104つの奇跡

見えてるのかな、これ?

捉え方ひとつで

2017年11月02日 22時02分02秒 | Weblog
「個性とは」 生かすものなのか潰されるもなのかがツイッターで話題に


 私が小学校の頃でしょうか、やたらと「個性を見つける」と言うことを学校で言われていた記憶があります。某世界に一つだけな曲でも「ナンバーワンにならなくてもいい~」って歌われていますね。その「個性」についてのツイートがちょっと考えさせられますね。


 記事中では小学校~高校時代で「個性は認めない」となり、大学で「個性的な人カッコいい」と変化。就活では「あなたの個性を見せて」としておきながら、社会人になりまた「個性は認めない」に戻ると言うある意味皮肉で締めていますね。でも、これはその通りだと思いますね。学生時代は校則とか教師陣からの指摘もあるでしょうけど、それ以上に同町圧力が強いかなと思いますね。中高生なんか「出る杭は打たれる」が一番強いんじゃないかな。意外と同級生からってのが。


 「個性が潰される」と言うと書くとネガティブなイメージしか浮かびませんが、大切なのは捉え方一つだと思うんですよね。各自に個性やこだわりはありますが、それが「周りに迷惑がかかるか否か」が分かれ目じゃないでしょうか。その人の好さはそのまま好意的に個性と捉えられますが、これが他人に迷惑がかかったりすると個性ではなくただの「わがまま」と見られてしまいますしね。



 色々書いてて思うのは「個性を活かすも潰すも自分次第」ってことかなと思います。外的要因に責任を求めている間は、結局ただのワガママ止まりになってるんじゃないかと思いますね。ただ、周りから色々と言われても、それがどうしても納得のいかないとか、1人ぐらいしか言ってこないことなら自分を貫き通したらいいと考えますが。