古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

〈古希〉をむかえる12年後輩のみなさんへ ②

2019年11月26日 14時36分43秒 | 古希からの田舎暮らし
 二つ目は《介護・看取り・「元気か?」の声掛け》です。

〇 70歳になったみなさんの『親』はご健在ですか。
 おそらく90歳代で元気な方が少なくないでしょう。世の中は100歳時代といいいます。
 でも、やがて介護が必要になり、亡くなるときが来ます。
 ぼくは今年の3月に母を看取りました。105歳10カ月生きました。本人はずっと元気なつもりでも100歳を越える頃から介護が必要になりました。ケア・マネージャーにいろいろ教えてもらい、ショートステイでお世話になり、最期は老健施設で看取りました。
 こんなとき、内にこもらないで、あちこちに相談して、お世話になる。 とても大切なことです。

〇 2年前、弟が、急性心筋梗塞で、68歳で亡くなりました。
 弟は公団住宅で独り暮らしをしていました。ぼくが訪ねていき、第一発見者になりました。死後数日たっていました。「もし一カ月そのままだったら」と思うとぞっとします。一人暮らしの・親・兄弟・姉妹・親しい友人・などとは、一週間に一度は連絡し合う必要があります。用事がなくても、うるさがられても、仲が良くなくても、「元気か?」と声を掛ける。心にとめておいてください。

 田舎暮らしの写真です。

 朝起きて窓のシャッターを開けると東の空はこんな色です。空気を入れ換え、深呼吸をして一日がはじまります。
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〈古希〉をむかえる12年後輩のみなさんへ ①

2019年11月26日 01時37分23秒 | 古希からの田舎暮らし
 30日(土)、55年前に西宮の中学3年生だった人たちの同窓会があります。55年に15歳をたして70歳。彼らは「古希」をむかえます。その同窓会に、元教師として出席することにしました。
 ぼくは元教師というより「人生の12年先輩」として、古希をむかえる人に伝えたいことが三つあります。どんな雰囲気の会になるかわからないので、ブログに書いて伝えます。

① 「田舎暮らし志向」だったらノウハウを少し心得ているつもりです。
 ぼくは2006年(69歳)のときに、思い立って「田舎暮らし」をはじめました。場所は三木市のゴルフ場周辺です。長年暮らした神戸の家を処分して田舎に小さな家を建て、田舎暮らしをはじめました。今年で13年目になります。
 田舎に、親戚や知人・友人がいたのではありません。景色に魅かれて、落下傘で降下するように未知の田舎に舞い降りたのです。そして田舎暮らしで何をしたか。田舎にどのようになじんだか。

〇 ぼくは大工仕事が好きです。田舎の小さい家にウッドデッキをつけ、小屋を建て、軒を出したりしました。思い切り大工仕事ができました。
〇 妻は/花づくり/家庭菜園/土いじり/が好きです。休耕田(一反三畝=約400坪)を借りて、思い切り野菜づくりをしました。もちろんぼくも耕運/草刈り/サツマイモ・大豆・黒豆・小芋などを担当しました。
〇 裏山は竹藪でした。いわゆる放置竹林です。そこの竹(真竹)を2000本伐り出して片付け、木を植え、ビオトーブをつくり、「憩いのスペース」にしました。
〇 50戸(150人)足らずの集落で老人会に加入しました。老人会の役員をしたり行事に参加して、たのしい付き合いができています。
〇 田舎ですから買い物や病院には歩いて行けません。車は必需品です(軽自動車でいい)。村の中を走るには「軽トラ」もあったほうがいい。それなりにたのしく暮らしています。
〇 娘と孫は近くの街に暮らしており、我が家でバーベキューをするのが年中行事になっています。田舎のおじいちゃんおばあちゃんとして、孫の成長に一役買ったかな。
 現在の我が家の写真です。

 妻の育てた〈皇帝ダリア〉がいま花盛りです。(背の高い花)裏山のクヌギ・コナラが色づいてきました。平屋の家です。石垣の上の垣根はぼくが作りました。
 田舎暮らしに興味があれば訪ねてください。
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