さて、夏休みの話しだ。
楽しい休暇であったが、一つだけ僕ら兄妹をずっと悩ませていた問題があった。それは昼飯である。
母親が出勤する際に、いつもパチンと音をさせて100円玉を置いていった。それで
「お昼を食べなさい」
こういうことである。
昭和40年代の話だ。今より物価はずっと安かったが、それでも一人50円は厳しい。僕らは知恵を絞る必要があった。
よく買ったのは50円のパンだったと思う。納豆やバラ売りの玉子を買ってきて、飯を炊いたこともあったはずだ。
そんな小学2年生の僕らが、ある日、画期的なおかずを見つけてしまった。1個50円のメンチカツである。
近所の肉屋で、昼前と夕方にコロッケやカツを揚げており、これがたまらない匂いを振りまいていた。
コロッケは時々食べたが、カツというのは未知の食べ物だった。どんな味かは知らぬが、
「最上等の食べ物であろう」
我々は思っていた。
そんな肉屋を、あるとき僕ら兄妹は、匂いにつられて偵察してみたのである。
価格表にはロースカツ70円、コロッケ45円とある中で、メンチカツ50円という表記を見つけた。
「お兄ちゃん、メンチカツってなあに」
「う~ん、カツの仲間かな」
「えっ、カツが50円なの?!」
「そんなわけないよな。でも誰か買うまで偵察しよう」
そうして生唾を飲みながら偵察していると、一人の主婦がメンチカツを注文したのである。
油紙に包まれるその大きさに目を瞠った。まさしくロースカツと同じに見えた。
「わあ! お兄ちゃんあれカツだよカツだよ。このお肉屋さん、間違えて安く売ってるんだよ」
「よし、明日のお昼に買おう」
「でもそんな贅沢なもの、子供に売ってくれるかな」
「お使いだって言えばいい」
「ママに知られたら怒られるよ。パパもきっと怒るよ」
「でもあれ食べたいだろ」
「うん、食べた~い」
「よっし。任せておけよ...」
そして、翌日の昼。
「僕はお使いで来た、僕はお使いで来た...」
呪文のように唱えながら肉屋を訪問。冷蔵ケース越しに店主を見上げて
「メンチカツ、2コ...ください」
もちろん咎められることなどなく、肉屋のオヤジはニコリと笑って熱々のメンチカツを渡してくれた。
「おーい! 買ってきたじょお!」
「うわあやったあ!」
妹は家で待機していた。
「もし捕まったらお兄ちゃんは走って逃げるけど、お前がいたら逃げられないからな」
なんて会話をしていたのである。
「世界の料理ショーごっこして食べよう」
「そうだねお兄ちゃん」
白い洋皿を出し、炊飯器の飯を盛った。フォークとナイフも出してきて、コタツテーブルに向かって正座&合掌。
「いただきま~す!」
そのメンチカツの、何と美味しかったことか。
一寸レバー臭い合挽の匂いも
「これが本物のお肉なんだ!」
納得したのである。
「フォークでご飯食べるのってカッコいいよね」
「アメリカ人みたいだ」
最近、この話題で妹とメールのやりとりをした。彼女からきたメールの一部を抜粋してみよう。
食べ物にお金を使うんだから別にいいはずなのに、なぜか「絶対内緒にしよう!」と怯えていたのを思い出す。そんなわけで買ってきましたメンチカツ。2人でご飯をいっぱいよそって、メンチカツひと口につき「ご飯半膳」って感じで食べたっけなあ。「匂いだけでもご飯が食べられるね!」とか言いながら。そんくらいおいしかったのね。「この世にこんなおいしいものがあったのか」ってくらい。今となれば貧乏もまた楽し、だよね。
だがある日、このささやかな幸せはあっけなく崩壊してしまうのであった。