古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

ウグイスが鳴き花が咲きはじめ……。

2010年03月04日 04時13分23秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 ブログ用の写真を用意しないで文を書いてしまうことがよくあります。そこできのう書いた堆肥箱のふたの写真を掲載します。少し説明しますとまず手前の青い箱はヌカ入れです。農協でヌカをもらってきて生ゴミを投入したときに上にふりかけます。
 その横の100リットルのコンポストは、生ゴミを運んできた買物袋入れです。まとめて埋め立てゴミに出します。
 堆肥箱は立派なふたができたのに、下は粗末な材でつくっています。二年前畑を借りたとき、近くの製材所に野積みしてあった材木を使ってつくったからで、何も塗っていません。きのう取りつけたふたに早速上がった動物がいます。足跡を見るとネコです。糞までしていました。
 その向うの黒いブロックは畑の野菜クズや刈った草を燃やす場所です。手前の衣装ケースは灰を入れるために使い、耕すときに肥料に混ぜます。燃料は手前に積んでいる竹で、これは薪サイズに丸鋸で切って運んできました。節と節の間には切れ目を入れてはじけないようにしています。
 その向うのブルーシートは、鍬などを入れる道具箱と肥料置き場です。ここは二畝分3メートルのまくら畝(端っこに横方向の畝をつくる)をつぶして広すぎる遊歩道にしましたが、いまではいろんなモノを置いてフルに活用しています。
 ジョウビタキがいつの間にかいなくなり、ウグイスが鳴きはじめ、アセビ、サンシュユ、ネコヤナギの花がひらき、今年植えた龍峡小梅の白い花、鹿児島紅梅の赤い花も咲き、ユキヤナギのつぼみがびっしりつき、春です。
 今年の冬は裏山の仕事に精を出しました。竹を切り、下生えを刈り、苗木を植えました。裏山にいても時間がわかるように大きな掛け時計を軒下に取りつけました。
 若葉の頃までには切り倒して山積みしてある竹を片付けて、里山の谷間という雰囲気を味わえるようにします。でもタケノコも地下で待機しています。特に今年は危機感を持って。そうなると眼のいい孫たちの出番です。歩きまわって蹴飛ばしてくれ!
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ブログ立ち上げ一周年がやってきます。

2010年03月03日 05時29分41秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
『記事一覧』を見たら、2009年3月8日に第一回のブログを立ち上げ、間もなく一周年になります。その間に投稿したのは201回でした。なるべく毎日「古希になってからの田舎暮らし」の様子を伝えようと思ったのですが、書く材料のない日があったり、パソコンはつけたけど書けなかった日があったりしました。でも元気に一年間をすごし、幾人もの方に読んでもらえてしあわせです。
 これからも田舎暮らしの日々の生活だけでなく、古希の老人のこころも伝えながら発信しつづけることができたらうれしいです。
 きのうは堆肥箱にふたを取り付けに畑に行きました。ぼろぼろになったブルーシートでカバーして、それに竹や板切れをのせていましたが、堆肥箱の上がすっきりしました。これだけ雨がつづくと畑は歩くうちにぬかるみます。でも水抜きにパイプをつけたところはうまく機能していました。
 あたたかくなって中の生ゴミが腐敗し、堆肥箱にはいろんな虫がわいています。そこで醗酵の熱で虫をなくそうとまず鍬で生ゴミの山を平坦にしました。それからヌカを一面に撒きました。高さ1メートルの堆肥箱の半分くらいまで生ゴミがたまっています。これが我が家の二年分の生ゴミです。ゴミ袋(大)一杯のモミガラでカバーして醗酵するかどうか様子をみます。これからはこまめにヌカを撒くことにします。
 生ゴミのコンポストは庭に置いてあるのですが、すぐにいっぱいになってしまいます。なにしろ畑の野菜を処理すると生ゴミがたくさん出ますので。裏の竹薮に穴を掘って埋めていたときもありました。しかし深さ1メートル超の穴を掘っても生ゴミの上に土をかけるのですぐに埋まってしまい(動物がほじくるので)、また掘らねばなりませんでした。
 この堆肥箱をつくってからは次々投入するだけでよく、便利になりました。うまく醗酵させていい堆肥をつくりたいと思います。
 
