古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

フィンランド・エコデッキ材を張りました。

2015年02月19日 07時52分54秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 この冬は寒いですが、たき火をしながら山仕事に精を出す日がつづいています。
 寒肥を施す程度で、裏山にほとんど手を入れない年もあったのにどうした風の吹き回しか。自分でも不思議です。おそらくイメージが浮かんだのでしょう。「イメージ」は「力」ですね。
 で、このところBBQデッキ・フロアをつくろうと木材を塗ったり斜面を掘ったりしていましたが、きのう『フィンランド・エコデッキ材』を張る段取りになりました。写真のフロアです。ステンレス・ビスがなくなったのでまだ半分しかクリップでとめていませんが、材を並べてみました。夕方なのに白っぽく見えます。デッキ材をあつかう店で、この色(スノーブルー)だけ安く販売していたのです。
 池の上のほうにこうしてデッキフロアをつくってみると、やっぱり「手すり」があったほうがいい。「L」字型の手すりをつけることにします。腰掛けられる低い手すりがいいかな。もう少し考えます。
                        
 『人とどのようにつながるか』を書きかけたままで、気になっています。ぼくの思う「まとめ」を書いておきます。
 田舎暮らしのテレビ番組を見ているとよくこんな展開になります。
 ○○さんは田舎暮らしをはじめました。そのうち地域の人と交流が生まれ、「今日は村のみなさんに集まってもらって(日頃の恩返しで)会食交流会です」。来た人も迎えた人も「お世話になってる。いい人でよかったよかった。」と交歓して肩をたたきあう。
 一方、田舎暮らし志向で移住したけれど人間関係がしっくりいかず、街に帰ってしまう人もいる筈ですがそれはあまり話題になりません。
 そんな人の一般論を書くつもりはありません。自分なりに田舎暮らしを志向して、また実際に暮らしてみて、感じることを伝えたくてこの項を書きはじめたのです。
 ぼくは60歳で定年退職した後、神戸のニュータウンで毎日散歩をしました。1時間。ときには2時間。退職して時間が出来て、すぐそばの公園にもよく行きました。しかしまわりの住民との距離感は、勤めていた頃と同じでした。10年を経て田舎に暮らすことになり、やはり散歩しはじめました。
 そして気づいたのは「自分のこころがひらいてる」ことでした。
 人に出会い、あいさつし、親しみを感じ、自分から話し掛ける。街では起こらなかったことが自分のこころに起きている。
 それはまわりの自然のせいなのか。人が少ないからなのか。
 村の中で車と出会うと運転者の顔を見ます。20号線(村を通る幹線)を横断するときは車だけ見ています。
 いまの日本では、街でも田舎でも人間同士の距離感はそんなに変わりません。要は自分のこころの「ひらき加減」です。
 海の貝はアサリでもカキでも店で売ってるときは閉じています。でも海の底にいたときはずーっとひらいてた。それが本来の貝の姿でした。「ぼくの場合、自分のこころがそんな本来の姿になるところが、田舎です」と言いたかった。
 こころがひらくと、こころは、手を伸ばし、足を伸ばし、深呼吸して、うれしそうな表情になる。
 それが <人のつながり> の原点だと思います。
コメント
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