古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

汗をかくほどの陽気でした。

2024年03月15日 20時12分19秒 | 古希からの田舎暮らし
 前の畑のテントを片づけました。頑丈につくったので、取り払うのは骨が折れました。

 午後にはなんとか台を分解したところです。コンクリートブロックが重い。いままで運べていたものを重く感じます。筋肉が落ちていますね。この台は2018年8月に作りましたから、足掛け6年になります。床にしたコンパネはボソボソにくさっていますが、しっかりした造りなので分解は時間がかかります。
 夕方近くなってようやく、片づきました。
 毎週金曜日は『豆腐屋さん』が来る日です。うちは〈木綿豆腐〉と〈トーフステーキ〉を買うことにしています。

「トーフー」と聞こえるチャルメラのような音色を流して、豆腐屋さんはやってきます。加古川から来るそうです。こういう〈ふれあい〉が近ごろなくなりましたね。太った豆腐屋のおじさんはしばらくおしゃべりして、帰っていきました。
 夕方近くになってからようやく台のところが片づきました。

 ここには軽トラをとめるようにしたいと思っています。
 
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今年のシイタケの〈ほだ木〉は8本にします。

2024年03月14日 18時28分21秒 | 古希からの田舎暮らし

 400個のシイタケ種駒を買いましたので、余ります。〈ほだ木〉を二本追加しました。5列に打ち込んだので余り駒は33個でした。ほんとは400駒は4列に打ち込んで10本用です。3カ月伏せておき、それから後ろのほだ木列に並べます。
 先日は大志くんと大志母がやってきて、裏山斜面の茂みを相当刈りあがってくれました。クスノキの後ろの斜面が見えるようになりました。

 これから斜面に竹や木が生えて茂みになるので、ぼくが切るつもりです。ただ老人ですので斜面に立って、体をささえて作業するのがむずかしい。体幹が弱いというか。ロープを体にくくりつけて作業します。そのロープを斜面上の木につけてもらいました。

 ロープで体を支えれば、斜面に生える木や竹を切ることができます。おじいさんもやるよ。
 毎年ツクシが生える土手に行ってみましたが、まだわずかです。

 とれるほど生えていません。今年は3月になって寒いので遅れているようです。
 道子さんが「カケス!カケス!」と大声で言います。窓の外の裏山を見ました。

 ぼくはわからないけど、これがカケスだそうです。年に一度くらいやってきます。バードフィーダーにスズメたち、アオジはやってきますが、シロハラを見ません。どうしたのかな。
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〈you tube〉で『限界ニュータウン』を見ておもうこと。

2024年03月13日 21時39分51秒 | 古希からの田舎暮らし
 近ごろ、大型テレビで見るのは〈you tube〉の『限界ニュータウン』の動画です。
「限界集落」とか「廃村」とかを見ると、山奥の村に人が居なくなって消滅する。そんな動画を見ているうちに『限界ニュータウン』という動画が出てきました。〈山奥の村〉なら人が居なくなって廃村になるのがわかるけど、〈ニュータウン〉がなぜ限界になるんだ?」。
 そう思って動画を見ていくと、あのバブル時代には全国の山奥に「ニュータウン」ができたのですね。
 山がひらかれて宅地になって、どんどん売り出された。それを庶民が買って、家を建てて住みはじめた。山の斜面が宅地になり、家が建ち、中年の家族が住みはじめ、30年40年たって高齢になる。家を建てた大人は老人になってそのまま住みつづけるが、子どもは大人になって都会へ出ていく。「さびれた感じのニュータウン」が全国にいっぱいある。まわりをよく見ると、三木にも東条町にもありますね。あのバブルは全国の人たちをまき込んだのだ。
 我が家の奥には家が一軒もありません。しかしバブルの時代には山の樹を伐り、宅地として売り出されていたようです。西宮から静岡に引っ越した、よそのおじさんがこんな話をしました。
「この奥は70区画の宅地として売り出された。ワシは西宮で左官をしていた。ここに家を建てようとおもって、土地を買った。あの頃は高かった。ワシは都合があって静岡に引っ越した。いまでは、この土地はだれも買わん。〈ほったらかし〉にしておくしかない」
 我が家を建てて住みはじめた頃、中年の男性が訪ねてきました。
「親がこの上の土地を買ったそうで、相続したのですが、売れるでしょうか。いくらでもいいんですけど」
 我が家は三木市の上下水道ですが、この上は何もきていません。それを伝えたら「どうしようもないですね」と帰っていきました。
 大規模の『限界ニュータウン』が全国にはいっぱいあります。高齢化はどんどん進行するし、交通手段のバスも減便や廃線になるし、団地の店は閉店するし、全国の空き家は人口減で800万軒になるというし、どうしようもありません。
 それにしてもあの頃、なぜ多くの国民が熱狂的に山奥でも土地を買ったのでしょうか。太平洋戦争をはじめたとき、東条英機の人気はものすごかったそうです。そんな熱狂体質の血が、バブルの頃も流れていたのでしょうか。
 
