古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

旅の計画を立てました。

2020年06月28日 21時13分49秒 | 古希からの田舎暮らし
「念願だった旅=/父/母/弟/の写真を持って倉吉のあたりを訪れたい」とコロナ騒動の最中も機会をうかがっていました。6月の半ばから急に日本の雰囲気が変わりました。そこで「よし、念願の旅をしよう」と、昨日の土曜日、急に思い立ちました。
 旅の計画を立てようと、夜中に起きて(いつものことですが)立ち寄るところをリストアップしてみました。一日に5カ所を訪れる一泊の旅にします。
 中国道の院庄でおりて、中国山脈を越えて山陰に入ります。途中で木地山/田代/穴鴨/に立ち寄ります。父が教員として勤めた小学校の分校を訪ねます。地名をあげただけで、書ききれないほどの思い出がわき上がってきます。
 倉吉に出て、去年亡くなった学生時代の親友を訪ね、仏さんを拝ませてもらいます。上井で親戚を訪ねてから、シティーホテルに泊まります。
 翌日は朝から倉吉市内の住んでいた家や家跡を訪ねます。三明寺/余戸谷町/葵町/舎人村と訪ねるつもりです。ともすれば「自分の思い出にひたる旅」になってしまいそうです。
 しかしこの旅の主役は、父/母/弟/。死者に『ふるさと』を訪れてもらう旅です。
 自分の思い出にひたらないように、亡くなった人の気持ちで旅をするよう心掛けます。
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写真とともに、山陰の片田舎へ、ふるさとへ。

2020年06月28日 00時57分32秒 | 古希からの田舎暮らし
 山陰の片田舎・倉吉から神戸の大都会へ、まだ60歳代だった両親が出てきたのは1976年のことだったでしょうか。あれから44年になります。
 いろいろありました。父は米寿を祝ってから亡くなり、弟は行年68歳で急死し、母は去年、行年107歳で天寿を全うしました。ぼくは母とともに三木市に移り住んで14年、ここに骨を埋めるつもりです。
 山陰とは縁が切れました。
 しかし生まれ育ったのは、父も母も弟も、そしてぼくも、山陰の片田舎です。父は68歳まで、母は64歳まで、弟は25歳まで、ぼくも22歳まで、山陰の田舎町で生活してきました。いまも、意識を向けると、ふるさとへの思いはあふれてきます。
 去年、母の葬儀をすませてから思っていることは「父/母/弟/の写真を持って、生まれ育った地を訪ねたい」。
 去年の秋に旅を考えていましたが、膝の手術後のリハビリで無理でした。「春になったら山陰へ」。4月の桜が散ったら行くつもりでした。コロナ騒ぎでダメになりました。もうすぐ83歳になるし、いつまで旅ができるかわからない。で、7月1日に行くことにしました。
 はじめは温泉旅館に泊まって、ゆっくり骨休めをするつもりでした。しかしそれでは旅の趣旨が違う。ゆかりの地を、欲張らないでゆっくり、写真とともに訪ねてきます。シティー・ホテルに泊まります。
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