古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

『あの戦争』 = 『巨大な不正義』 をにらみつけながら死にたい。

2015年02月28日 03時30分06秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 ぼくは昭和12年(1937年)に生まれました。支那事変のはじまった年です。そして昭和20年(1945年)8月15日、日本が戦争に負けた日は7歳でした。 
「もう10年早く生まれていたら、城山三郎みたいに予科練に志願してたかも」と考えることがあります。真珠湾攻撃や南洋攻撃の連戦連勝のニュースに、じっとすわっておれないほど興奮し、何度も何度も新聞を見て、ラヂオを聴いて、わけもなく歩きまわったでしょう。
 あとになってあの戦争をめぐる『巨大な不正義』を知り、腹が立って仕方がありません。ぼくはこの「怒り」のエネルギーを終生燃やし続けたいと思います。
 人間はなぜか「正義」が好きです。テレビの推理ドラマでも「正義」が勝つようにできています。そうでないと「こころのすわり」がわるく、落ち着きません。子どもの頃は、映画館で映画を見ているとき、〈悪者〉が現れるとハラハラし、警官隊が駆けつけると拍手したものです。嵐勘十郎の鞍馬天狗や旗本退屈男の市川右太衛門(北大路欣也のお父さん)が登場するとみんなが拍手しました。
 そんな「善良な市民」があんな「巨大な不正義」をなすように追い込まれた。それを仕掛けた者たち、人間を人間とも思わず、ゴミを捨てるように命を捨てさせた者たちに腹が立つのです。
 召集令状が来て、出征兵士を見送る。 …… 悲しみ・嘆きを隠して。なんという欺瞞。凄惨な新兵いじめ。リンチ。戦場に出る前に耐えられなくて自殺した者。殴り殺された者。戦場では理不尽な命令で死地に追いやられた者。そんな人たちをいっぱい知るにつけ、こんな不正義が「のさばった」ままでいいのか、バチが当たらなくていいのか、という思いをどうしようもありません。

 裏山につくったBBQフロアですが、いろんな名称を考えています。奥座敷/クヌギ(コナラ)座敷/クヌギ(コナラ)御殿/クヌギ(コナラ)広場/野外座敷/裏山広場/ ……。ま、じっくり考えます。敷物は4畳半のゴザ。座卓は畳の部屋で使っていた自作のテーブル。イスで広場を使うときには高い脚がつくようにします。キャスターはしばらく使ってから考えます。道具箱を置いてお茶を沸かせるようにしました。
 どうしても、フロアのことを「あーしたらいいかな。こーしたらいいかな」と考えてしまいます。こころがほんわかします。
コメント (2)
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