古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

『老乱』を読みました。

2024年02月03日 02時45分24秒 | 古希からの田舎暮らし
『老乱』(久坂部羊の〈認知症〉小説)を読みました。思うことはありますが、こころにとどいた文を引用します。


 (認知症の講演会で和気医師は)
「みなさん、認知症というのは病名でなくて、状態をさす言葉なんです。 ……  中略 …… それに認知症はゆっくり進行するので、いつ発症したかはっきり決めることができません。症状が出るまでに十年から十五年かかります。ですからここにいらっしゃる人も、もしかしたら密かにはじまっているかもしれません。もちろん、私も含めてですけど」   中略
「認知症の本体は、記憶障害、見当識障害、判断障害などの『中核症状』と呼ばれるもので、これは残念ながら治すことができません。しかし、徘徊とか妄想、暴言、介護への抵抗など、『周辺症状』と呼ばれるものは、うまくやればコントロールできます。みなさん、今、私が言った症状を『問題行動』と言っていませんか。それはあまり好ましくない言い方ですね。介護側の視点でしか見ていませんから。当人は悪気があってしているのではない認知症の症状を、問題と決めつけるのは酷でしょう」  中略
「認知症の人と健康な人では、世の中の見え方がずいぶんちがっているようです。たとえば横断歩道でも、認知症の人には、黒い部分が、深い穴のように見えたりするそうです。だから怖くてなかなか足が出ない。階段を降りるときでも、段が滑り台のように平らに見えたりする。それじゃ簡単に降りられませんよね。なのに介護者が『速く行け』と急かしたりする。よけいに足がすくむ。介護者は焦れてイライラする。患者さんはどうしていいかわからなくなって、混乱するんです」  中略
「食事でも、食べたくないのに食べさせられる。栄養をつけなきゃいけないとか、これ以上やせたら困るとかうるさく言われる。認知症の人は気持ちを言葉にしにくいから、食べたくないと言えず、つい皿をひっくり返したり、食べ物を吐き出したりしてしまう。家族はせっかく食べさせているのにと腹を立てる。お互いがギスギスするわけです」  中略
「ほかにも関係を悪化させる原因はいろいろあります。たとえば、みなさん、高齢者に曜日とか日付を聞いたりしていませんか。前の晩のおかずを訊ねたり、孫の名前を言わせたり、してるでしょう。認知症を心配する家族はたいていこれをやるんです。高齢になったら、わかっているけど言葉が出ないということがあるんです。それを答えられないと思われるのは屈辱です。そもそも日付とか晩のおかずとか、幼稚園の子どもに聞くような質問をされること自体、プライドが傷つきます。もうろく扱いされていると、悔しい思いをするんです。それは決して精神衛生上よくありません」    中略
「認知症の人はすべてがわからなくなるわけではありません。くだらない質問をされたり、叱責されたりすれば、自分が厄介者扱いされていると感じるんです。それはつらく悲しいことです。もちろん家族だって、悪気があってのことではありませんよね。認知症を治したい一心でやっていることでしょう」    中略
「さあ、ここなんです、認知症介護のいちばんの問題は。いいですか。介護がうまくいかない最大の原因は、ご家族が認知症を治したいと思うことなんです」         中略
「それは当然の思いでしょう。治るならそれでいいんです。残念ながら、認知症は治りません。治ってほしいとおもうことは、認知症を拒絶することです。ご家族は病気だけを拒絶しているつもりでも、当人にすれば、自分そのものを否定されているように感じるんです。急かされ、試され、責められる。    中略
「周辺症状を減らすためには、何より当人の心が落ち着くことが必要です。自分が邪魔者ではなく、家族の一員として受け入れられている。尊厳ある一個人として認められている。そういう感覚があれば、無意識に周囲を困らせるようなことはしないでおこうとします。認知症の人にも感情はあります。優しくしてもらうと、喜びます。大事にされたら嬉しいし、病気を理解してもらえたら楽になるんです。ポイントは一つ。認知症を治そうと思わず、受け入れることです。   以下略
 
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