前略、ハイドン先生

没後200年を迎えたハイドン先生にお便りしています。
皆様からのお便り、コメントもお待ちしています。
(一服ざる)

映画『ライフ(LIFE)』

2017-07-09 19:55:33 | 舞台・映画など
映画『ライフ』を公開初日に観てきました。




真田広之が出ているということと、「宇宙で何かに襲われるんでしょ」
程度の予備知識しかありませんでした。

何というか、普通に面白いというか、丁度よい面白さというか。
全編いい感じのワクワク・ドキドキで飽きさせません。


以下、ネタバレとまでは言いませんが、若干内容に触れるかもしれません。


有名俳優が出演していますが、登場するのはほぼ6名のみ。
舞台も国際宇宙ステーション(ISS)という設定で、ほぼその中だけ。
製作費も5800万ドルですので「ハリウッド大作」というよりは「B級映画」でしょうか。


Yahoo映画やMovie Walkerなどの、観た人の感想も大体似たり寄ったり。

あまり期待していなかったり、予備知識なく観た人は、
総じて「面白かった!」「怖かった!」との評価。

あと「エイリアン」と「ゼロ・グラビティ」を連想する人も多数。

この手の「ジャンル映画」でここまで感想が似た感じになるもの珍しいかも。


そんな感想の中で、ある方が書いていたのがドンピシャ、というか笑いました。

  エイリアンとゼログラビティを足して4で割った感じのB級SFホラー映画


2で割った・・・ではなく4で割った、とういのがミソですね。
ちょっと薄まってる感じ。


本作品、妻もいたく気に入ったようですが、途中の無重力で動き回るシーンで
ちょっと酔ったとのこと。



監督:ダニエル・エスピノーサ
脚本:レット・リース、ポール・ワーニック
出演:ジェイク・ギレンホール、レベッカ・ファーガソン
   ライアン・レイノルズ、真田広之
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画『リリーのすべて』

2016-11-27 18:12:44 | 舞台・映画など
映画『リリーのすべて』(原題「The Danish Girl」)を観ました。

結論から先に言いますと、素晴らしかった。そして、美しかった!


世界初の性別適合手術(男性から女性へ)を受けた人物、
リリー・エルベを題材とした小説の映画化です。


主役(男性としてのアイナーと、女性としてのリリー)を演じた
エディ・レッドメインは、もともと女性顔というか中世的な顔立ちですが、
その仕草や表情は圧巻でした。


男性として、女性のストッキングや衣装に向けるフェティッシュな眼差し。
それらの肌触りや感触を確かめながら浮かべる、恍惚とした表情。

自分の中に目覚めた(というより、元からあったけれども抑圧?していた)"女性"に
戸惑いながらも、("女性になる"という)誘惑に勝てず、翻弄され、
でも身も心も満たされていく様。

本当の"女性"になりたいという願望と、
それによって妻が愛している男性(夫)を"殺して"しまうという罪悪感。

それら全てが見事に演じられていました。


物語の舞台は1920年代。アールデコの時代です。

夫(アイナー)は風景画家、妻(ゲルダ)は肖像画家という芸術家夫妻。
そのせいか、時折まるで絵画のようなショットやシンメトリックな画面構成があり、
映像の美しさも堪能できます。


ゲルダの描く肖像画は少々時代遅れの感じがありましたが、
夫を女性に見立てて描いた作品は、まさにアールデコ調!
映画内では、あまり大写しにはなりませんでしたが、
アールデコを代表する女流画家、タマラ・ド・レンピッカの作品の様。


こんな感じ。
タマラ・ド・レンピッカ「眠る人」


映画のポスターも、日本版?に比べて海外版?は
アールデコを意識したような感じです。


これはポスターなどで見ていたもの。


こっちはかなりアールデコを意識した作りです。


妻、ゲルダを演じたアリシア・ヴィキャンデルはこの作品で
アカデミー賞助演女優賞を受賞。

アイナー(夫)を愛し、夫が女性なっていくことに苦しみながらも、
リリーとなることに理解を示し、支え愛し続けます。


悲しくも美しい物語でした。


監督:トム・フーパー
脚本:ルシンダ・コクソン
原作:デヴィッド・エバーショフ


アイナー・ヴェイナー/リリー・エルベ:エディ・レッドメイン
ゲルダ・ヴェイナー:アリシア・ヴィキャンデル
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画『君の名は』

