古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

味噌を仕込みました。

2021年01月24日 13時13分54秒 | 古希からの田舎暮らし
 過去の〈マイ・ブログ〉を見かえしたらこんな文が載っていました。

 ところで電動ミンサーですが、今年買いました。アラ古希のじいさんばあさんが年に一度だけ使用するミンサーを買うのか。あと何年味噌づくりをするつもりだ! 
 まーいいじゃありませんか。いくらでもお貸ししますよ。またどうぞ。  2010年1月20日

 12年前、71歳のときに書きました。このミンサーを使うのは今年で12回目です。もう十二分に使いました。よく役に立ちました。まだまだ、生きてる限りこれからも使います。
 買ってよかったねえ。
 去年は「味噌作りを覚えてもらおう」と萌ちゃん一家・大志くん一家に来てもらって伝授しました。
今年はコロナ。でも大志母が「手伝う」と来てくれて、お昼までに仕込みました。

 今日仕込んだ新味噌は、ふつうは秋口から賞味します。しかし我が家では5月に味見して、使いはじめます。これがまた美味しい。古味噌とちがう美味しさ。たのしみです。
 

 
 
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ぼくの一番面白い戦争映画は『ナバロンの要塞』です。

2021年01月24日 02時25分27秒 | 古希からの田舎暮らし
『日本の戦争映画』という新書本を図書館で借りて読んでみました。(2020年発行/文春新書/春日太一 著)
 昭和10年代に生まれたぼくらの青春は、映画全盛期と重なっていました。中学生くらいから20代後半になる頃は、よく映画を見たものです。そのあとの世代・昭和30年より後に生まれた人たちは、映画世代というよりテレビ世代でしょうか。
 さて『日本の戦争映画』ですが、「すぐ読めるけど、さて、何が書いてあったか」という本でした。そして思いました。日本の戦争映画は、あの戦争をいろいろな角度から描きます。
 でもおおむね、日本がコテンパンに負ける/軍の上層部は間抜けで/無茶な/愚かな/作戦を計画して、兵隊を死地に追いやる/という映画になります。そして最後は「やられる/負ける/死ぬ」。
 作戦があたり、敵をやっつけた。痛快なアクションだ。というのは最初のハワイ真珠湾攻撃だけ。あとはいかにネバって負けたか。体当たりで戦ったか。娯楽映画というわけにはいきません。
 深刻な映画(例えば『軍旗はためく下に』)はビデオ(テープ)を持っていますが、見ると暗い気持ちになります。原爆/沖縄戦/南の島(サイパン/硫黄島/フィリピン/ガダルカナルなど)どれをとっても負け戦です。
 外国映画では、ナチス・ドイツが悪者になり、痛快な映画がつくられ、娯楽作品としてたのしませてくれます。前にブログに書いた、あの「正義中毒」の快感を得られます。脳内にドーパミンが分泌します。
 さて、一番面白い外国の戦争映画は。ぼくの一番は『ナバロンの要塞』です。(続編はダメでした)あれは1961年(昭和36年)の映画で、西宮の映画館で見ました。就職して2年目だったか。とにかく面白かった。痛快だった。先日BSで放送していました。ちょっと見るつもりが2時間半の映画を全部見てしまいました。いま見ても面白い。筋はわかってるけど、見てしまう。
 なお長編なので一部カットしたテレビ放送がありましたが、あれはダメです。まったく面白くなかったです。ノーカットでないと。
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