古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

萌ちゃん一家にも手伝ってもらい、片付けはまた一歩前進。

2018年11月25日 19時49分48秒 | 古希からの田舎暮らし
 
 草刈り/草集め/をすませた南の土手です。道子さんが草を片付けています。
 畑の草刈りは完了しました。11年ちょっと、ほんとによく刈りました。こんな土手の草刈りは、もうしません。最後です。
 今日は、萌ちゃんの受験(大学)の合間を見て、一家で『畑の片付け手伝い』に来てくれました。ママは黒豆の「サヤもぎり」、パパは畑の道具箱(畳一枚の大きさ)をこわしてくれました。また一段と片付きました。

スマホがおかしくなりました。自分のブログを見て、電話を掛けるだけですが、ヘンなものがいっぱい入ります。何もしないで削除しているのですが、それでも電話が掛からなくなりました。家の電話から掛けるとおかしな返答がかえってきます。電源を切ってまた入れても直りません。これは店に持っていくしかない。
 まえの「ガラ携」のときはメールはちょっとできたけど、スマホになってからメールは一切しません。ぼくが携帯電話を持っているのは、「母の施設から何か緊急の連絡が入る」のに備えてです。吉行和子が母・吉行あぐりのことで書いてました。こんなふうに。

 和子はあぐりと同じマンションに住んで、母の意向でずっと付き添いさんについてもらっていました。ちょっと熱が出て、お医者さんに診てもらい、「気管支炎かも。明日レントゲンを撮ってみましょう」。夜に「じゃあ、また明日ね」と自分のマンションに帰りました。一時間ほどして付き添いさんから「気が付いたら亡くなっておられました」と電話がありました。107歳でした。

 母もそういうことが起こるかも。夏に施設から連絡の電話に出なかったことがあり、いつも気をつけています。家の電話からぼくのスマホに掛けても掛かりません。いま妙子さんはどこといってわるいところはなく、薬も飲んでいません。元気です。でも早急になんとかしなくては。高齢ですし。
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「畑の片付け」はぐんぐん。

2018年11月25日 04時04分04秒 | 古希からの田舎暮らし
 2008年4月から11年近くやってきた畑です。工作物もいっぱいあります。それを2ヵ月で片付けようというのですから、かなりの大仕事になります。しかも2人とも11年歳をとり、筋肉は落ち、バランス感覚は衰え、膝痛のおじいさんや肩痛のおばあさんになりました。
 でも台風でイチゴ・ネット・ハウスや防風ネット・ハウスが倒れていたのがよかった。あのハウスの片付けが先に出来ました。
 さて、畑の片付けも仕上げになります。
 草は大志くんのおとうさんが、きのう「仕上げ刈り」をしてくれました。この10年やってきた土手の草刈りは、これでおしまいです。

 写真に写っている草刈り足場の片付けが残っています。60メートルほどあり、かなりの仕事です。ぼちぼち。
 ぼくは畑の真ん中で、材木の工作物を燃やしました。

 一つ一つビスを抜き、材木にしてブロックの炉で燃やすのは手間がかかります。畑の真ん中にトタンの波板(肥料入れのフタにしていた)を敷き、その上で燃やしました。湿った木材もよく燃え、みんな灰になりました。
 今日、磁石棒で灰をかき回して、ビスや金具を取り除きます。
 片付けはまだまだつづきます。
 
 
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