夏休み!
子供にとってこれほどコーフンする時期はなかった。昭和の貧しき子供たちも、毎日が大イベントであった。
albero4さんが書いている通り、物質的に貧しい状況にいると、その分、想像力が発達するのである。だからdii-chaiさんの言うとおり、秘密基地が欲しくなれば、すぐに廃材を集めてきて作ってしまった。当時は空き地に木材や塩ビ管など、廃材がいくらでも落ちていたのである。
夏休みで真っ先に想い出すのはキケンな遊びだ。
爆竹を1箱買ってきて、まずは庭の蟻地獄などを吹っ飛ばし、破壊と殺戮を楽しむ。
友人宅の木の“うろ”になめくじの巣があったりするとコーフンした。さらにそこのお母さんが
「なめくじが出て困るのよね」
なんて、うっかり退治を依頼したら大変なことになる。
その日も、そんなうっかり母さんがいて、僕らは親公認とばかりに爆竹遊びを行った。
まずは全員で縁側の下に潜り込み、手で双眼鏡のかたちを作って目標を伺う。
「おい、爆弾はどこにある?」
「記憶にございません」
「ぎゃははは!」これは当時のロッキード事件のギャグだった。
「この作戦では何発必要か」
「はっ、敵は巨大なので10発は必要であります」
「20本使って原爆にしようぜ」
「Oh、モウレツ~」これは丸善ガソリン"猛烈ダッシュ"のギャグだ。
原爆というのは、爆竹を分解して火薬を取り出し、何本分かまとめて破壊力を大きくしたものだ。
肥後守で爆竹を裂くと、何枚もの新聞紙がぎゅうぎゅうに巻いてあって、その芯に銀色の火薬がわずかに入っている。それを集めて巻きなおし導火線をつなぐのだ。
導火線は1箱に1本、長いやつが付属していた。
「5、4、3、2、1・・・点火!」
その後の光景は言うまでもない。大惨事である。
張本人の僕らはというと、青白い煙と爆発規模に満足し、後片付けなどせず出掛けてしまう。
いや、ひどいものである。
2B弾というのもあった。これはクレヨンが細くなったような形状で、頭の部分を石などに擦りつけて点火する爆弾。爆竹よりも強力だったと思う。
点火して10秒で爆発するのだが、これをぎりぎりまで手に持って、爆発寸前で放り投げるというのが流行ったことがあった。いわば度胸試しである。
度胸試しというのは、男のあいだでは必ず行われるもので(大人になってからでもね)、普段おとなしい奴ほど挑むことが多い(大人になってからでもね)。
その日は、寺の近くに住んでいたあきら君がそうだった。
「お前なんかに出来ねえよ」誰かがけしかける。
「出来ますね」あきら君、まんまと挑発に乗る。
「出来ませんね」
「出来ますね」
「出来ないんですね」
「出来るんですね」
あきら君は小鼻を膨らまし、2B弾を取り上げ、足元にあった石に擦りつけた。シュッと煙が上がる。
「い~ち、に~い、さ~ん・・・」
彼はどういうわけか、すごいスピードで広場を走り始めた。ちゃんと円を描いて走るのは、やはり学校教育のたまものである。
「ろ~く、な~な・・・」
あきら君の頬が突っ張っている。緊張の極みに達しているのは明らかだ。
と、その次の瞬間。
「きゅ~う、あっ!」
彼はマンガのように“9”で転んでしまったのである。そして爆発音。
「お~い! 大丈夫か~!」
幸い2B弾は手を傷つけることはなかった。それよりも転んで肘やら頬を擦りむいているし、精神的ショックが一番大きい。
「すげえ、あきら君!」
「負けそ~!」
「イカすう~!」
あきら君は泣きべそをかきながらも、かろうじてとどまった。
こうしてみんなは大人の階段を登ったのだ。