くなっていた」というのがいいと漠然と思っていました。でもその考えをやめます。数分まえまで元気でピンピンしていた人がコロッと死ぬのはおかしい。ふつうそんなことは起こりません。先日紹介した『穏やかな死に医療はいらない』という本にこんなことが書いてありました。
「ピンピンコロリ」は理想の死に方とされています。 …… でも僕は、ピンピンコロリは案外つらいのではないかと思います。明日も明後日も今日と同じ日常がやって来ると思っていたのにコロリと死んでしまうのは、たとえ本人がよくても、残されるご家族や周囲の人たちがかわいそうです。
僕が思う理想の死に方は、ピンピンコロリではなく、「ゆっくりコロリ」「じんわりコロリ」です。 …… 少しずつ死という終着点に向かうことができれば、身体の負担も少なく、本人や家族にも死を受け入れる時間が生まれます。
そしてそれ(ゆっくり / じんわりコロリ)は決して難しいことではありません。身体に任せればいいだけです。余分な治療、余分な食事、余分な点滴 ……。そういったものをやめるだけで、多くの人が苦痛から解放され、ぎりぎりまで「ゆっくり」「じんわり」生き抜くことができます。病院では「血圧が下降した」「体温が下がった」「呼吸が不規則になった」ら、その度に、点滴を増やしたり、昇圧剤を投与したりします。病院は病気と闘います。患者さんの状態、つまり戦況は刻一刻と変わり、そのたび戦略を変更し、武器や爆弾を投入していくわけです。しかしすでに終末期を迎えている患者さんが、それで回復する可能性はゼロです。
「終末期モード」「老衰モード」に入ると、ほとんどの患者さんは食欲がなくなり、食べられなくなります。それは確実に死に向かっているサインであり、自然な生命の営みです。
読みながら「その通りだなー」と思いました。
「ご臨終です」医師や看護師が頭を下げ、見守っていた人たちが「ワッ」と泣きすがる。
というイメージでなく、みんなが必ず行き着く終着駅での静かな別れ。「別れを受け入れる」という大仕事をする<ひとびと>の「心」に、静かな時間をあげる。
「畳の上でじんわり死ぬ」心掛けで残りの命を生きたいと思います。
蛇足ですが、山や畑で死ぬのは後で事情聴取があったりして大変だそうですね。