東京都写真美術館で『世界報道写真展 2010』を
観てきました。
報道写真に対して「賞」を与える、ということの意味、
あるいは、その審査基準がどういうものか、
等々、論じるべき点はありますが、感想としては「面白かった」です。
「現場」の臨場感を伝える手段としては、すでに動画配信が主流になっています。
しかし「一瞬」を切り取る写真の力もまた健在です。
大賞はピエトロ・マストゥルツォという方の作品?で
「建物の屋上からイランの現体制への抗議の言葉を叫ぶ女性」
を写したものです。
切り取られた「一瞬」は、ほとんど動きのない「静」の瞬間です。
しかしそこから深い怒りや絶望が伝わってくる作品です。
そのほか、
食糧不足のために、死んだ象をあっという間に骨だけにしてしまう人々
石打ちの刑で、首から下を地面に埋められた罪人の頭に石を投げつける人々
などなど、かなりショッキングな写真もありますが、
このような「状況」は逆に写真だからこそ、「直視」できるのかもしれません。
動画だったら、思わず目を背けてしまい、思考も停止してしまうと思います。
「写真」は「じっくりと考えることのできるメディア」として
とても意義の有るものだということを、改めて感じました。
観てきました。
報道写真に対して「賞」を与える、ということの意味、
あるいは、その審査基準がどういうものか、
等々、論じるべき点はありますが、感想としては「面白かった」です。
「現場」の臨場感を伝える手段としては、すでに動画配信が主流になっています。
しかし「一瞬」を切り取る写真の力もまた健在です。
大賞はピエトロ・マストゥルツォという方の作品?で
「建物の屋上からイランの現体制への抗議の言葉を叫ぶ女性」
を写したものです。
切り取られた「一瞬」は、ほとんど動きのない「静」の瞬間です。
しかしそこから深い怒りや絶望が伝わってくる作品です。
そのほか、
食糧不足のために、死んだ象をあっという間に骨だけにしてしまう人々
石打ちの刑で、首から下を地面に埋められた罪人の頭に石を投げつける人々
などなど、かなりショッキングな写真もありますが、
このような「状況」は逆に写真だからこそ、「直視」できるのかもしれません。
動画だったら、思わず目を背けてしまい、思考も停止してしまうと思います。
「写真」は「じっくりと考えることのできるメディア」として
とても意義の有るものだということを、改めて感じました。