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特定外来生物をなんとかしたい!

2024年03月12日 16時51分40秒 | 古希からの田舎暮らし
 大型テレビになって、〈ユー・チューブ〉が大型場面で見られるようになりました。迫力があります。毎晩見ています。よく見るのが/廃墟/限界集落/限界ニュータウン/特定外来生物/イノシシの捕獲/大工仕事(「大工の正ちゃん」など)/古家のリフォーム/廃村/などです。
 特に腹立たしく思っているのが「特定外来生物」です。
 珍しい動物を見ると、うれしくなることがあります。1995年篠山のアパートに暮らすことにしました。そして見たのが「ヌートリア」でした。車塚古墳という立派な古墳の濠に夕方泳いでいる見知らぬ動物を見て、感動しました。人にきいて「ヌートリア」ということを知りました。南米の大きなネズミ=ヌートリアがなぜ日本にいるのか。
 戦時中に軍隊用の皮として輸入した/食料として輸入した/などと聞きましたが、この巨大なネズミに心がおどりました。その後特定外来生物として、害獣であることを知り、また三木に暮らすようになってから「畑の大根が50本」食われ、檻を仕掛けて、8匹の親子を市役所に突き出しました。
 アライグマも害獣です。甘い物が好きで、イチゴやスイカを食べてしまいます。うちもひどい目にあいました。檻で捕まえて、市役所に何度も突き出しました。いまも夜やってくるようですが、イチゴは完璧にネットを張り、アライグマに〈悔し涙〉を流させています。日本には/台湾リス/キョン/などの害獣もいるようです。
 その中でぼくが「にくいヤツだ!」と思っているのが「キョン」です。植物を食ってしまい、夜にひどい大声で鳴く。どうして日本に入ってきたか。元凶は『行川(なめかわ)アイランド』というレジャー施設から脱出したキョンが増えたのです。
 むかし、小学校や中学校の先生たちは、月給から積立てをして、夏休みに『職員旅行』というのに行っていました。ぼくが就職した西宮の中学では、職員旅行は「白浜」をのぞいて国内の名所に行っていました。なぜ「白浜をはずすのか」。白浜は職員が結婚したときに「新婚旅行」に行くから。そのうち新婚旅行は飛行機で「宮崎」に行くようになり、やがてハワイや外国に行くようになりましたが、むかしそんな時代がありました。
 ぼくが行川アイランドに行ったときは「フラミンゴのダンス」や「クジャクの飛行」を見た記憶があります。この施設から脱出したキョンがいまでは6万頭以上になり、千葉県全体に生息するようになったそうです。肉は美味だそうで、台湾ではよく食されるようです。しかし、千葉県の住民は植物の被害や夜の鳴き声に悩まされる。脱出させた施設にも、逃げたキョンにも腹が立ちます。
『ハメルンの笛吹き男』みたいに笛を吹いて、全部のキョンを海に沈めてしまいたい。
 そんなことを思っても解決になりませんが、キョン、アライグマ、ヌートリア、ブラックバス、ブルーギル、ウシガエル、ハクビシン、など特定外来生物はなんとかならんかなー。
 おもしろい話を一つ。アライグマ捕獲用の檻を作っていた会社がありました。その会社は檻に名前をつけて売り出しました。なんという商品名にしたか。「タスカル!」  
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畑のテント小屋を撤去します。