2016-10-30 20:37:40 | 舞台・映画など
記録的な大ヒットとなっている映画『君の名は』を、遅ればせながら観てきました。


割と涙もろい自分に対して、妻の「泣くかな?泣くかな?」の
(若干半笑い気味?での)問いかけは、
「そんなの観てみないとわからん」と、まずは素っ気なくいなしました。


映画に限らず、小説でも音楽でもなんでもそうでしょうが、
いつ(何歳ごろ)出会うか、その時の自分の状況がどうだったか、
で心に残る大切な作品になるかどうかは、大きく変わってきます。


青春時代というのは、歌の歌詞ではないですが、
その真っ只中にいる時にはそうとは気づかず、後になってから
「あの時が自分の青春だったのかなあ」と思い出されるものです。

ですから「青春映画」というのは、本来は、
これから「青春」を向かえる人たち(「青春」に憧れている人たち)、
あるいは過ぎ去った「青春」を懐かしむ人たちにこそ相応しいのかもしれません。


新海誠監督の作品はこれまで、
「言の葉の庭」の冒頭を少し観たことがあるだけで、
背景描写など絵がきれいだなあといった程度の認識でした。

「セカイ系」という言葉も、目に耳にしたことはありますが、
具体的にどのような概念なのかはよく知りませんでした。
新海誠さんの今までの作品や『君の名は』も、そのジャンルだということも
全く知らずに観ました。
(「セカイ系」という言葉の定義そのものが曖昧なので
 一括りにしてはいけないのかもしれませんが)


ただ、改めて「セカイ系」と言われると、この映画の(私の)感想というか、
胸に去来するものの意味など、腑に落ちる気がします。
観終ったあとの妙に懐かしいあの気分・・・というか精神状態・・・。



今からもう四半世紀前、大学時代の一番なんだかわからなかった頃、
大きな影響を受けたのが松浦理英子さんの小説でした。

なかでも「ナチュラル・ウーマン」が一番好きな作品ですが、
と同時に、映画化された「ナチュラル・ウーマン」も
それ以上に自分にとって大きく重い存在でした。


映画「ナチュラル・ウーマン」の話はとりあえず置いておきますが、
『君の名は』を観終った時に感じた「何か」は
自分にとっては、あの時の「何か」を思い出させるものでした。
長らく忘れていた懐かしい、あれ以来感じたことのない「何か」・・・。


『君の名は』を観て、突然あの頃の感覚が蘇ってきました。
「ナチュラル・ウーマン」は自分にとっての「セカイ系」だったのか・・・。


過ぎ去った「何か」を懐かしむ人にこそ相応しい・・・
その意味で『君の名は』は、素晴らしい「青春映画」であり「セカイ系映画」でした。



映画を観終った後、即座に妻の(若干半笑い気味?での)
「泣いた?」の質問。


「泣かない理由がわからない。なぜ泣かないのかわからない。」
と応えました。

アラフィフ(男)ですがわるいですか?



『君の名は』

監督:新海誠
脚本:新海誠
原作:新海誠
出演者:神木隆之介、上白石萌音




「ナチュラル・ウーマン」に描かれた世界はまさしく、
「私」が中心の、閉じた「セカイ」です。
万人に受け入れられ、共感される世界ではありません。

ですから、『君の名は』のこの大ヒットは、
日本という「世界」そのものが「セカイ」へとなりつつあることの証なのでしょうか。
それとも、もともと日本という国自体が「セカイ」だったのでしょうか。

私は後者だと思います。
世界から見て「日本」が、ある種の閉じた「セカイ」だからこそ、
(ほかの国の)人々はそこに幻想を抱き、憧れを感じるのかもしれません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画『シン・ゴジラ』 (横須賀地方隊サマーフェスタ2016)

2016-08-07 12:24:39 | 舞台・映画など
各方面?から絶賛されている、映画『シン・ゴジラ』を観てきました。


この日(8月6日)は、まず横須賀海上自衛隊の「サマーフェスタ2016」に
行ってきました。

護衛艦「いずも」「たかなみ」「てるづき」や、砕氷艦「しらせ」を見学、乗船。

護衛艦「いずも」

こちらはパトリオット。



で、こっちは南極にいる皇帝ペンギンの模型(HITACHI寄贈)。
なんと実物大! デカイ!!

