古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

『2.26事件』の大きさを思いました。

2021年01月20日 17時44分01秒 | 古希からの田舎暮らし
 図書館の大型活字本に『近衛文麿』(4分冊 杉森久英 著)の本があり、「読んでみよう」と借りました。
 近衛文麿は昭和12年(1937年 ※ぼくの生まれた年)に日中戦争(支那事変)をはじめたときに首相にかつぎ出され、右往左往した人です。敗戦後はA級戦犯として逮捕される日の朝、青酸カリで自殺しました。(54歳)この人物に関心はありませんが、その頃の社会状況を知りたくて読んでみたのです。
 志那事変の前の年に『2.26事件』が起こります。この事件のことは、大人になるまでよく知りませんでした。陸軍における/皇道派/統制派/の対立も定年退職まで知りませんでした。こんな大きな事件のことを学校の歴史の授業では習わなかった。
 満蒙開拓青少年義勇軍/満蒙開拓団/のことを聞き取りするようになって、歴史の本をいろいろ読んで、この事件を知るようになりました。事件というより反乱です。この反乱と事後処理に、軍隊の横暴と無責任体質がくっきり出ています。
 その部分を引用してみます。

 2.26事件のあと、政界の空気は一変して、軍の発言力が急激に強くなった。事件そのものについては、国法を乱す暴挙であるとして、国民の批判がきびしく、軍としてもひたすら陳謝すると共に、粛清を誓う以外なかったのだが、一面からいえば、事件は軍の威力を示すことにもなった。国法に違背しようが、国憲を踏み躙ろうが、軍はやるときはやるのだという、居直った姿勢を誇示することによって、反対者をふるえあがらせた。軍は表面恐縮してみせながら、実際はヤクザのように凄い眼で、国民を睨みつけていた。軍を非難する者は、声だけは大きくても、どこか逃げ腰で、急所に触れることは避けていた。
 軍はたしかに2.26事件に関係した者を処分したけれど、それは軍全体の中の、最も急進的な派閥、いわゆる皇道派を斬ったに過ぎず、反対派の統制派にしてみれば、かえって自派の勢力を強化することになった。

「この際仕方ないと思うけど、部下の連中はどう思うかな」と軍の上層部がつぶやくだけで不気味な脅しになりました。
 2.26事件は学校で習うほうがいい。いい国民が育つ。




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