2024年03月10日 22時41分56秒 | 古希からの田舎暮らし
 我が家の前は道をはさんで空き地になっていました。その向こうに田舎の景色が広がっていました。その空き地には不動産屋さんの「売り地」という旗が数年間立ったままでした。2018年8月、その空き地が、過去の値段よりはるかに安く売られていることをネットで知り、すぐに購入しました。
 当時は膝が痛くて、ずっと整形外科医に通っていました。それでも土地を買うとすぐ、道沿いの柵を撤去しました。空き地の草を刈りました。道沿いの溝のフタをつくりました。そして我が家のウッドデッキから眺めました。
「この空き地にコンパネ2枚の台を置き、そこに赤白のパラソルを立てて、我が家から眺めたい」という気持ちがもくもくとわきあがり、膝が痛いのに材木を買い、台をつくり、パラソルを立てました。
「なぜかわからないけど、やってみたいこと」が人生にはときどきあるものです。それがこの眺めでした。

 実はブログの画像フォルダにはこの写真が入っているのですが、この記事にアップする方法を知りません。そこで2018年のアルバムから写真を抜き出して、いま撮ってアップしたところです。
 自分が心の中で描いたイメージ通りの写真です。
 これをやってみたかった。
 どうってことないけど「いい!」。
 その後この空き地は畑にしました。この台は道沿いに置いて、テント小屋にしました。小屋はなにかに使うあてもなく、物置きになっていました。というか何の役にも立っていませんでした。このテント小屋ができて6年目になります。

 いま撤去しないとボロボロのままどうしようもなくなる。取り払ってここに軽トラをとめます。
 
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〈大学生〉になる大志くんが〈大働き〉してくれました。

2024年03月09日 20時24分59秒 | 古希からの田舎暮らし
 今日は寒い日でした。でも午前10時から午後4時までずっと外で仕事や食事をしていました。寒いのでまず〈たき火・焼き芋〉です。たき火はあたたかいし、太陽が出ているし、「外で食事しましょう」と道子さんがいいました。

 テント・ハウスでお好み焼きの昼食をとりました。ちょっと寒いけど「春だなー」。
 野鳥たちが姿を見せてくれます。ルリビタキ/キツツキ/エナガ/ …… スズメたちもバードフィーダーに飛んできます。老人にはじゅうぶんなしあわせです。
 午後はシイタケの「ほだ木」に種駒を打ち込む仕事をはじめました。6本ほだ木がありますが、10個の穴を5列にあけることにしました。6本×50穴で300駒つかうことになります。残りの駒はあまらせておきます。
 午後、大学生になった大志くんと大志母が手伝いに来てくれました。裏山の茂みをきれいにしたいのです。ちょうどいいところに来てくれた。ほだ木の穴あけ/駒の打ち込み/を手伝ってもらいました。

 焼き芋はできましたが、寒いしたき火はつづけました。太い枝や根をもらっていたので、燃やしつづけました。乾いていてよく燃えました。おかげであったかく仕事ができました。

 裏山の茂みを、大志くんと大志母に刈ってもらいました。老人は斜面で仕事をするのが苦手です。体幹がグラついて、力が入りません。若い二人は裏山のきつい斜面を刈り上がって、きれいになりました。いい仕事をしてくれました。

 
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シイタケの〈ほだ木〉を買いました。

2024年03月08日 20時21分28秒 | 古希からの田舎暮らし
 シイタケのほだ木は毎年追加していますが、今年は6本追加することになりました。かさばるので軽トラでホームセンターに行きました。ナフコは残り4本しかなくて全部買いました。ナンバにまわったらいっぱいあります。三月中は大丈夫みたいです。

 シイタケの種駒は400入ってるので、ほだ木6本では打ち込みきれません。10駒ずつ4列に打ち込んだら〈40駒×6本〉で240駒です。160駒あまります。なるべく多く打ち込みますが、余るのは仕方ありません。
 明日の天気予報は「寒い!」です。たき火をしながら打ち込みの作業をします。
 さいわい、「10メートル電気コード」のインパクト・ドライバーがあります。バッテリーのインパクト・ドライバーとパワーが全然ちがいます。作業がらくにできます。

