音楽における「歌詞」の重要性が低下? メロディとの親和性や語感を重要視
歌で外すことのできない要素、メロディー、リズム、テンポ、そして「歌詞」。その重要性が低下しているとのこと。私も常々感じておりました。歌謡曲大好きってわけではないんですけどね。
歌詞を構成する上で大切なのはやはり作詞家の存在。昭和を代表する作詞家として避けて通れないのが阿久悠大先生。だいぶ前のTVで昭和マニアライダーの半田健人が阿久悠ワールドについて語っていた中で非常に感心できる説明がありました。
○最近(と言っても10年近く前)のJポップ
→「こうなりたい」という目的があり、その目的に向かったメッセージの歌詞を書いている場合が多い。
→そこまでのプロセスを歌詞に埋め込んであり、聴き手側に促すように作ってある。
→そのアーティストにものすごく共感しているのならグッとくるけど、逆に興味がない人からすればちょっと印象が薄い。
○歌謡曲
→確固たる目的というのはなく、出発点がまずひとつ。で、その曲の結末を今度はリスナーに託す。
→主人公なりその歌の使い道は自由。
これを初めて聞いた時は、長年の疑問が解消されたような感じでしたね。確かにその通りだと思いました。もちろん、昔の曲の全てがこうではありませんし、今の曲の全てがこのように作られているわけではありません。作詞家のトップでもあった阿久悠ワールドだからこそ、と言えるかもしれません。
ただ、こうやって聴き手側に色んな受け取り方が出来る歌詞と言うのは、色んな経験や知識が増えたり、その時の心情により受け取り方が変わります。強いて言うなら、「噛めば噛むほど味が出る」ような感じ。だから、「深い」と感じるのかもしれません。
また、記事中には歌詞に意味がない曲も多いと書いてあります。洋楽と同じような感覚で聴いていると。確かに洋楽も聴きますが、言語が違うので全てを理解することは難解です。故に、歌詞よりもメロディーやグルーブ感を楽しんでいるという形ですかね。
色々と書きましたが、どちらが良いと言うのは無いかと思います。その時代によって受け入れられる音楽と言うのは変わりますし、好みも個人差がありすぎます。自分に気に入ったモノを聴けば良いと思いますね。それが一番良いことじゃないかと思います。
「通」半田健人教授、「ジョニィへの伝言」の歌詞を語る
歌で外すことのできない要素、メロディー、リズム、テンポ、そして「歌詞」。その重要性が低下しているとのこと。私も常々感じておりました。歌謡曲大好きってわけではないんですけどね。
歌詞を構成する上で大切なのはやはり作詞家の存在。昭和を代表する作詞家として避けて通れないのが阿久悠大先生。だいぶ前のTVで昭和マニアライダーの半田健人が阿久悠ワールドについて語っていた中で非常に感心できる説明がありました。
○最近(と言っても10年近く前)のJポップ
→「こうなりたい」という目的があり、その目的に向かったメッセージの歌詞を書いている場合が多い。
→そこまでのプロセスを歌詞に埋め込んであり、聴き手側に促すように作ってある。
→そのアーティストにものすごく共感しているのならグッとくるけど、逆に興味がない人からすればちょっと印象が薄い。
○歌謡曲
→確固たる目的というのはなく、出発点がまずひとつ。で、その曲の結末を今度はリスナーに託す。
→主人公なりその歌の使い道は自由。
これを初めて聞いた時は、長年の疑問が解消されたような感じでしたね。確かにその通りだと思いました。もちろん、昔の曲の全てがこうではありませんし、今の曲の全てがこのように作られているわけではありません。作詞家のトップでもあった阿久悠ワールドだからこそ、と言えるかもしれません。
ただ、こうやって聴き手側に色んな受け取り方が出来る歌詞と言うのは、色んな経験や知識が増えたり、その時の心情により受け取り方が変わります。強いて言うなら、「噛めば噛むほど味が出る」ような感じ。だから、「深い」と感じるのかもしれません。
また、記事中には歌詞に意味がない曲も多いと書いてあります。洋楽と同じような感覚で聴いていると。確かに洋楽も聴きますが、言語が違うので全てを理解することは難解です。故に、歌詞よりもメロディーやグルーブ感を楽しんでいるという形ですかね。
色々と書きましたが、どちらが良いと言うのは無いかと思います。その時代によって受け入れられる音楽と言うのは変わりますし、好みも個人差がありすぎます。自分に気に入ったモノを聴けば良いと思いますね。それが一番良いことじゃないかと思います。
「通」半田健人教授、「ジョニィへの伝言」の歌詞を語る