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永天寺を散歩しました。

2010年03月02日 07時24分59秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 きのうは歯医者さんの予約をした日だったので、道子さんもぼくもせっせと歯を磨き、服装や髪をととのえて出掛けました。半年先に来るように歯医者さんに言われていたのです。
 診察券を入れて待っていると「お二人の予約されたのは来週の月曜日ですよ。きょうは予約が詰まっていますので……」。ぼくたちはにこにこして黙って医院を出ました。こういう「トボケたマチガイ」は珍しくなくなったし、どちらがわるかったか論争したり考証するのも面倒になったし、人生の波風を余分に立てることもないので、二人はおだやかな心のまま車で朝の散歩をすることにしました。
 まず吉川町総合公園に行きました。立派なスポーツ公園で、テニスコートが16面あり、ナイター設備も整っています。なぜか藁屋根の家が移築してあります。まわりの集落を歩けば藁屋根の家はいくらでもあるのに、余程展示物に困ったのでしょうか。日本国中こんな立派な、閑散とした公共施設がいっぱいつくられたのでしょうね。(ため息)
 そこから三田方面に車で走ると、『永天寺』と石碑が立っています。寄ってみることにしました。集落の中の道を上がっていくと立派なお寺が山ぎわに。たたずまいが実にいい。こんなお寺に出会うと、「モウケもの」をした気分になります。
 禅宗のお寺で、ネットで調べると「お寺を建てたのは行基」だそうです。玄関は禅寺風で、本堂は藁屋根です。こんな本堂で座禅したらいい『気』が出るでしょう。できたら参禅したいと思いました。
 かくして午前の半日がおわり、昼食・昼寝をしてから小屋で少しだけ大工仕事をしました。
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堆肥箱のふたをつくりました。

2010年03月01日 01時43分33秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 家の前の空き地から道路越しに撮った裏山の写真です。「竹を伐ったぞ!」と意気揚々としていますが、右からも左からも竹薮が迫っており、もしタケノコの季節に生えるにまかせたら、一年で竹薮に埋まってしまうすき間にすぎません。せっかく頂上まで竹を切り倒したのです。今年だけでもこのすき間は「竹なしの里山」を維持する覚悟です。
 さて雨が降ったので畑仕事ができません。そこで道子さんに頼まれていた堆肥箱のふたをつくることにしました。縦2メートル横1メートルの堆肥箱に、いろんな端材を集めて密閉する板のふたをつくろうというのです。
 いままではブルーシートでふたをしていました。でもあのシートは一年もちません。破れたり穴が空いてしまいます。また生ゴミを投入する堆肥箱なので虫がわきます。ヌカをふり掛け生ゴミを醗酵させて温度を上げねばなりません。(醗酵すれば60度超まで上がります)
 三分割するふたをつくったので、きょうはペンキを塗ります。長年「やっぱりペンキは油性でなくては。皮膜の強さがちがう」と思い込んでいましたが、水性のほうが断然扱いやすい。水で薄められるし、速く乾くし、刷毛を洗うのも簡単だし、なによりも塗りやすい。塗る労力が少なくてすむ。
「労を惜しむ」といいますが、寄る年波はまさにそれです。便利な道具や機械があればそれで労を省くようになりました。ついでにいうとホームセンターで売っている作業ズボンはベルト式ですが、近頃はゴム式のズボンを愛用しています。よく行く『ナンバ』というホームセンターに、『通院ズボン』という名前をつけて、ゴム式ズボンを売っていました。はくのも脱ぐのもラクです。ちょっとした外出もこのズボンです。見てくれよりもラクなのがいい。
「それを言っちゃーおしめーよ」って寅さんのセリフでしたかね。
  
  
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