 バードフィーダーの前にはコンパネ一枚大の台があります。この上に粟粒をまいて、小鳥たちを呼び寄せています。そこにタヌキ用のエサを置いています。でも雨が降ると水びたしになる。タヌキが出てきて気持ちよくエサを食べれるように、屋根をつけました。道子さんのしわざです。タヌキは道子さんの好意をわかってくれるかなあ。

 玄関前の花壇です。道子さんは今年、ネモフィラを多く植えました。この花壇は10年前に作りました。土止めの板も腐食して、今年の冬は撤去する気でいました。しかし道子さんは花の苗を植えて、もう一年このまま花壇にします。
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〈堀光美術館〉で鉛筆画を見ました。

2024年03月07日 21時32分25秒 | 古希からの田舎暮らし
 午前中〈イーオンになったジャスコ〉に買い物に出ました。車で無施池のそばを通るとき、山のほうを見ました。三木の町から畑をつくりに来ている人が、アライグマの檻を仕掛けています。先日もアライグマがかかっていました。今日も檻のなかでなにか動いてる。アライグマか? あれ? 鼻が白い。ハクビシン(白鼻心と書く)か?
 車をおりて、檻の中の写真を撮りました。「ハクビシン」という動物をはじめて見ました。

 檻の中で動きまわり、「ガーッ!」とおどしにかかり、なかなかいい写真が撮れません。12枚撮ったなかでいちばんマシなのをアップします。ハクビシンも害獣です。裏山にハクビシンも住んでいるのだろうか。先日の動物はたしかにタヌキだった。野兎の子どもが我が家の菜園に来たこともある。小さな竹藪だらけの山なのに、いろんな動物が住んでいるのか。
 三木の図書館に寄って本を借りました。エレベーター前にポスターが貼ってあります。堀光美術館で〈鉛筆画の展覧会〉。(10日まで)見たくなり、軽自動車でまわりました。ややこしい道ですが、通いなれた旧図書館のそばです。
 鉛筆画を見て、びっくりしました。「写真OK」と貼り紙がしてあります。撮りました。

 写真のようですが、写真とちがって立体感があります。また見る者に迫る存在感があります。こんな絵を鉛筆だけで描く人がいるんだ。鉛筆で描くというけど白い線(猫のひげ)をどのようにして描くんだ。ち蜜な絵に感心してばかり。

 どの絵も迫る力がありました。こちらは撮影はだめだけど、肖像画も存在感がありました。アメリカの黒人映画俳優「モーガン・フリーマン」の肖像はほんとにすごい存在感でした。
 帰りにハクビシンの檻を見たら、もういませんでした。檻を仕掛けてる町の人は〈ワナ猟〉の免許を持っています。処分して役所に突き出したのでしょうか。
 
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タヌキくんは雨でお休みだったか?

2024年03月05日 19時49分30秒 | 古希からの田舎暮らし

 昨夜、タヌキくんのために用意しました。焼き芋(切れ端だけど)/デザートとしてデコポン/ごはん/イリボシ/ととり合わせた食事です。暗くなった午後8時頃に懐中電灯をもって、バードフィーダーに置きに行きました。夕方持っていくとカラスやハトがつつきそうなので。
 今朝になってから「タヌキくん、ごちそうを食べたかな」とロールカーテンを開けてみました。雨です。ごちそうは手がついてないようです。雨で外出をひかえたのでしょうか。しばらく食事を供してみたいと思います。
「タヌキくんが裏山にいる」と思うとなんとなくうれしい。

〈お彼岸〉が近づいてきました。お彼岸用の花を考えなければ。道子さんは思案しています。しかし正月用の胡蝶蘭はまだ立派に咲いています。お彼岸までもちます。道子さんが葉っぱに霧吹きしたり葉っぱを拭いたりしたいるお陰です。
 写真に写っているのは一年前に買った胡蝶蘭です。つぼみが大きくふくらんでいます。道子さんの世話で〈二度咲き〉します。シクラメンもよく咲いています。
 お彼岸はこれでいけそうです。
 一日中雨です。家の中でごろごろしています。向田邦子のエッセイ『眠る盃』を読んでいます。古い本ですが、いまも読者は多く、読んでたのしんでいるようです。今日は彼女の文章に引き込まれて読んでます。
 何のひっかかりもなく、さらさらと書いたような文章です。すーっと読めて、書いてあることがすっきりと頭に入ってきます。こういう文章を書くのは結構むずかしい。ぼくも2500回超ブログを書いてますからわかります。
 いまでも彼女のエッセイ集『眠る盃』を読む人は多いようです。いっぱいコメントが寄せられています。たしかに読んでいて、彼女の切れ味のある文に、うれしくなります。
 惜しい人を、飛行機事故でなくしました。
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〈タヌキ〉がバードフィーダーで粟粒を食べていた。