今日一番の衝撃。

で、海自のTシャツ。



こちらは関係ないけど、以前に習志野駐屯地で買った空自Tシャツ。

玉職人じゃないよ。


日本の安全と平和を守る自衛隊に感謝の念を抱きつつ、映画館、T・ジョイPRINCE品川へ。


ニッポン対ゴジラ 現実対虚構

面白い!! そして、感動!!!(以下、若干ネタバレあります)

全く予備知識を入れずに観に行ったのですが、予想の斜め上?を行く展開。


未知の巨大生物=大規模災害に直面した時の政府(官僚)の右往左往。
海から上陸し、形状を変えて品川に迫る巨大生物(「ゴジラ」と命名)。
(呉爾羅 → Godzilla → ゴジラ)

自衛隊への攻撃命令を出すまでの逡巡と緊迫感は日本ならでは。
横須賀の海自を見学した後だったので感慨もひとしおです。
(で、今、観ているのが品川ですからね)

そして一度海に戻り、再度変形を遂げて再上陸するルートは、
まさに横須賀から品川に向かう際に使った、横須賀線ルート?


ゴジラといえば、放射能の問題をどう扱うかが難しいところですが、
今回は新しい解釈です。

東京のど真ん中にいるゴジラを核攻撃で消滅させようとする国連軍と、
血液凝固剤で凍結させようとするオタク集団?の日本政府の対策本部。


決死の「ヤシオリ作戦」を開始する際の、自衛隊員に向けて叫ぶ
矢口特命担当大臣の檄には、思わず涙がこぼれました。

  ちなみに 
  「ヤシオリ」とは、ヤマタノオロチを退治するために飲ませたお酒
  「八塩折之酒」からきているとのこと。


そしてなんといっても伊福部昭の音楽。
ゴジラのテーマはもとより、自衛隊攻撃の際の宇宙大戦争のマーチはやっぱ萌える!!

出演者については、石原さとみ(の役柄?)に違和感を感じる人が多いようですが、
私はその「違和感」こそが、今の日本とアメリカの関係を象徴しているようで、
ありだと思いました。


庵野総監督といえば、言わずと知れたエヴァンゲリオン。
エヴァはそんなに詳しくないのですが、そんな私でもわかるエヴァネタ?。
炎をバックに立つゴジラはまさにエヴァ初号機のよう。
あと音楽ね。


ネットを見ると、国内の盛り上がりに比べて海外?の評価は芳しくない様子。
でもそれは当然であり、それでいいのだと思います。

これは完全に、日本人による日本人のためのゴジラです。

  日本はまだまだやれる
  破壊され再び立ち上がる度に、日本は強くなる

そういった台詞(メッセージ)が散りばめられています。


そしてラスト。都心に固まったままのゴジラの姿。

  日本はゴジラと共に生きていくことを選択したのだ

それは、核(原発)やアメリカ(在日米軍)や、この国の政治体制を意味しているのでしょうか。


奇しくも今日(8月6日)は、広島に原爆が投下された日です。

いろいろな意味で考えさせられ、そして何も考えずただただ観て面白い、
そんな「傑作」だと思います。


早くもう一度観たい!
(ソフトを買ったら繰り返し観る映画でしょう)