2024年03月04日 17時24分49秒 | 古希からの田舎暮らし

 真っ暗な写真でごめんなさい。朝、6時8分、道子さんに呼ばれて、窓から裏山のバードフィーダーを見たら、台のうえになにか動物みたいなモノがいます。よく見るとタヌキではありませんか。
「写真写真!」と思ったけど、窓をあけると逃げてしまうだろうし、ストロボをつけたら窓のガラスに反射してしまうし、暗いけどそのまま撮りました。5分ほど台の上の粟粒を食べていました。「もう少し明るくなるといいけど」と思って見守っていましたが、奥のほうに立ち去ってしまいました。
 明日からもやってくるように「粟粒だけでなく焼き芋などを台の上に置いてやろう」と思っているところです。
 下の大きな畑をつくっていたときに、キツネが二度、アライグマ用の檻にかかったことがあります。一匹はシッポの貧弱なキツネでしたが、もう一匹は、見事なキツネでした。精悍で姿が美しい。見とれるようなキツネでした。
 でもこの地に暮らすようになってからタヌキは見たことがありません。ぼくは数年前に、一度だけ裏山からのぞいているタヌキをチラッと見ましたが、すぐ茂みに隠れてしまいました。
 そうか。裏山にはタヌキがいるんだ。なにを食べて生きてるんだろう。今夜は、粟粒を容器に入れて置こう。夜は小鳥はつつかない。ネズミが食べる心配があるけど、全部は食べないだろう。明日の未明にタヌキが出てくることを期待しよう。

 タヌキで思い出すのは篠山の今田町の山奥の『狐狸庵』です。今田町の中学を退職したとき、町の方がぼくと妻を狐狸庵でもてなしてくださいました。山の中にポツンとある料理屋さんで、そこのおばあさんが「野生のタヌキが出てきますよ」と話します。午後8時頃に庭先にカリントをまき「ポンシャンやーい!」と茂みに呼びかけます。
 数匹のタヌキが出てきて、カリントをその場で食べます。狐狸庵には三回いきましたが、いつもタヌキが出てきました。
 1997年の話です。もうあの庵はないだろうな。
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「週末DIY」(you tube)をずっと見ています。

2024年03月03日 18時14分29秒 | 古希からの田舎暮らし
(you tube)が大画面で見られるので、ずっと見ています。見ているのは「週末DIY」です。おそらく50代の夫婦(「アラフィフ」と自称しています)が、素人っぽいけど大掛かりな田舎への移住計画を立てて、数年間の時間をかけ、夫婦だけで大きなログハウスを建てようという「実に遠大な計画」です。奥さんはひ弱に見えるし、ダンナも素人っぽいし、ときどき失敗するし、「大丈夫かな」と気になりながら、ついつい見てしまう。 
 この夫婦のユーチューブの収入までネットに出ています。気になってつい見てしまう人がいっぱいいるんですね。
 ここ数日、テレビの前にすわると深夜にも「週末DIY」を見ています。その動画がNO.180を超えるほどアップされており、キリがないほどつづきます。有名な〈ユー・チューバー〉だそうです。

 久しぶりに晴れました。今日の我が家から見た〈日の出〉=〈6時40分〉です。今日の大阪の日の出が6時25分ですから、我が家(三木市口吉川町)は「15分後」になります。標高が200メートルで、位置が少し西になりますから。
 この太陽が春分の日には電柱の左(写真の中央)から昇ります。毎朝6時30分から東を向いて10分間スワイショウをしています。季節がめぐり、スワイショウの間に太陽が昇るようになりました。
 なんとなく、うれしい。
 寒いから外仕事はほとんどしていません。「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったものですね。もうちょっと。
 去年はいまごろ畑の下の石垣沿いの笹を二人で一生懸命刈ってました。老いたなあ。  
 
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