ツボにハマった人続出(うちの奥さんも!)の「無人在来線爆弾」こと京浜東北線に乗って
帰途につきました。


総監督・脚本・編集:庵野秀明
監督・特技監督:樋口真嗣
撮影:山田康介
音楽:鷺巣詩郎、伊福部昭
美術:林田裕至・佐久嶋依里


★追記

対策本部の事務局長に任命された矢口が、
(自分自身も含めた)メンバー達の不眠不休での働きぶりに対して、
自嘲するように言葉をかけるシーンがあります。

  帰って休めといっても帰らず、家族がいるから帰っても
  またすぐに戻ってきて仕事をする・・・

日本人の働きすぎは、欧米諸国をはじめ他国からは異常にみられます。
政府(厚生労働省)も労働時間を削減させるために、
いろいろと法整備をしたり、企業に罰則を設けたりと手を打っています。


でも、戦後の復興を成し遂げ、そして今も日本を支えているのは、
こういう「働く人たち(働きすぎる人たち)」なんだと思います。

警察官や消防官、自衛隊員など、日々命の危険に晒されている業務ではなくとも、
時には身を削ってでも、命をなげうってでも職務を全うしようとする、普通の人々。


本編とは直接関係ないこのシーンをあえて入れたのは、
そんな、裏方で目立たない、でも自分の職務を全うしようとする(してきた)人々への
尊敬と感謝の念が込められていたのではと、感じます。

印象に残る、そしてグッとくるシーンでした。


★追記2
本日(8月11日)『シン・ゴジラ』2度目の鑑賞。
前回と同様、矢口特命担当大臣の自衛隊員らへの演説シーンで落涙。

品川では売り切れで買えなかったパンフレットをゲット。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

レディ・イン・ザ・ウォーター(Lady in the Water)

2016-02-18 23:15:19 | 舞台・映画など
M・ナイト・シャマラン監督の『レディ・イン・ザ・ウォーター』を観ました。

素晴らしい作品でした。


シャマラン監督といえば「シックス・センス」や「サイン」などが有名ですが、
恥ずかしながらシャマラン作品は今まで一本も観たことがなく
今回の『レディ・イン・ザ・ウォーター』が初でした。

色々な批評を見ると、
前出の過去作品にあるようなどんでん返しもなくて期待外れ、
と評判も悪く、興業的にも失敗作とのこと。

他の作品を知らなかったのが逆によかったのかもしれません。


加えて以前に、ライムスター宇多丸さんのラジオ番組
「ウィークエンド・シャッフル」内の映画時評コーナーで、
シャマラン監督の作品の"本質"について聴いていたのもよかったです。

宇多丸さん曰く、

  シャマラン映画は実はテーマが一貫している
  それは、主人公、登場人物が
  「世界の本当の仕組みを知り、その中で自分が果たすべき真の役割に気付く」
  という話である

ということです。

そしてそれに続けてこうも語っていました。

  「嘘みたいな物語を語ることこそが自分の使命だ」と本気で信じている


『レディ・イン・ザ・ウォーター』をご覧になった方ならわかると思いますが、
まさにその通りの話でした。

なにせ、主人公のもとに現れる謎の女性の名前が「ストーリー」ですから。


アパートの管理人(主人公)と、かなり個性的な住人達。
主要登場人物は皆(まさか!と思う人まで)「物語」の中での真の役割を果たし、
その「物語」を完結へと導いていく・・・


主人公に、謎を解くヒントを与える人物が(結果的にそれがミスリードになってしまう)
唯一、残念な結果になってしまうのですが、
彼の仕事が映画や本の「批評家」だというのも示唆に富んでいます。
決して悪い人ではないんですけどね。



ところで、この『レディ・イン・ザ・ウォーター』を観て、
ケビン・コスナー主演の「フィールド・オブ・ドリームス」(Field of Dreams)
という映画を思い出しました。


映画全体の印象はまるで違いますが、どちらの作品も

  なにか(天の声?あるいは内なる自分自身の声?)を信じ、
  行動することでおきる「奇跡」。
  そして、過去のトラウマから解放され、罪の意識が癒される・・・

という物語だと思います。



『レディ・イン・ザ・ウォーター』 素晴らしい「物語」でした。



『Lady in the Water』



こちらは MAN in the Field ではなく「Field of Dreams」 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする